2. 1987年ブルンディ、ブジュンブラ

文字数 2,469文字

1987年9月11日金曜日、午後6時
ブジュンブラ市内孤児院、ブルンディ

 ステイシーをはじめとする事務所のスタッフは忙しく働いていた。先週起きたツチ人軍部によるクーデターで、外出が制限されたために明日に控えた孤児院の開所式の準備が大幅に遅れていたからだった。
 クーデター自体は無血で軍が全権を抵抗なく掌握したが、その影響でブルンディの首都、ブジュンブラ市内は大きく混乱し、それに乗じた略奪や強盗などが多発していた。
 そして、外遊中のバガザ大統領が帰国出来ない異常事態が続いていた。

「暗くなると危険だ。明日もあるから帰宅した方がいい」 
 そう言うと、所長のアランは現地スタッフに声を掛けた。
「あとは私たちがやるので安心して」 ステイシーもそう言ってみなの帰宅を促した。

 アランとステイシーの二人はアメリカ平和部隊の先輩と後輩の関係で、アランは淡水魚の養殖事業要員としてブルンディに、ステイシーは英語教師としてタンザニアの地方都市に派遣された。
 アランは一足早く任期後、アメリカのNGOのブルンディの現地代表としてキガリでの孤児院の開設を任されていた。
 ステイシーはタンザニアでの任期が終わると、アフリカ中をバックパックで周り、立ち寄ったブルンディのアランを手伝いはじめて3か月になっていた。

「われわれもそろそろ寝た方がいいよ」 
アランが言った。時刻は午後11時になろうとしていた。
「そうね。招待リストを最後に確認して寝るわ」 
 ステイシーはそう言って名簿の束をデスクの上に広げた。

 明日はアメリカ大使を筆頭に、援助関連団体が出席する。肝心のブルンディ政府からはクーデターの混乱からか、出欠の返事がなかった。

 名簿をめくりはじめると急に灯りが消えた。停電だった。
 今日はましだったが、先週のクーデター以降、停電の回数が増えていた。ランプに火を点けるのも億劫なので、そのまま寝ることにした。
 寝るといっても事務所の応接室のソファーに置いた寝袋の中に潜り込むだけだったが、冷たい床に寝るよりましだった。既にアランは二階の所長室の奥で寝ていた。
 
 どれほど眠っていただろう。ガサガサ、というキッチンからの音で目覚めた。
『こんな時間に誰?』 
 そう思って寝袋から出た時だった。後ろから羽交い絞めにされ、押し倒され、そのまま気を失った。
   ***

 気が付くと目の前にナースが立っていた。麻酔が切れたのか、起きようとすると身体中に激痛が走った。
「まだ起きてはだめ。安静にしていて」 ナースがそう言った。
 何が起きたのだろう。記憶をたどろうにも頭痛と混乱でなかなか思い出せなかった。

『あっ、アラン!』 
 恐ろしい光景が浮かび、叫んだが声にならなかった。
 全身の痛みでよく分からなかったが、ひたすら悲しくなり涙が溢れ出す。


「サバ、ステイシー?」 
 ずっと独り泣いていると孤児院スタッフのラケルが病室に入ってきた。
「ラケル!」 やっと声が出た。
「意識が戻ったとの連絡があって来たの。気分はどう?」 ラケルが尋ねた。
「ううん」 ステイシーがそう言って首を振った。
「当然だわ。あんな酷いことが起きたのだから……」 ラケルがそう言うと口をつぐんだ。
 
 彼女から聞きたいことは山ほどあった。その様子からといい、ぼんやりとした自分の記憶からといい、言葉にも出来ない禍々(まがまが)しいことが起きていたのは理解出来た。

「アランは?」 勇気を振り絞って聞いた。
「ごめんなさい。何も出来なくて……」 ラケルが小さく言ってうなだれた。
「どういうこと!?」 ステイシーが身を乗り出した。
 ラケルは何も言わず、うなだれるだけだった。重い沈黙が続いた。


 その後、やっと口を開いたラケルにより、あの夜に起きた、聞くに堪えない恐ろしい出来事が徐々に明かされた。何よりも自分が生きているのが不思議だった。

 その際、孤児院は略奪のため何もかもが強奪されて破壊され、開所は不可能になった。
 何とか阻止しようと抵抗したアランはその場で惨殺され、既に彼の遺体はアメリカに移送されていた。
 意識不明で発見されたステイシーは麻酔で眠らされ、一週間が経っていた。

 老いたアメリカにいる唯一の肉親の母親はショックで寝込んでしまい、アフリカには来られずスタッフが交代で彼女の面倒を見ていた。
 それがラケルの説明だった。

『一週間も……』 
 その間、あまりにも多くのことが起きているのに驚いた。
 
 ステイシーはその後一か月ほどで退院するが、周りの強い勧めにもかかわらず帰国せず、頓挫した孤児院の再始動に全力を注ぐ。

 それにしても略奪に遭った孤児院の状態は酷いありさまだった。電球や天井のファンさえも盗まれ、まさに根こそぎ、という言葉が当てはまるほど何もかもがなくなっていた。
 だが、書類などは床一面に散乱していた。
 そして、事務所だった場所の床には血だまりだったらしい、どす黒く乾いたものが厚く広がっていた。
 ステイシーはそこでアランに何が起きたのか理解し、その場に崩れ落ちた。


 一月、二月と過ぎ、体調も回復し、孤児院の再建に向けた準備も進み出した。問題は孤児院再開の資金だったが、亡くなったアランの親が寄付を集めてくれたり、平和部隊OBによる寄付があったりしてどうにか進んだ。

 半年近くが過ぎ、再開のめどが立ってきたころ、腹部が出てきて体形が変わっていくのに気が付いた。もともと生理は順調ではなく、事件と怪我の影響でずっと止まっていたと思っていた。

『まさか……』 
 妊娠しているとは思ってもみたくなかった。厳格なプロテスタントの家庭で育ったステイシーには中絶の選択はなかった。

 しかし、その後は早かった。どんどん腹部が大きくなり、服もそれまでのジーンズを主体にしたものからゆったりとしたブルンディの民族衣装に変えた。
 女性スタッフたちはステイシーの現地化を素直に喜んだが、本人は気が気でなかった。

『一体どうしたらいいの?』 考えれば考えるほど、混乱して分からない。
 その迷いの中、着実に時だけは過ぎていくのは体が知らせた。
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