38.小さな巨人-マダム・オガタ

文字数 1,396文字

1994年7月11日月曜日、午後2時
ルコレ・キャンプ

 UNHCR事務所全体がピリピリしていた。その本部のトップがンガラの難民キャンプを視察することになったからだ。この前のような人質事件が起きれば、どれだけのクビが飛ぶか気が気でなかったのだろう。
 慌ただしく準備するスタッフを見て、何でこの大変な時期に来るのか、という怨み言が伝わってくるようで少し同情した。

 セキュリティー対策のためか、われわれACESには前々日の夕方になってルコレ・キャンプのクリニックへの訪問が伝えられた。


 その車列は午後3時過ぎ、予定よりも1時間以上遅れてルコレのクリニックに着いた。タンザニア警察の警護車両の後を何台もの白い車体に黒く「UN」と描かれたランドクルーザーが続く。

 車を降りたその女性は、1メートル50センチあるかないかの小柄な人だった。彼女が緒方貞子難民高等弁務官その人だった。何人もの大柄なボディーガードと秘書官らに囲まれると隠れて見えない。

 「金魚の糞」とはよく言ったものだ。ボディーガードに囲まれた彼女の後をぞろぞろと、タンザニア政府、国連関係者、現地外交団関係者、そしてマスコミが続く。

 ルコレ・キャンプのクリニックの案内はベンが行った。UNHCRの資金でクリニックと託児所が運営されていることを感謝し、ルコレ・キャンプの状況などを簡単に説明した。

「これからもルワンダ難民への支援をお願いします」 彼女はそう言って手を差し出した。
「はい」 と、しか言えなかったが、その小さな手からは想像出来ない強い握手が印象的だった。

「小さな巨人」とはまさに彼女のことだろう。彼女が世界各地の難民キャンプを訪れることでマスコミの注目が集まり、世界も注目する。そして、援助の資金も集まる。受け入れる現場事務所の苦労は大変だが、営業効果は抜群だ。

 到着が遅れたのはルコレに来る前にあったフツ人強硬派との交渉が長引いたからだという。その席上、何が協議されたのかは知る由もなかったが、ルワンダ難民問題はとてつもなく大きく複雑だ。それが彼女の双肩にかかっていた。

 不思議なことにその日以降、しばらくキャンプのフツ人強硬派はおとなしくしていた。それを待つかのようにUNHCRは初めての人口調査をベナコ・キャンプで行い一時的にでも人口の固定に成功した。
 その結果、ベナコの人口はこれまでの35万人から23万人へ、と下方修正された。つまり、4月の難民流入時からほとんど人口は変わらず、逆に当初の25万人より少し減っているくらいだ。
 つまりこれまで彼らによって三分の一以上、12万人分の食料をはじめとする援助物資が水増しされ、横流しなどによって彼らの懐に入っていたことになる。

 正確な人口が把握出来たものの、配給は強硬派が牛耳る難民組織が実施している以上、実際の人数分を配給すると食料などを受け取れない難民が増え、栄養状態が悪化する懸念があった。
 フツ人強硬派が自らの権力と富の源泉を手放すはずがない。

 最終的には餓死者が出て大問題となるとして援助物資はほぼ削減なしの現状維持の方針が取られる。そして、引き続き閉鎖されていない出入り自由の難民キャンプで難民がリサイクルされ、「幽霊難民」の登録者数が増えていった。
 この抜本的見直しがないまま難民組織を通しての支援方法は、キャンプを強硬派が完全に牛耳る最悪の結果につながっていった。
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