8.ンガラへの帰路-ルワンダ東部の無人地帯
文字数 3,853文字
1994年8月11日木曜日、午前8時30分
キガリ市内
翌朝、ポールを始めこの家の住人たちに感謝して車に乗り込み門を出た。
子犬たちも元気に庭を元気に走り回っている。
「サファリ・ンジェマ! 良い旅を」
と、われわれの旅路の安全を願ってくれた。
短期間ではあったが、ここの住人とは激論も交わしたせいか不思議な連帯感が生まれ、なんだか名残惜しかった。
これからは初めて通るタンザニアまでの道だ。ルスモの国境まで160キロ、4時間もかからないという。順調に行けば午後にはガラに着くはずだ。
キガリからタンザニアへの道はよく整備され問題なかった。
道中、幾つもの村を通り過ぎるが、人影はない。ただ、RPF兵士による検問が多数あり、その都度パスポートのチェックを受けた。ただ、ちらりと確認するとすぐに通してくれた。
検問といっても道路の両端にドラム缶を立て、その上に細い竹の棒を載せただけの、注意しないと見落としてしまうものだった。
「アンワルッ!」 突然、前のベンが叫んで目が覚めた。
それは4か所目の検問だった。急ブレーキを踏んだが、棒の間にすっぽりと、ボンネット部分が入って止まった。アンワルが居眠りしていて見落としたのだ。
驚いたRPFの兵士たちに車を囲まれ、開いていた窓から突然、何本ものAK47の銀色の鈍く光った銃口が突き付けられた。
「なぜ止まらない!」 上位の兵士が銃口をこちらに向けて怒鳴った。
アンワルが見落としたといってしきりに頭を下げ謝っている。
何本も銃口を突き付けられたが、不思議と恐怖はなかった。チャージングレバーという突起を引いて、「ガチャッ」という銃弾を装てんして発射可能な状態にする音がしなかったからだ。その動作なしに引き金を引いても弾は出ない可能性が高い。それが分かるほど不思議と冷静だった。
だが、その後で車から引きずり下ろされての取り調べられは覚悟した。その方が恐い。どこかに連れて行かれ、その場で処刑される可能性もあったからだ。
同時に身分証なども処分されれば、何ら手がかかりもなく忽然 と消え、行方不明となったまま朽ちるのだろう。
途上国で行方不明になり、見つからない理由がなんとなく理解できた。
幸いベンが、運転手が病気で頭が痛くてボーっとしていたと言い訳したらあっさり許してくれた。
『助かった』 間一髪だった。
一息つく間もなく検問所を出て再び走り出した。
後ろのモーゼスの車は問題ないようだった。
「ソーリー、久しぶりに彼女に会ったものだから」 と、アンワルが済まなそうに答えた。
そういえば、彼は昨夜外泊していたのを思い出した。
「アンワル、しっかりしてくれ! 危なかったぞ」 ベンが彼をきつくたしなめた。
あのまま検問を突破していたら絶対に撃たれていた。
その後のルスモまでの道は順調だった。
標高差はあまりなく、鬱蒼としたジャングルが覆い、雨期特有の小雨が降る中を2台の車が進んでいった。
ベンが突然出現する検問を見落とさないよう、アンワルの運転を注意しながら進む。
ルワンダ東部の一番大きい町、キブンゴを通過した。ここも人の気配は無い。破壊された跡も無く、無人の町を見慣れていたとはいえ、ここまで静まり返っているというのはやはり異様だ。
ルワンダ再建には国民がいないと始まらない。クリスティーンの言うように、早急に難民と避難民の帰還が不可欠だった。
問題はどうやって帰還を進めるかだ。RPFからの報復を喧伝している旧政府側が支配する難民キャンプでは、帰還する難民を妨害・阻止することが予想される。帰還に反対してのキャンプでの暴動など考えるだけでも身の毛がよだつが、既に強硬派による帰還希望者への殺傷事件も起きていたので、帰還する難民への安全をどうやって保障するかが成否を分けるだろうが、困難なことになるだろうと予想された。
キブンゴの町に入ると、多くのツチ人住民が虐殺されたというレンガ造りの赤い大きなカトリック教会が見えた。虐殺の最中、多数のツチ人住民が救いを求めて逃げ込み、それをフツ人強硬派が包囲して中のツチ人を次々に銃やマシェティで惨殺したという。
アンワルによれば、当初はおびただしい数の死体と異臭で近寄れないほどだったという。目の前に建っているのは濃いジャングルの中にそびえる静かで落ち着いた教会だった。その外見からはそんなことがあったとは知る由もなかった。
この教会のように、虐殺の舞台となった場所はルワンダ国内に多数あった。多くの聖職者やシスターが虐殺に反対し、共に犠牲になったという。
クリスティーンが言っていたような和解は本当に可能なのだろうか。もしかしたら、彼女自身も無理と分かりつつも、フツ人強硬派打倒に立ち上がったRPFの正当性のための政治的スローガンを語っているだけなのかも知れない。
いずれにしても、長い時間と気の遠くなるような努力が必要だろう。
多くの虐殺の傷跡に遭遇するにつれ、その思いが強くなる。
ルスモの国境には昼過ぎに到着した。見慣れたルワンダの国境事務所の建物が左手上方に見えた。警備の兵士に促されて階段の前で車を停めてみなで上がってゆく。
今回はクリスティーンの手紙を持っていて、その効果があるか明らかになる。
事務所の中は配置替えがあったのか、初めて見る兵士ばかりだった。
パスポートを見せ、次いでクリスティーンからの手紙を見せた。出国しようとする人間を阻止することもないはずだが、一度手紙を見せておけば彼女からのお墨付きを持っているということで、次にルワンダに入国する時、楽だろうとの計算だった。
「You can go. 行っていいですよ」 と、レターを見た兵士が事もなげに言った。
手紙のせいかどうか分からなかったが、身構えていた分、何もなく拍子抜けした。
だが、その兵士に男の子を一人、ベナコまで乗せて欲しいと頼まれた。
クリスティーンが言っていたような家族と生き別れた子供か、孤児なのだろうか。
ベンは見ず知らずの子供を乗せるのは孤児の人身売買の可能性もあり気乗りしないようだったが、断ったらこのまま出国出来ても入国出来ないかもしれないので受け入れた。
「分かりました」 と、渋々ベンが言う。
すると、タンザニアの小学校の上下の制服を着た10歳くらいの男の子が荷物を持って奥から出てきた。
エマニュエルと名乗ったその男の子はベナコからすぐの道路沿いに家があるタンザニア人だと言う。ルワンダの親戚を訪ねた帰りだという。その割には荷物が少なく茶色のキャンバス製の肩掛けバッグ一つだけだった。
ルスモの橋を渡るとタンザニアだった。ルワンダから難民が通ったルートをわれわれも通過したかと思うと、なぜか少し感慨深い。
タンザニア国境事務所は相変わらずのんびりしていた。顔見知りになった出入国管理官にパスポートを渡すと、ウガンダ経由でルワンダに入ったことに驚いていた。
「ルワンダはどんな様子だ?」と、逆に様子を聞かれた。
「人が全然いなくて異様な感じだった」 と、キガリの様子を説明した。
そして、一等書記官の家に泊まっていたと言うと、彼の様子を聞かれた。彼らもポールがキガリに一人でいることを心配していたらしい。
ポールを知っていると言ったからなのか、ビザの「チャイ」は要求されなかった。男の子もタンザニアのパスポートを提示して難なく入国した。
タンザニアに入り右側から左側へと車線が変わった。
ベナコに向け舗装道路をひた走る。放棄された市場を過ぎたくらいの所から難民らしい集団を見かける。
緩やかに右に大きく曲がる道を抜けると水源になっている巨大な池、それにOXFAMの銀色のタンクとドイツ赤十字の病院が見えてきた。
8日ぶりのベナコだったが随分久しぶりのような感じがした。
「この前、飛行機に乗ってベナコの上を飛んでたでしょう?」
自分とステイシーの間に座ったエマニュエルがきれいな英語で聞いてきた。
「え、あの時見てたの?」 彼の指摘に驚いた。
「はい。妹のサラと見てました」 エマニュエルは答えた。
『妹はサラというのか』
テディベアを持っていた女の子を思い出した。
「驚かしてごめんね」 とっさにそう答え『遊覧飛行だ』などと言って、無邪気にキャンプ上空を低空で飛んだ白髪の老パイロットの無謀さを思い出した。
「ここです」
間もなくしてエマニュエルが停めて欲しいと言った。
道路左奥が彼の家だった。家といっても泥壁の小屋だったが、母親らしいこげ茶のセーターにオレンジ色の前掛けをした女性が立っていた。妹のサラの姿は見えなかった。
エマニュエルは不思議な男の子だった。緊張しているのか、同じくらいの年の男の子にしてはとても落ち着き、車に乗っていても子供には珍しく車には全く興味がないようだった。
喋る英語も田舎の子供にしては綺麗で、国境のRPFの兵士が協力的だったのも妙だった。
***
最後の急勾配の坂を登るとンガラだった。キガリは内戦が終わったばかりで都市機能が麻痺していたとはいえ、一国の首都だけあって都会だった。それに比べ、ンガラは何もない埃まみれのうらぶれた田舎町だった。
帰るとまず荷物を置き、いつものレストランに行き昼食にした。メニューは相変わらず何の動物の肉か分からない肉と臓物の煮込みがメインだったが、キガリの市場で見た凄惨な肉売り場のことなど全く忘れ、不思議と懐かしさを覚えて全部を平らげた。
キガリ市内
翌朝、ポールを始めこの家の住人たちに感謝して車に乗り込み門を出た。
子犬たちも元気に庭を元気に走り回っている。
「サファリ・ンジェマ! 良い旅を」
と、われわれの旅路の安全を願ってくれた。
短期間ではあったが、ここの住人とは激論も交わしたせいか不思議な連帯感が生まれ、なんだか名残惜しかった。
これからは初めて通るタンザニアまでの道だ。ルスモの国境まで160キロ、4時間もかからないという。順調に行けば午後にはガラに着くはずだ。
キガリからタンザニアへの道はよく整備され問題なかった。
道中、幾つもの村を通り過ぎるが、人影はない。ただ、RPF兵士による検問が多数あり、その都度パスポートのチェックを受けた。ただ、ちらりと確認するとすぐに通してくれた。
検問といっても道路の両端にドラム缶を立て、その上に細い竹の棒を載せただけの、注意しないと見落としてしまうものだった。
「アンワルッ!」 突然、前のベンが叫んで目が覚めた。
それは4か所目の検問だった。急ブレーキを踏んだが、棒の間にすっぽりと、ボンネット部分が入って止まった。アンワルが居眠りしていて見落としたのだ。
驚いたRPFの兵士たちに車を囲まれ、開いていた窓から突然、何本ものAK47の銀色の鈍く光った銃口が突き付けられた。
「なぜ止まらない!」 上位の兵士が銃口をこちらに向けて怒鳴った。
アンワルが見落としたといってしきりに頭を下げ謝っている。
何本も銃口を突き付けられたが、不思議と恐怖はなかった。チャージングレバーという突起を引いて、「ガチャッ」という銃弾を装てんして発射可能な状態にする音がしなかったからだ。その動作なしに引き金を引いても弾は出ない可能性が高い。それが分かるほど不思議と冷静だった。
だが、その後で車から引きずり下ろされての取り調べられは覚悟した。その方が恐い。どこかに連れて行かれ、その場で処刑される可能性もあったからだ。
同時に身分証なども処分されれば、何ら手がかかりもなく
途上国で行方不明になり、見つからない理由がなんとなく理解できた。
幸いベンが、運転手が病気で頭が痛くてボーっとしていたと言い訳したらあっさり許してくれた。
『助かった』 間一髪だった。
一息つく間もなく検問所を出て再び走り出した。
後ろのモーゼスの車は問題ないようだった。
「ソーリー、久しぶりに彼女に会ったものだから」 と、アンワルが済まなそうに答えた。
そういえば、彼は昨夜外泊していたのを思い出した。
「アンワル、しっかりしてくれ! 危なかったぞ」 ベンが彼をきつくたしなめた。
あのまま検問を突破していたら絶対に撃たれていた。
その後のルスモまでの道は順調だった。
標高差はあまりなく、鬱蒼としたジャングルが覆い、雨期特有の小雨が降る中を2台の車が進んでいった。
ベンが突然出現する検問を見落とさないよう、アンワルの運転を注意しながら進む。
ルワンダ東部の一番大きい町、キブンゴを通過した。ここも人の気配は無い。破壊された跡も無く、無人の町を見慣れていたとはいえ、ここまで静まり返っているというのはやはり異様だ。
ルワンダ再建には国民がいないと始まらない。クリスティーンの言うように、早急に難民と避難民の帰還が不可欠だった。
問題はどうやって帰還を進めるかだ。RPFからの報復を喧伝している旧政府側が支配する難民キャンプでは、帰還する難民を妨害・阻止することが予想される。帰還に反対してのキャンプでの暴動など考えるだけでも身の毛がよだつが、既に強硬派による帰還希望者への殺傷事件も起きていたので、帰還する難民への安全をどうやって保障するかが成否を分けるだろうが、困難なことになるだろうと予想された。
キブンゴの町に入ると、多くのツチ人住民が虐殺されたというレンガ造りの赤い大きなカトリック教会が見えた。虐殺の最中、多数のツチ人住民が救いを求めて逃げ込み、それをフツ人強硬派が包囲して中のツチ人を次々に銃やマシェティで惨殺したという。
アンワルによれば、当初はおびただしい数の死体と異臭で近寄れないほどだったという。目の前に建っているのは濃いジャングルの中にそびえる静かで落ち着いた教会だった。その外見からはそんなことがあったとは知る由もなかった。
この教会のように、虐殺の舞台となった場所はルワンダ国内に多数あった。多くの聖職者やシスターが虐殺に反対し、共に犠牲になったという。
クリスティーンが言っていたような和解は本当に可能なのだろうか。もしかしたら、彼女自身も無理と分かりつつも、フツ人強硬派打倒に立ち上がったRPFの正当性のための政治的スローガンを語っているだけなのかも知れない。
いずれにしても、長い時間と気の遠くなるような努力が必要だろう。
多くの虐殺の傷跡に遭遇するにつれ、その思いが強くなる。
ルスモの国境には昼過ぎに到着した。見慣れたルワンダの国境事務所の建物が左手上方に見えた。警備の兵士に促されて階段の前で車を停めてみなで上がってゆく。
今回はクリスティーンの手紙を持っていて、その効果があるか明らかになる。
事務所の中は配置替えがあったのか、初めて見る兵士ばかりだった。
パスポートを見せ、次いでクリスティーンからの手紙を見せた。出国しようとする人間を阻止することもないはずだが、一度手紙を見せておけば彼女からのお墨付きを持っているということで、次にルワンダに入国する時、楽だろうとの計算だった。
「You can go. 行っていいですよ」 と、レターを見た兵士が事もなげに言った。
手紙のせいかどうか分からなかったが、身構えていた分、何もなく拍子抜けした。
だが、その兵士に男の子を一人、ベナコまで乗せて欲しいと頼まれた。
クリスティーンが言っていたような家族と生き別れた子供か、孤児なのだろうか。
ベンは見ず知らずの子供を乗せるのは孤児の人身売買の可能性もあり気乗りしないようだったが、断ったらこのまま出国出来ても入国出来ないかもしれないので受け入れた。
「分かりました」 と、渋々ベンが言う。
すると、タンザニアの小学校の上下の制服を着た10歳くらいの男の子が荷物を持って奥から出てきた。
エマニュエルと名乗ったその男の子はベナコからすぐの道路沿いに家があるタンザニア人だと言う。ルワンダの親戚を訪ねた帰りだという。その割には荷物が少なく茶色のキャンバス製の肩掛けバッグ一つだけだった。
ルスモの橋を渡るとタンザニアだった。ルワンダから難民が通ったルートをわれわれも通過したかと思うと、なぜか少し感慨深い。
タンザニア国境事務所は相変わらずのんびりしていた。顔見知りになった出入国管理官にパスポートを渡すと、ウガンダ経由でルワンダに入ったことに驚いていた。
「ルワンダはどんな様子だ?」と、逆に様子を聞かれた。
「人が全然いなくて異様な感じだった」 と、キガリの様子を説明した。
そして、一等書記官の家に泊まっていたと言うと、彼の様子を聞かれた。彼らもポールがキガリに一人でいることを心配していたらしい。
ポールを知っていると言ったからなのか、ビザの「チャイ」は要求されなかった。男の子もタンザニアのパスポートを提示して難なく入国した。
タンザニアに入り右側から左側へと車線が変わった。
ベナコに向け舗装道路をひた走る。放棄された市場を過ぎたくらいの所から難民らしい集団を見かける。
緩やかに右に大きく曲がる道を抜けると水源になっている巨大な池、それにOXFAMの銀色のタンクとドイツ赤十字の病院が見えてきた。
8日ぶりのベナコだったが随分久しぶりのような感じがした。
「この前、飛行機に乗ってベナコの上を飛んでたでしょう?」
自分とステイシーの間に座ったエマニュエルがきれいな英語で聞いてきた。
「え、あの時見てたの?」 彼の指摘に驚いた。
「はい。妹のサラと見てました」 エマニュエルは答えた。
『妹はサラというのか』
テディベアを持っていた女の子を思い出した。
「驚かしてごめんね」 とっさにそう答え『遊覧飛行だ』などと言って、無邪気にキャンプ上空を低空で飛んだ白髪の老パイロットの無謀さを思い出した。
「ここです」
間もなくしてエマニュエルが停めて欲しいと言った。
道路左奥が彼の家だった。家といっても泥壁の小屋だったが、母親らしいこげ茶のセーターにオレンジ色の前掛けをした女性が立っていた。妹のサラの姿は見えなかった。
エマニュエルは不思議な男の子だった。緊張しているのか、同じくらいの年の男の子にしてはとても落ち着き、車に乗っていても子供には珍しく車には全く興味がないようだった。
喋る英語も田舎の子供にしては綺麗で、国境のRPFの兵士が協力的だったのも妙だった。
***
最後の急勾配の坂を登るとンガラだった。キガリは内戦が終わったばかりで都市機能が麻痺していたとはいえ、一国の首都だけあって都会だった。それに比べ、ンガラは何もない埃まみれのうらぶれた田舎町だった。
帰るとまず荷物を置き、いつものレストランに行き昼食にした。メニューは相変わらず何の動物の肉か分からない肉と臓物の煮込みがメインだったが、キガリの市場で見た凄惨な肉売り場のことなど全く忘れ、不思議と懐かしさを覚えて全部を平らげた。