7.ルワンダ国際戦犯法廷の設置

文字数 1,104文字

1994年11月12日土曜日、午後3時
ンガラ

 時を同じく、国連安保理事会決議でルワンダ国際戦犯法廷、International Criminal Tribunal for Rwanda、ICTRがタンザニアのアルーシャに設置されることが決まり、ジェノサイド実行犯を訴追することとなった。

 ジェノサイドを実行したフツ人強硬派を逮捕して裁判にかけるという決定は大きな進歩だった。虐殺犯が我が物顔でキャンプの中を歩き、同じフツ人難民を殺害、搾取することをやめさせることが出来るからだ。
  遂に外堀が埋められた。ICTRの設置は強硬派を追い込むに違いない。
 だが、どうやって虐殺犯らを逮捕し、ICTRに引き渡すかだ。
 残念ながら、そのプロセスが抜けていた。このままでは、これまでと同じように難民キャンプが隠れ家になるだけだ。キャンプから出たら逮捕されるので、命がけで留まり支配し続けるだろう。
 それこそ捕らえられ裁きを受けるぐらいなら、難民を道連れにすることもあり得た。

 そうした状況で、一体どれだけの援助団体が残れるだろう。
 そこまでも危険を冒して自分たちは残るだろうか自問した。

 この危険な状況でACESもなるべく国際スタッフがキャンプに立ち入らないで済むよう、活動を難民が自らだけで実施出来るようにし、ACESのスタッフの立ち入りは最小限にした。
 学校については当初から難民の教師が教室を担当しているので、大きな影響はなかった。
 クリニックに関しても難民の中にも医療従事者資格を持つ者がいたので、彼らに診療に当たらせることになった。
 幸いというべきか、皮肉というべきなのか、ルコレ・キャンプにいたルワンダ難民は医師免許やナース免許を実際に持っていたので資格を証明することが出来たからだ。

 紛争では着の身着のまま逃げ、書類を持っていることは稀だった。内戦などで政府機能がマヒし、免許の再発行など不可能だ。資格を証明出来ないと直接医療に従事することは出来ず、あくまで補助要員だった。資格を生かせない難民が多い中、いかにフツ人難民が用意周到に準備され、組織的に逃げてきたかが分かることだった。
 フツ人強硬派は難民キャンプをもう一つのルワンダとする、パラレルワールド化を目論んでいたのだろう。

 日々の診療は彼らを中心に行い、われわれ国際スタッフはカルテや報告書の作成や医薬品の補給などンガラ事務所からでも出来る遠隔操作の仕組みを導入した。
 皮肉にも治安が悪化したおかげで、自分たちが直接現場に行かないでも事業運営ができるシステムが出来てきて仕事にも余裕が生まれた。
 その結果、やっと交代で休暇を取れるようにもなった。
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