7.Enjoy Your Stay!-ルワンダ入国

文字数 3,177文字

1994年8月3日水曜日、午前8時
ウガンダ-ルワンダ国境 

 朝食の前、ロビーでアンワルが欧米人男性と話していた。彼はスイス政府の援助機関の医師だという。ここぞとばかりにキガリのことを聞いたが、彼らもルワンダに入るのは初めてらしい。クリスティーンのことも聞いてみたが、彼は首を横に振るだけだった。
 ただ、耳寄りな情報としてルワンダとの国境は開いており、援助関係者なら問題なく行き来出来るという。

 また、ウガンダ南部のルワンダとの国境に近いカバレという町では多くの国際NGOがルワンダへの援助の拠点として事務所を置いているという。
 ここに行けばルワンダ関連の情報が色々と得られるとのことだった。
 ウガンダ経由は正解のようだ。

 朝食を終えて車両に一斉に乗り込む。ルワンダの国境が開いていると知り、誰もがホッとした表情をしていた。


 ムバララを出て2時間ほどで国境の町カバレに着いた。小さな町ではあったが、坂道が入り組み、どこにNGOの事務所があるかなど見当も付かなかった。
 アンワルは土地鑑があり、知っていたホテルでNGOの事務所を教えてもらった。

 訪れたアメリカのプロテスタント系NGOの女性スタッフが教えてくれた情報はずっと探していたものそのものだった。
 クリスティーンが誰だかが分かったのだ。

 彼女のフルネームは「クリスティーン・ウムトニ」といい、ルワンダ復興社会再統合省の次官だった。
 現在、その復興省が難民の帰還、外国からの支援の窓口になっており、援助団体はここからルワンダ国内での支援活動の許可をもらうのが手順だと言う。
 なるほど、クリスティーンはよく知られているはずだ。

 事務所にあったホワイトボードに同省からのレターがファクスされ、貼られていたのを目ざとく見つけた。コピーをお願いすると快く応じてくれた。
 それは、ルワンダでの緊急援助の調整を行うUNREO、国連ルワンダ緊急事務所に宛てた復興社会再統合省大臣からのレターだった。クリスティーンの名前もあった。

 その内容は、新ルワンダ政府は外国援助団体の支援活動に対して、速やかにそれらが実施出来るよう全面的に協力するよう全省庁に通達し、その活動を保証する、というものだった。
 このレターの存在は非常に心強い。RPF新政府が、外国の援助団体がルワンダ国内で活動することを受け入れ、協力することを明確に表明していたからだ。

 このレターを見せれば葵のご紋のような効果があるかは不明だが、万が一何かあっても、新政府の外国援助団体に対する方針を説明出来る重要なものには違いない。

 嬉しさで思わず目の前の女性スタッフを抱きしめたくなり、代わりに彼女の手を握りしめた。何も知らない彼女はちょっと苦痛を感じたらしく少し顔を歪めた。

 次に訪れたアメリカの国際NGOの事務所では、ルワンダまでのロジスティックスについて話しを聞けた。応対した男性担当者によると、キガリまでの道路は再開されたばかりだが、物資輸送の問題はないという。ケニアの主要港であるモンバサから舗装道路が通じていて、一週間以内でルワンダまで物資を運べるという。
 こうした重要な情報を手にし、いよいよキガリへと向かった。

 昼過ぎにウガンダでの出国手続きをして国境を越えると、急に渋滞で行く手を阻まれた。車を降りると前方に白い赤十字の大型トラックが小川に架かる仮設橋の上で立ち往生していた。
 橋桁が壊れて後輪がはまっている。
 それを「UN」のマークの入ったイギリス軍の濃緑色の軍用トラックがルワンダ側から引っ張り上げようとしていた。川そのものは幅が狭く、歩いて渡る人もいたが、この先車が無くてはどうにもならない。仕方なくここで昼休みにした。
 
 ほぼ赤道直下、イギリス軍工兵部隊が行っている橋の修理作業を傍目で見ながら川の土手に座ってガラから持ってきた桃の缶詰とイワシのトマト煮の缶詰を赤いスイス・アーミーナイフで開けてゆく。
 みなで車座になって座り昼食を取っていると、なぜか「思えば遠くへ来たもんだ」という、昔、武田鉄也が歌っていた曲のサビの部分が頭の中で奏でられた。

 イギリス軍工兵隊の作業を遠目にのんびり食事をしている時間は、まだ内戦中のルワンダに入る前の緊張と不安との間に生じた奇妙な隙間だった。
 川岸には小さな草花が生え、その間をモンシロチョウが飛ぶのどかな風景からは、ルワンダ内戦下にあるとは信じられなかった。
 そして、よっぽどわれわれのピクニック風景が珍しいのか、なぜか兵士がわれわれをカメラで撮っていた。

 一時間もすると工兵隊の修理が完了して車列が動き出した。ただ、応急処置だったためか、大型車両は規制されていた。
 ランドクルーザーに乗り込むと、近くに寄ってきた子供たちに残ったパンと缶詰を手渡してルワンダの国境へと向かった。


 ルワンダに入国する前にUNOMUR(UN Observer Mission Uganda-Rwanda、国連ウガンダ-ルワンダ監視団)の事務所での検査があった。その事務所の前には国連の淡い青の旗がはためいていた。
 手続きは簡単で、入国の書類にパスポート情報等の必要事項を記入するだけでスタンプもなかった。担当のバングラデシュ兵が手際よく手続きをしてくれた。

「Enjoy your stay!良い滞在を」と、言われたが、こっちはこれからの道中の不安のためか、何も返せなかった。

 国連の建物を出ると、平屋のドライブインのような建物のルワンダの国境事務所が見えた。入口に受付があって数人の援助関係者らしい欧米人が入国手続きを待っている。
 受付にある机の上に置いてあった用紙に必要事項を書き込んでいく。
 
 職業欄には「ボランティア」ではなくて「Aid Worker、援助従事者」と書いた。日本ではボランティアというと援助活動をする人の代名詞のようだが、海外でボランティアは危険な地域や無給で援助活動をする人たちを総称し、結局どの職種のボランティアか聞かれるからだ。
 そもそも、ボランティアは元々は英語で義勇兵という意味だ。

 列に並んでいるとわれわれの番がやってきた。深緑の制服にオレンジのベレー帽を被ったRPF兵士に聞かれた。
「このACESとは何ですか」 所属団体名の欄を指した。
「それは国連ですか」 と、さらに聞かれる。
「いえ、NGOです」 ベンが答えた。
 一瞬、兵士の表情に疑いの念が見えた。ルスモでもそうだったがNGOという言葉を知らないのだろうか。こうなると問題はややこしくなりそうだ。

 今朝もらった政府のレターのコピーを出して見せると、兵士がそれを持って奥の部屋に入った。
 暫くして上官らしい同じ制服の兵士が出てきて同じ質問を繰り返した。
「このレターにあるようにNGOの活動は全面的に保証されているので、協力してもらえると助かります」 ベンが上官に向かって言った。

 上官はレターのコピーをよく見ながら大きく頷いた。
 それはルワンダへの入国が許された瞬間だった。

「やった!」 そう思うと事務所を一斉に駆け出し車に飛び乗った。
 ここからの道は右側通行だった。

 国境事務所の周囲にはウガンダから帰還してきた難民らしい集団が野宿をしていた。滞在しているのか留め置かれているのかは分からないが、UNHCRの青いビニールシートがテントのように張られ、炊事の煙も上がっている。

 出発した直後、道路両脇の丘に茶色の中央アジアの岩壁に作られた穴居住宅を思わせる茶色い草ぶきの小屋が立ち並んでいた。きれいに整備されていたが、住民の影は全くなかった。

 グレイスによると内戦中に出来たツチ人の国内避難民キャンプだという。誰もいないということは故郷に帰ったのだろうか。ツチ人の虐殺が行われていただけに、無事に故郷に帰れたのか気になった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み