1. 急降下

文字数 1,678文字


              (上空から見たンガラのキャンプ群、1994年7月)
1994年 7月 28日木曜日、午前11時
タンザニア北西部国境地帯、ンガラ上空高度5,000フィート(約1,500m)

「今日は遊覧飛行だ!」 と、ドイツ訛りの英語で叫んだ白髪の老パイロットは操縦桿を前にグッと倒した。尾翼に黒くUN(国連)と表示された白い双発のビーチクラフト機は彼が昔操縦していたであろうドイツ空軍の急降下爆撃機のように「ビィーン」と、甲高いエンジンを唸らせグーンと、機首を下げた。

 小さな機体は雨季始めのアフリカ大湖地域に低く垂れ込める灰色の雲の中をスーッと抜け、深いジャングルに覆われた緑色の大地が前方にぐんぐんと迫る。
「ぶつかるっ!」 と思ったその時、機体は右に急旋回をしてグッと左半身が座席に押し付けられ強いGを感じた。
 一瞬、体が軽くなり、機体の右側に座る自分の眼下に目をやった。そこにはいつも見ているものとは異なる世界が広っていた。
一面のジャングルの中にそこだけ切り取られたようにポッカリと浮かぶ小島のような青い丘が幾つも広がっている。その島々は点描画のように無数の青い点で出来ている。点の一つ一つはブルーシートで作られた難民のテントだ。

 これこそが人口約 50万人、面積にして南北に約6平方キロ、タンザニア北西部ブルンディとルワンダの国境地帯に出現した当時世界最大の「ベナコ難民キャンプ」と、それに連なる難民キャンプ群の上空からの姿であった。

 タンザニア最大の都市で人口約100万人の首都ダルエス・サラームに次ぐ大きな人口を持つのが都市ではなく難民キャンプというのは誰が想像できるだろうか。そして、この文明から隔絶されたアフリカ奥地のキャンプで暮らす難民の生活に不可欠な、水以外のありとあらゆる物資をキャンプの外から運んでいた。

 いまだに内戦の混乱が続く彼らの母国ルワンダ。
 そのルワンダでは内戦が再び激化して100日が過ぎていた。今も毎日ンガラには千人単位のルワンダ難民が国境を越えて流入し、キャンプの規模は日に日に拡大していた。既に自分たちの運営していたベナコ・キャンプから数キロ離れたルコレ・キャンプの病院は施設、人員ともにパンク状態だった。
 どの援助団体が運営する病院も、増える一方の患者に医薬品の調達が追い付かず鎮痛剤以外はどれも足りない危険な状態が続いていた。

***

 白い国連機は右旋回を続けさらに高度を下げていく。やがて銀色のタマネギのような巨大な給水タンクが幾つも並ぶのが目に入った。その周囲には黄色いものを背負った無数の子供らしい難民が集まっている。黄色いものは水を汲み用のポリタンクで、小さな子供たちが大きなポリタンクを頭に載せて延々と連なる姿は、まるで地面にこぼれた砂糖に群がる無数のアリのようだ。
 小さな青いテントの間に人が動くのが見えた。上空からは何をしているのかはよく分からないが、テントの掃除や配給を使った食事の準備などだろう。

 目を移すと兄妹らしい、手をつなぐ10歳くらいの男の子と彼より小さい4、5歳の妹らしい女の子と目が合った。女の子は真上の飛行機への恐怖なのか、驚きなのか目を見開いて立ちすくんでいる。赤茶色に汚れた薄黄色の上っ張りを着て、左手には赤茶色をしたものがぶら下がっている。
 男の子は難民キャンプでは珍しく学校制服のような茶色の半ズボンと半袖シャツ着た男の子は鋭い見つきでこちらを睨んでいる。その姿は父親が子供の頃に話してくれた、東京を空襲した後に低空飛行するアメリカ軍戦闘機のパイロットと目が合ったということと重なった。機銃掃射の的にされるかもしれない恐怖で動けなくなった子供だった父と同じような恐怖感をこの兄妹は抱いているのだろうか。

 敵意はないと、とっさに二人に向って窓越しに右手を振った。女の子も安心したのか手に持ったものを持ち上げた。それは小さなテディベアのぬいぐるみだった。

 真下に広がる途方なく巨大な難民キャンプの圧倒的な存在に気圧されると同時に、二人の視線から逃げるように目を閉じた。
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