4. ルワンダ新政権
文字数 1,283文字
1994年7月28日木曜日、午前12時30分
タンザニア北西部国境地帯、ACESンガラ事務所
「カリブ、お帰りケン!」
電話を切ったベンが太い両腕を挙げて迎えてくれた。そのままベアハグをされたら押しつぶされると思い、とっさに右手を出した。
自分は175㎝あったが、それを優に超える大男の大きな手の握力はびっくりするほど強く、彼との握手は痛いほどだった。
「アサンテ、ありがとうベン。帰って来られてうれしいよ」
たかが10日ぶりのンガラで、ケニアの首都ナイロビでは久しぶりに温かいシャワーも浴びられたが、猥雑とした大都会に疲れ始めていた。難民支援で目が回るように忙しいンガラでも戻れて少しホッとしていた。何よりもACESの仲間に会いたかったのだと思う。
「フライトはどうだった?」 と、ベンが続ける。
「初めてベナコを上空から見たけど壮観だった」 さっきのキャンプ上空を飛んだ遊覧飛行が甦った。
「そうだったのか。キャンプ上空の飛行は禁止されているから、難民は驚いていなかったかい?」
ベンが笑って言う。
まだルワンダでは内戦が続いていたので、空襲か何かと勘違いしてびっくりする難民もいるだろう。テディベアを持った女の子とその兄を思い出し、申し訳ない気持ちになった。
「ところで、ベン。さっきの電話は?」 話題を変えるように聞いた。
「ナイロビの知り合いの記者からだ。キガリに樹立されたRPF新政権の難民政策についての俺の考えと、ここにいる難民の反応について聞かれたよ。われわれNGOの支援活動にどんな影響を及ぼすのか興味あるようだ」 ベンが答えた。
RPF、ルワンダ愛国戦線は民族対立でウガンダに逃れたルワンダ難民が主体となって結成された反政府組織で、ルワンダ政府はRPFと1990年から内戦状態にあった。去年8月にルワンダ政府とRPFがアルーシャ協定という和平合意を結び、国連はUNAMIR(United Nations Assistance Mission for Rwanda、国連ルワンダ支援団)を派遣して平和維持活動を展開していた。
それが4月6日にルワンダ大統領専用機に搭乗していたルワンダ大統領とブルンディ大統領がキガリ上空で謎の墜落事故で死亡してから、再び内戦が激化する。これまでタンザニアとザイールを中心に200万人以上の難民が流出していた。
その後ルワンダ国内ではRPFが実効支配地域を拡大し、このほど首都キガリで新政権の樹立を宣言した。それは難民のこれ以上の流出阻止と難民の帰還、国家再建に全力を尽くすという方針だった。
「それでなんて言ったの?」 ベンの考えに興味があった。
「状況はまだ流動的で正直、判断は難しいとしか言えないと」 ベンが答えた。
「そう思うよ。すぐ影響が出るとは思えない」 そう言って相槌を打った。
「まだ難民の流入が止まらないし、援助団体どこも手一杯だ。大量の難民には早く帰還してもらわないと、ホスト国のタンザニアの負担は大変だ」 ベンの声が沈んだ。
ベンが言うように貧しいこのタンザニアに大量のルワンダ難民を抱えるだけの余力はなかった。
タンザニア北西部国境地帯、ACESンガラ事務所
「カリブ、お帰りケン!」
電話を切ったベンが太い両腕を挙げて迎えてくれた。そのままベアハグをされたら押しつぶされると思い、とっさに右手を出した。
自分は175㎝あったが、それを優に超える大男の大きな手の握力はびっくりするほど強く、彼との握手は痛いほどだった。
「アサンテ、ありがとうベン。帰って来られてうれしいよ」
たかが10日ぶりのンガラで、ケニアの首都ナイロビでは久しぶりに温かいシャワーも浴びられたが、猥雑とした大都会に疲れ始めていた。難民支援で目が回るように忙しいンガラでも戻れて少しホッとしていた。何よりもACESの仲間に会いたかったのだと思う。
「フライトはどうだった?」 と、ベンが続ける。
「初めてベナコを上空から見たけど壮観だった」 さっきのキャンプ上空を飛んだ遊覧飛行が甦った。
「そうだったのか。キャンプ上空の飛行は禁止されているから、難民は驚いていなかったかい?」
ベンが笑って言う。
まだルワンダでは内戦が続いていたので、空襲か何かと勘違いしてびっくりする難民もいるだろう。テディベアを持った女の子とその兄を思い出し、申し訳ない気持ちになった。
「ところで、ベン。さっきの電話は?」 話題を変えるように聞いた。
「ナイロビの知り合いの記者からだ。キガリに樹立されたRPF新政権の難民政策についての俺の考えと、ここにいる難民の反応について聞かれたよ。われわれNGOの支援活動にどんな影響を及ぼすのか興味あるようだ」 ベンが答えた。
RPF、ルワンダ愛国戦線は民族対立でウガンダに逃れたルワンダ難民が主体となって結成された反政府組織で、ルワンダ政府はRPFと1990年から内戦状態にあった。去年8月にルワンダ政府とRPFがアルーシャ協定という和平合意を結び、国連はUNAMIR(United Nations Assistance Mission for Rwanda、国連ルワンダ支援団)を派遣して平和維持活動を展開していた。
それが4月6日にルワンダ大統領専用機に搭乗していたルワンダ大統領とブルンディ大統領がキガリ上空で謎の墜落事故で死亡してから、再び内戦が激化する。これまでタンザニアとザイールを中心に200万人以上の難民が流出していた。
その後ルワンダ国内ではRPFが実効支配地域を拡大し、このほど首都キガリで新政権の樹立を宣言した。それは難民のこれ以上の流出阻止と難民の帰還、国家再建に全力を尽くすという方針だった。
「それでなんて言ったの?」 ベンの考えに興味があった。
「状況はまだ流動的で正直、判断は難しいとしか言えないと」 ベンが答えた。
「そう思うよ。すぐ影響が出るとは思えない」 そう言って相槌を打った。
「まだ難民の流入が止まらないし、援助団体どこも手一杯だ。大量の難民には早く帰還してもらわないと、ホスト国のタンザニアの負担は大変だ」 ベンの声が沈んだ。
ベンが言うように貧しいこのタンザニアに大量のルワンダ難民を抱えるだけの余力はなかった。