3. ルワンダ-赦しの丘

文字数 3,550文字

1994年12月19日月曜日、午後6時
ACESンガラ事務所

 この日、ベンとチャールズがナイロビから戻った。スコールの影響でフライトの到着が遅れ、午後遅くにンガラ事務所に着いた。

 夕方、今後についての会議を事務所にみなが早めに現場から戻ったところで始めた。
 ステイシーのアメリカへの移送や、その後のアメリカ大使館とのやり取りなど、ベンは簡単に話すが、相当大変だったことは彼の険しい表情から想像がついた。

 スタッフを失うということの影響は大きい。ACESのような小さな団体ではなおのことだった。スタッフ間の動揺は隠せなかった。
 問題は今後どう対処するかだが、ベンの力量が問われる。

「もう一つ話がある。これは直前に入った情報だ」 
 ベンが国境なき医師団・フランスが年内でンガラから撤退することを公式発表したと言った。
 
 虐殺を実行したフツ人強硬派が難民キャンプを暴力で支配するだけでなく、虐殺犯を訴追しないまま支援し続けるのは、人道支援の倫理に反しているというのが理由だ。
 一瞬、銃撃事件の影響が意識をかすめたが、引き継ぎの打診はその前だったから打ち消した。

 彼らの病院はCAREが引き継ぐとのことだった。以前、われわれに引き継ぎの打診に来たが、回答期限を過ぎても確認に来なかったのはすでに決まっていたのだろう。
 CAREは、うちよりはるかに大きな団体なので、他の事業への影響もなく引き継げるだろうと、少し安心した。


「暴力による支配だったらザイールのように複数団体が撤退を表明してもいい。ンガラでは国境なき医師団・フランスだけが単独で抜け、ベルギーやオランダは残る。何かしっくりこない」  
 ベンが腑に落ちない顔で言った。

 しばらく止んでいた雨が雷とともに再び降り始めた。また大雨になるとキャンプまでの道はぬかるみ移動出来なくなって、支援物資も届かなくなる。

「先月、国連安保理事会がルワンダの虐殺犯を訴追する国際刑事判所の設置を決議しているわ」 グレイスが話し始めた。
「フツ人強硬派や殺されたハビャリマナ大統領を積極的に支援してきたフランス政府の責任も法廷で問われないかしら?」 グレイスが興味深いことを言った。

「それだ!」 ベンが手を打った。

 この前、ポールが説明してくれたルワンダ旧政府と、フランスの深いつながりが重なる。虐殺の訴追が始まれば旧政府やフツ人強硬派民兵へのフランスの関与の実態が明らかになる。

 さらに、その後フランス軍が作った「保護地域」により、そこに逃げ込んだ多くの旧政府関係者とフツ人強硬派の虐殺犯を結果的に難民キャンプに逃がし、そこで存続している。今ではフランス政府が支援してきた旧政府関係者と虐殺犯たちを、フランスの援助団体が人道支援だといって援助するという構図は全てフランスで徹底していていいが、あまりにもシュール過ぎた。
 それをメディアや団体の支援者が知ったらどうだろう。その影響は簡単に予想できた。

「人道支援の倫理に反するので撤退するという理由は、一見もっともらしい。実際は国境なき医師団・フランスだけが撤退するというのは自国政府の尻ぬぐいでみっともないからじゃないか。見え透いたことだ、ハハハッ」 と、チャールズが強烈に皮肉った。

「チャールズ、相変わらず手厳しいな。われわれも人道だとか倫理などと御託を並べるのはいいが、それで足をすくわれないように気を付けよう。援助を受ける人たちの利益が最優先だ」 
 ベンが言った。
「でも、だからといってフツ人強硬派の横暴ぶりを知らぬふりをして援助を続けるのもどうかと思うわ。ステイシーが犠牲になった今、私たちも当事者として何をしたらいいのか考えた方がいいと思うわ」 グレイスが言った。
 彼女の言葉に誰もが考えさせられた。

「グレイス、その通りだと思う。でも、どうする? 犠牲が出たから撤収という選択は、国境なき医師団よりはましとは言え、報復になり人道に反しないか?」 ベンが疑問を返した。

 このまま支援を続けることは、フツ人強硬派を無罪放免にし、彼らを増長させることに等しい。だが、犯人の訴追のないままの撤退は、犯人ではなく難民全体を罰することにもなる。
 今、難民支援でUNHCRが問われていることがわれわれにも問われだした。

 難しい問題だった。大切な仲間が犠牲になったのだ。それなのに何もなかったように援助を続けることは果たして正しいのか。自分たちは否応なしに当事者になってしまった。
 もう、善意の第三者ではなくなった。

 だからヒポクラテスの誓いを破り、フツ人強硬派への応酬のために支援を止めるのか?

『家族が彼らに殺されていたら援助出来るか?』
キガリのあの夜、ポールが言ったことが甦った。
人道支援とは何か、正義とは何か、正面から突き付けられた。

誰もが葛藤する中、重苦しい鉛のような空気が一同を包んだ。

「ゴロ、ゴロ、ゴロ」 
 雷音が近づき、雨も本降りになりだした。
 誰しもが言葉を発せず、雷鳴と雨がトタン屋根を叩く音だけが響いた。

「ド、ドーンッ!」 閃光とともに衝撃が室内を走った。
「キャッ!」 エリザベスが声を上げ、身を震わせた。

 すぐ近くに雷が落ちたようだ。
 同時に事務所玄関の扉が開いてゴーっという、音ともに突風が吹き込んだ。
 「ガチャン」 
 ガラスが割れる音ともに机の書類や壁に掛けてあったものが舞い上がり床に散らばる。
 
「ステイシー!」 グレイスが壁から落ちたフォトフレームを手にして言った。
 ガラスの割れた部分にはステイシーがいた。
 それは半年前に取材に来たカメラマンがルコレのクリニックの前で撮った集合写真だった。

「そういうことか」 ベンが静かに言った。
「ええ、そういうことね」 グレイスが笑って頷いた。
「どういうこと?」 何のことか理解出来ないチャールズが言った。
「撤退は反対ということじゃないか」 あの日の夢の中で彼女が言ったことを思い出した。
「このまま虐殺犯を支援し続けるということか?」 チャールズが声を上げた。
「ステイシーのことだから撤退でなく、出来ることを考えて欲しいということだと思うわ」 
 グレイスが言った。
「それが分からないと言ってるんだ!」 チャールズが苛立ちを全面に出す。
「撤退せずに出来ることとは、ルワンダへのクロスボーダー・オペレーションだ」 
 ベンが静かに言った。
「難民の帰還にもつながり、ここのフツ人強硬派を弱体化出来る」 アンワルが言った。
「それに、ルワンダ復興にもつながる」 早期の社会統合を求めるクリスティーンの言葉を思い出し自分が言った。

「どうやら答えが出たみたいだが、いいか?」 ベンが確認するように言った。
「ああ」、「ええ」、「はい」 との返事が続いた。

「俺は幽霊とか魂は信じないからどうでもいいが、決定なら仕方ない」 
 チャールズは不承不承受け入れた。
「チャールズ、ありがとう。これからも君の力が要る」 ベンは請うように言った。
「ボスに言われたらしょうがないな……」 チャールズが照れ笑いをした。

 これでクロスボーダー・オペレーションを本格的に実施するというACESの方針が決まった。
 国境なき医師団・フランスのように撤退するということにならず安堵した。
 難民支援の継続が不可欠な状況の撤退は、どんな理由であれ敗北を意味し、敵前逃亡と同じだ。

 ルコレのクリニックと託児所と学校については撤収や閉鎖というものではなく、今後のことも考慮してブルンディ難民とルワンダ難民を活用して維持することにした。
 われわれが管理をしながら、彼ら自身で運営する方が自助努力とオーナーシップの意識を育て、責任感を持って実施することにもつながるからだ。

 ここでの経験はそれぞれの母国に戻ってからも役立つし、今後のクロスボーダー・オペレーションとルワンダ復興にも寄与することが期待出来た。
 この部分はジョセフとザンビアから応援のダニエル、エリザベスが担当することになった。
 キャンプの託児所と学校の運営は続けられる。
 ステイシーの遺志は受け継がれた。
 
        ***

 この二日後の夜、ステイシーの追悼集会がンガラの教会でしめやかに行われた。黒いリボンかけられた彼女の写真とロウソクが置かれただけの簡素なものだったが、それが却って彼女を襲った突然の悲劇を際立たせた。
 真っ暗な教会の祭壇が次々に訪れた援助関係者のロウソクで灯され、彼女の姿が光に浮かぶ情景はあの時のものと重なった。
 
『ステイシー、ずっと一緒にいられなくてごめん。でも、君の気持はみんなと一緒だ。ルワンダの丘にまた行こう』 心の中で静かに誓った。

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