28.消えるジャングルと難民組織の成立

文字数 2,284文字


1994年5月28日土曜日
ベナコ・キャンプ

 ルワンダ難民の大規模な流入から1カ月が過ぎ、ベナコ・キャンプ周辺の姿が一変した。
 ジャングルだった丘の木という木は切られ、代わりに国連支給のブルーシートの青い無数のテントが覆っていた。薪かテントの支柱になったからだ。

 キャンプの給水場に通じる道は、黄色いプラスティック容器を頭に載せた女性と子供たちが延々と続き、順番待ちの列が水場を幾重にも取り巻いていた。母国の村でも同じように水汲みは女性と子供たちの役割だったのだろう。
 
 片や、憂慮された1か月前に起きたルワンダからのあの悪夢のような難民の大流入はブルンディからは起きなかった。そのことは追い付かないでいた大量のルワンダ難民への支援に専念することが出来た。
 その一方、毎日千人近いルワンダ難民が絶え間なく国境を越えて来ていた。それもルスモの国境からではなく、ジャングルを抜けて川を渡って入国していた。
 ルワンダとの国境は、国境となるカゲラ川沿いに柵や壁はなく、大人なら楽に川を歩いて渡れた。

 ベナコ・キャンプの過密状態がこのころから問題になりだした。さすがにルワンダの首都より大きい25万人の人口は通常の難民キャンプの概念をはるかに超えていた。
 少しでもベナコの人口を減らすため、これまでいたベナコのブルンディ難民をACESが受け持つルコレに1万人以上を移動させることになった。
 既にブルンディ難民が暮らしていたので問題なく受け入れられるとのUNHCRの考えだった。

 また、ベナコにはツチ人ルワンダ難民も3月ごろからいたが、多くはツチ人とフツ人の男女が結婚していた夫婦世帯、いわゆる「ミックスカップル」だったので、母国での対立状況が持ち込まれないようにと、彼らも受け入れることになった。
 当然、ルコレ・キャンプを受け持つACESはさらに業務が増え忙しくなった。

 ベナコに出現した巨大な難民キャンプの無数にあるテントは無秩序に建てられるのではなく、ルワンダでの行政単位である「Commune、コミューン」でまとまっていた。
 それを示すよう、それまでのコミューン名を記した小さな看板が各地区の境界に立てられた。

 援助団体だけで25万人のキャンプを管理し、維持することは不可能だった。ベナコではベルギー植民地時代からの官選市長である「Bourgmestre、ブールメストレ」もいて、その下で市役所の元職員が難民を統率していた。

 これは、まさに天の采配とも言える状況だった。この難民キャンプらしからぬ、秩序だった動きに驚きながらも、自主的にキャンプを管理する事態に国連も安心しただけでなく、膨大な難民を効率的に管理できると、積極的にルワンダでの行政制度を難民組織として活用した。

 通常の難民キャンプでは、支援物資の配給は公平性を保つため、援助団体のスタッフが直接難民に配布することが多い。少なくとも配給時には援助団体の監督下、二重配布などミスが起きないよう配給カードや身分証明書のチェックが厳密に行われる。

 しかし、ベナコでは違っていた。難民が多過ぎて、当初は世帯ごとで配布されたため、配給の度に数万人の難民が配給所に押し掛けることになった。配給所で将棋倒しになれば死傷者が出る恐れもあった。また、何らかの原因で暴動が発生しても、軍や警察が配備されておらず、それを止める手段をUNHCRやわれわれ援助団体は持っていなかった。

 これは、難民の安全面でも援助関係者にも大きなリスクだった。それを救ったのがこの難民組織を活用した物資の配布だった。ンガラの各キャンプで各地区の代表者に多くの援助物資の配布を渡し、それを各世帯に配布してもらうという方法が採られた。

 同じように、キャンプのトイレの管理と生活ゴミの処理も大きな課題だった。トイレは定期的な清掃なしには瞬く間に溢れ、感染源となり公衆衛生上大きな問題だった。このため、難民を動員して管理と定期的な清掃を、難民組織を通して実施していた。
 生活ゴミも定期的な回収をしないと害虫が発生し、伝染病の原因となった。ゴミ収集と収集場の管理は多くの人手を必要としたので、トイレの管理と同様、この難民組織を活用して清掃活動を行った。
 
 こうした難民によるトイレ管理とゴミ処理は難民の活用にもなった。手持ち無沙汰の男性難民は文字通り無尽蔵にいるので、ドル払いの日当も出て難民にも人気だった。援助団体にとっても大量のスタッフを動員する必要もなく効率的な方法だった。

 同じようにわれわれのような医療団体も恩恵を受けていた。子供への麻疹やポリオなどの予防接種のため、対象者の難民に周知して接種日に接種会場へ来てもらうには、巨大なキャンプでは情報伝達手段が口コミと掲示板に限られ困難だった。
 それを可能にしたのが、この難民組織だった。彼らに接種対象の子供と接種日時を知らせれば対象者の親に周知してくれた。われわれは当日、親と対象の子供がやってくるので、クリニックでワクチンを注射すれば済んだからだった。

 このルワンダの行政組織を基にした難民組織を通して支援を行う方法は援助団体にとってキャンプの管理において少ない人員での合理的な運営になり、難民には様々な支援を効率的に受けられ、さらに一部は収入になるという、まさに共存共栄の仕組みだった。
 難民が自らキャンプの運営と管理に寄与出来ることも、彼らの自立発展性からも理想的だった。

 だが、この仕組みがうまくいったのはあくまで最初だけで、後に大き過ぎるツケを払わされる結果になることは誰もが予想していなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み