25.不眠不休の難民支援

文字数 1,436文字

1994年4月29日金曜日から5月9日火曜日
ンガラ、ベナコ難民キャンプ
 
 朝、誰もが早く起きてテーブルを囲んでいた。昨日の興奮が冷めやらぬまま、ほとんど寝ていないのは一様に赤い目をしていたので分かった。
 お手伝いの女性が用意した熱いチャイを飲んだ。無言でチャイをすする音だけが響き、誰もが今後のことを案じているのが伝わった。

「昨日はみな大変だったな」 
 ベンが全員の不安を吹き飛ばすように口を開いた。みな大きく頷く。
「まずやらなければいけないのは、医薬品の補給と人員配置だ」 と、ベンが続けた。
「了解です。国連の医薬品が届くのはまだ先です。他団体のンガラでの在庫状況とナイロビでの在庫を確認します」 グレイスが直ちに反応した。
 ベンが国連との医薬品について提携合意を結んでいたが、突如こんな状況になるとは予想していなかった。

「これから緊急会議がUNHCR事務所であるので、そこで何か分かると思うわ」
 きっと一晩中無線交信を聞いていたのだろう、目に大きなクマが出来たステイシーが言う。

「これからも大変な事態が続くと思うが、とにかくやり遂げよう」 
 ベンが締めくくり、それを聞いて一斉に事務所から出た。 


 UNHCRでの緊急会議でルワンダ難民はベナコ・キャンプに収容されることになった。ベナコ・キャンプには既にブルンディ難民を収容していたが、徐々にルコレ・キャンプに移すことになった。
 さらに団体間の調整で、ACESはキャンプまで幾つか配置される「Way Station」と呼ばれる中継所の最後で、一番ベナコに近い場所を担当することになった。
 これは助けが必要な難民に水や食料、医療などを提供する、マラソン大会の給水所のようなものだ。同時に難民がキャンプにコレラなどの伝染病を持ち込まないようチェックする重要な役割をしていた。
 今の混乱した状況で伝染病の感染爆発が起きたら、多数の犠牲者が出る。重要で緊張する役割だった。

 この間EC、ヨーロッパ共同体による政府開発援助でルワンダ国境までの道を整備していたイタリアの建設会社が、持ち込んでいた重機を使っての整地とアクセス道路の整備をした。おかげで難民は大した混乱なく落ち着く場所を確保出来た。
 さらに、ンガラまでの道路の工期を変更して前倒しで実施し、ポントゥーンを使う必要がなくなりキャンプまでのアクセスが良くなり、輸送状況も格段に改善した。

 このイタリア企業はキャンプと道路の整備に協力してくれただけでなく、ンガラ外れにある自分たちのゲストハウスと食堂を一部開放し、酒類の提供も有償でしてくれた。おかげで援助関係者の生活の質の向上にもなった。
 朝食に出たエスプレッソコーヒーとNutellaというヘーゼルナッツのチョコレートスプレッドを塗ったトーストは遥かイタリアを思い起こさせた。
 
 この後、大量のルワンダ難民を受け入れるため2週間はどこの団体も不眠不休での対応が続いた。大量のルワンダ難民に対応するため、ルコレからもベナコに応援として医療スタッフを派遣した。この間は仕方なく、ルコレのクリニックの診療は重篤者に限定した。

 ほぼ同じ言語を話すブルンディ難民のアシスタントもベナコでの診療に参加した。ブルンディ難民のアシスタントはキャンプでの生活などについてもアドバイスすることでも役立った。

 ベナコ・キャンプの整備が援助関係者総出で行われる中、超巨大難民キャンプの出現で、どの援助団体も能力限界の中で支援活動を実施していた。

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