14.深夜の告白I-エチオピアの飢餓

文字数 2,075文字

1994年3月23日水曜日、未明
ナイロビ、ACES本部事務所

「逃げたかったからだ」 
やっと言葉になった。フラッシュバックして思い出されたが、どれも苦いものばかりだった。
「あれはインターン中で、事故だったと病院のみんな言ってくれるけど、自分ではそう思っていない。今でも自分の責任だと思っている」 
 ふと、居眠りした時には遅かった。

 インターン医師の激務は想像以上だった。兄が事故を起こしたのは無理もない。代々続いた医者の家系を自分の代で断ち切ることの影響は予想出来たが、あの時は本当に医者を諦めようと思った。だが、目の前のベンにそんなことを言っても始まらない。

 ベンは沈黙している。
「高校生の頃、兄の事故の後で医学部の受験勉強をしていた頃、エチオピアの飢餓支援のチャリティーコンサートでバンドエイドとかウィアザワールドを見て、自分も医者になったらアフリカで援助活動をしてみたいと思うようになったからだ。インターンが終わると知り合いの伝で去年ザンビアの難民キャンプに行ったんだ」

 当時のニュースで流れた、やせ細った飢餓難民を助ける欧米人医師の姿に自分をダブらせた。でも、本当は自分の失敗から逃げたかったのかもしれない。

「だけど、結局のところは同じだった。駄目な医者は駄目だって。本業でアフリカ人のお役に立てられなくて申し訳ないけど……」 
 リンダの顔が浮かび、口をつぐんだ。逃げ続けているのは分かっている。

「それに、医者一人増えてもアフリカの抱える問題はどうにもならないだろうと思えることばかりだ。医者を前に言うのも変だけど」 クミさんがいなくなった後の子供病院や放置された未完成の孤児院の状態を思い出した。

「ハクナマタタ、ケン。気にしなくていい。それで、これからはどうする?」 
 ベンの大きな目が覗き込んだ。
「それが問題なんだ。半端な気持ちでいるとみんなに迷惑かけるし。まだ医者というより人間としての自信というか、覚悟が出来ていない部分があるから」 率直に言った。
「そうか」 そう言ってベンは腕を組んだ。そして続けた。
「なら、一緒に答えを探そうじゃないか。君はわれわれを助ける。そしてわれわれは君がその何か探すのを助ける。どうだ?」 ベンが悪戯っぽく微笑んだ。

 ベンは底抜けの楽観主義者だ。そして、彼の単純でどこからか湧いてくるのか不思議な確信が自分の気持ちを楽にするのが分かった。

『やってみるか』 そう思った。

「それにアフリカには借りがある」 リンダとクミさんの顔がスーッと浮かぶ。
「アフリカに借りがあるだって? 凄いじゃないか! いつからアフリカは貸す側になったんだ? いつも借金ばかりだぞ」 ベンが大声で笑った。アフリカの膨大な対外債務を指しての彼一流のジョークだった。

「アフリカは自分に多くを与えてくれた。人間として成長させてくれた」 これは明言出来た。
「そして、今回はアフリカには友人に会いに来たんだ」 
 自分の中ではまだクミさんは死んでいなかった。
「やっぱりそうか! 女性が関わっているんだな!」 
 ベンの勝手な解釈に呆れて返す言葉がなかった。

「まあ、あまり詮索して困らせるのはやめておこう」 ベンはそう言って自分を十分に困らせたのを悟ったのか黙った。

 ベンはしばらくバツが悪いのか黙っていた。
「君のことばかり聞いていたので、何で自分が医者になったか話そう」 と、言い自らのことを語り出した。

     ***

「自分の生まれた当時のケニア奥地の田舎には医者なんていない。呪術師がせいぜいで、病気になったらそのばあさんの所へ行ってお祓いと、秘薬と称する変な灰色の粉をもらうのが関の山だった」 

ベンは続ける。
「下痢なんかで乳幼児がよく死んでいた。信じられるか? ただの下痢だ! 自分は8人兄弟の3番目だが、結局生き残ったのは一番上の兄貴と俺の二人だけだ。多産多死、途上国の典型的なパターンだ」   
 ベンはそう言うと亡き兄弟を思ってか遠くを見るような眼をした。

「さっき君の言ったエチオピアの飢餓の時、自分は医学生だった。あれはいい意味でも悪い意味でも自分たちアフリカ人医師に多くの影響を与えた。あの時、大勢のムズング、つまり白人がやって来た。君がニュースで見たやつだ」 と、ベンが言った。

「すごくがっかりし、当惑したよ。実際は多くのアフリカ人が彼らの下で働いていた。自分の先輩もな。だが、そんなことは微塵にも表には出ない。白人が可哀そうなアフリカ人を助けるという構図は資金確保のために絶対に崩せない。そんなにアフリカ人は無能かって痛烈に感じたよ」  
 それこそ、反吐を吐きそうな言い方だった。

 可哀そうな黒人を助ける慈愛に溢れた白人という構図が一般化していた。飢えでガリガリに痩せた腹の大きく出た宇宙人のようになったエチオピアの子供を強く抱きしめる白人女医や若い白人ボランティア、当時よく見たお涙頂戴の構図だった。

 だが、自分もそれに影響を受けたことは事実だった。アフリカで困っている人を助けたい、そんな心持ちにさせられたのは否定できなかった。

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