32.人質事件

文字数 2,553文字

1994年6月15日水曜日、午前9時
ンガラ、K9地区

 ガテテの追放後、ベナコ・キャンプにおける治安が急激に悪化し、ベナコ内に事務所を置くNGOに対して単独の移動は危険であると、ベナコへの出入りは車列を組んでのコンボイによる移動になった。

 この日の朝9時、ベナコ・キャンプにおける子供への一斉予防接種のため、ACESも応援で手伝うことになり、K9に向かった。K9の車寄せに各医療団体の車両が続々と集結した。
 そこでコンボイを形成してベナコまで移動することになっていた。UNHCRのコンボイリーダーの車両を先頭に、10台ほどが列を成し、最後に殿(しんがり)としてサブリーダーのUNHCRの車両が挟むようにした。

 われわれACESの2台は2番目のコンボイ2に組み入れられた。出発前、コンボイリーダーから注意として、UHF無線のチャンネルを6にセットすること、窓を閉めドアをロックすること、車間距離は30メートル以内にすること、非常事態発生時は停止せず移動することなど、ブリーフィングを受けた。

 ブリーフィング後、コンボイ1からK9を出た。5分おいてコンボイ2の真ん中になったわれわれACESの2台の車両には先にアンワルの運転でステイシーとチャールズにエリザベス、後のピックアップには運転手のモーゼスに自分とベン、グレイスがそれぞれ乗り込んだ。

 ベナコ・キャンプに入るとスピードを落とし、車列を保ちながらキャンプの大通りを上がっていく。幅20メートルのキャンプの赤土のメインストリートの両脇には木製の板の上に様々な商品を置いただけの店が多く並び、すでに営業を始めていた。

 板の上には櫛、歯ブラシ、爪切りなどの日用品からサングラスに、動くかどうかも分からない腕時計が売られている。それに配給物資で作られた揚げパンを作る屋台や援助物資のトウモロコシで作ったドブロク屋が並ぶ。
 それらを囲むような難民の群れ。仕事もなく手持ち無沙汰な男ばかりがあてもなく徘徊するだけで、女性は家事や水汲み、子供の面倒や屋台を切り盛りなどで忙しいのか、商売をしている人以外は見かけない。

 右折してしばらくすると急に人が増え出した。どの男も怒りに満ちているようでこちらをギッと睨みつける。そして、われわれの前を走る車列の速度が急に落ちた。

「非常、非常! 各局、こちらコンボイ2リーダー!」 先頭を走る車からの緊急無線だ。

「先行のコンボイ1が暴徒に取り囲まれた。その場に停車し待機せよ。繰り返す……」
 無線から緊張した声が流れる。

「なんかやばそうだな」 ベンが助手席から後ろを向いて言う。
「こっちに影響がないといいけど」 グレイスが不安気に応じる。

 急激に周囲の男たちがさらに増え、われわれの車に向かって叫び始めた。
「なんて言ってるんだ?」 キニヤルワンダ語を解さない自分が聞いた。
「ガテテをキャンプに戻せ、国連に死を、と言っているわ」 
 グレイスがためらいながら答えた。

 男たちはフツ人強硬派の集団なのか、キャンプから国連によって追放されたガテテの復帰を求めていた。 
 さらに男たちの叫びは大きくなり、黒い集団がより大きくなり埃が舞い始める。

「コンボイ2から各局、コンボイ2リーダー! 各局、全力で脱出せよ!」 
 無線から叫ぶ声が流れた。

「モーゼス、全速で離脱だ!」 ベンが発すると同時に車載無線を掴んだ。
「アンワル、脱出する!」 ベンが続けて叫んだ。

 無線での個人名での呼びかけは安全上、禁止されていたが、構っていられなかった。
 前方を確認すると、アンワルの車が男たちに取り囲まれて見えない。
 一瞬にして緊張感が高まった。

「ベン、助けて!」 ステイシーの悲痛な声が無線から入る。
「待ってろ!」 言うや否や、ベンが助手席から飛び出そうと、シートベルトを外した。
「ベン、行っちゃ駄目よ!」 グレイスの声が車内に響く。
「分かった。モーゼス、全速前進だ!」 
 ベンが叫び、クラクションを鳴らしながらピックアップが黒い群れの中、唸りを上げて前進する。

 前には男たちが群がり、喚きながらアンワル達が乗るランドクルーザーを揺らしている。
 それは大音響のヒップホップ音楽に合わせ、大きく前後左右に波打つアメリカの改造車のようだ。このままでは転覆させられる。
 われわれのピックアップがその群衆に割って入った。

 ランドクルーザーを取り囲んでいる難民が気付いて後ろを向いた。
「今だ、突っ込め!」 ベンが叫び、エンジンが唸った。
 ピックアップがランドクルーザーを取り囲む男たちをラッセル車のようにかき分けた。
 その一瞬、男たちがランドクルーザーから離れ、隙間が出来た。
 アンワルはそれを見逃さなかった。

 大きなクラクション音と共にランドクルーザーが前進した。虚を突かれた男たちは一気に左右へと引いた。
 同時にモーゼスがスピードを上げる。

 難民の黒い海をかき分けるように2台の車両はベナコをそのまま突っ切り、キャンプの反対方面からK9に戻った。

 われわれの車両がK9の車寄せで停まるとベンが走り出てランドクルーザーに向かった。
 グレイスと自分も続く。車内を見るとステイシーとエリザベスは後部座席で抱き合ったまま泣いていた。

「ポレサーナ、可哀そうに」 
 グレイスそう言って乗り込み、彼女たちを強く抱きしめた。

 外に出てきた国連職員に確認するとコンボイ1の車両に乗っていた国連職員が拉致され、キャンプは直ちに閉鎖されたという。
 予防接種は当然ながら無期限延長となった。

「ここにいてもどうにもならない。事務所に引き揚げよう」 
 ベンがそう言うと全員が車両に乗り込んだ。

 ンガラまでの道を揺られながら、拉致された国連職員の安否確認が無線で必死にやり取りされているのを聞き、改めて危機一髪だったことを実感した。

 この日、ガテテの追放に反対するフツ人強硬派が、その撤回を求め一斉に暴動を起こしたのだった。
 幸い拉致された国連職員は夕方には解放されたが、ンガラの難民キャンプで支援活動を実施する援助団体からUNHCRの安全対策への不満は頂点に達した。

 その夜、フランスの援助団体の主導でUNHCRに対し強い調子の改善要求を出すことになり、各団体は意見をまとめて欲しいとの連絡が無線であった。
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