1.ルワンダ復興社会再統合省にて
文字数 1,369文字
1994年8月9日火曜日、午後1時
キガリ、復興社会再統合省
『いよいよクリスティーンに会える』
心躍らせ午後、商工会議所に向った。
受付には先日と同じ女性二人がいた。
椅子に座り面談の約束時間の午後1時になるのを待った。待っている間、三人で彼女に聞く内容を確認した。
「どうぞ」 部屋の中から優しい声がした。
まるでずっと探していた恋人に会えるような心持ちだった。
「クリスティーン」という名前だけを頼りにここまで来たのだから。
受付の女性に促され、イスから立ち上がりドアをノックして部屋に入った。中には大きな事務机を前にして「クリスティーン」が座っていた。小柄な三十歳半ばの笑顔が素敵な女性だった。
「こんにちは。初めまして」 と、声を掛けた。
「こんにちは。ようこそ。そちらにどうぞ」 声もチャーミングだった。
「タンザニアからここまで来るのは大変だったんです」 と、ウガンダ経由でタンザニアから来たと話した。彼女に会うためにはるばるやってきたような言い草に自分でも恥ずかしくなった。
「それは大変だったですね」 と、彼女は笑顔で労ってくれた。
ステイシーが肘で突くので自分は黙り、ベンが本題に入った。
われわれはアフリカのNGOで、タンザニアのブルンディ難民とルワンダ難民のキャンプで医療援助を行い、今後は帰還する難民が立ち寄れるよう、ルスモからキガリまで途中数か所に設けられるトランジット・センターという帰還支援施設でのクリニックを運営するプロジェクトをUNHCRと協力し進めたいと説明した。もちろん、ルワンダ国内のクリニックでは地元住民も診察する。
「ありがとうございます。それは良いアイディアですね」
そう言って彼女はわれわれの支援を歓迎してくれた。
そして、彼女は緊急の支援として肉親と生き別れた子供の問題や虐殺で親を亡くした孤児、マラリアや下痢感染症などの医薬品が枯渇し、内戦の影響でルワンダの医療体制全体がひっ迫していることなど、ルワンダが直面する厳しい状況を説明した。
問題が山積した混沌とした状況で、これが内戦の結果なのかと思い愕然とした。もちろん、彼女もわれわれが全てを出来るとは思っていないだろう。まずはルワンダの緊急支援ニーズをわれわれに伝えただけだ。
全体像を把握して、われわれが出来る支援をやればいい。
最後にルスモの国境を超えるためにレターを出してもらえないかお願いした。すると一枚の白い便せんを出してペンで書き出した。
「この方々の入国を認めて下さい。
復興社会再統合省 クリスティーン 1994年8月9日」
手渡されたレターの文面はそれだけだった。本当にクリスティーンが書いたなんて信じてもらえるのだろうか。でなければまた大きく迂回してのウガンダ経由の旅になる。それは避けたい。
「新政権はまだ出来たばかりで、困難なことばかりです。みなさんのお力が欠かせません」
彼女はそう言ってわれわれと別れの握手を交わした。
15分ほどの短い面談だった。苦労してキガリにやって来たが、劇的なものはない、終わってみれば呆気ないもので拍子抜けした。
しかし、そんなことはクリスティーンに関係ない、単にこっちの思い込みだ。
だが、われわれの力が欠かせない、と言われると何だか頑張ろう、という気にさせる不思議な魅力を持った人だった。
キガリ、復興社会再統合省
『いよいよクリスティーンに会える』
心躍らせ午後、商工会議所に向った。
受付には先日と同じ女性二人がいた。
椅子に座り面談の約束時間の午後1時になるのを待った。待っている間、三人で彼女に聞く内容を確認した。
「どうぞ」 部屋の中から優しい声がした。
まるでずっと探していた恋人に会えるような心持ちだった。
「クリスティーン」という名前だけを頼りにここまで来たのだから。
受付の女性に促され、イスから立ち上がりドアをノックして部屋に入った。中には大きな事務机を前にして「クリスティーン」が座っていた。小柄な三十歳半ばの笑顔が素敵な女性だった。
「こんにちは。初めまして」 と、声を掛けた。
「こんにちは。ようこそ。そちらにどうぞ」 声もチャーミングだった。
「タンザニアからここまで来るのは大変だったんです」 と、ウガンダ経由でタンザニアから来たと話した。彼女に会うためにはるばるやってきたような言い草に自分でも恥ずかしくなった。
「それは大変だったですね」 と、彼女は笑顔で労ってくれた。
ステイシーが肘で突くので自分は黙り、ベンが本題に入った。
われわれはアフリカのNGOで、タンザニアのブルンディ難民とルワンダ難民のキャンプで医療援助を行い、今後は帰還する難民が立ち寄れるよう、ルスモからキガリまで途中数か所に設けられるトランジット・センターという帰還支援施設でのクリニックを運営するプロジェクトをUNHCRと協力し進めたいと説明した。もちろん、ルワンダ国内のクリニックでは地元住民も診察する。
「ありがとうございます。それは良いアイディアですね」
そう言って彼女はわれわれの支援を歓迎してくれた。
そして、彼女は緊急の支援として肉親と生き別れた子供の問題や虐殺で親を亡くした孤児、マラリアや下痢感染症などの医薬品が枯渇し、内戦の影響でルワンダの医療体制全体がひっ迫していることなど、ルワンダが直面する厳しい状況を説明した。
問題が山積した混沌とした状況で、これが内戦の結果なのかと思い愕然とした。もちろん、彼女もわれわれが全てを出来るとは思っていないだろう。まずはルワンダの緊急支援ニーズをわれわれに伝えただけだ。
全体像を把握して、われわれが出来る支援をやればいい。
最後にルスモの国境を超えるためにレターを出してもらえないかお願いした。すると一枚の白い便せんを出してペンで書き出した。
「この方々の入国を認めて下さい。
復興社会再統合省 クリスティーン 1994年8月9日」
手渡されたレターの文面はそれだけだった。本当にクリスティーンが書いたなんて信じてもらえるのだろうか。でなければまた大きく迂回してのウガンダ経由の旅になる。それは避けたい。
「新政権はまだ出来たばかりで、困難なことばかりです。みなさんのお力が欠かせません」
彼女はそう言ってわれわれと別れの握手を交わした。
15分ほどの短い面談だった。苦労してキガリにやって来たが、劇的なものはない、終わってみれば呆気ないもので拍子抜けした。
しかし、そんなことはクリスティーンに関係ない、単にこっちの思い込みだ。
だが、われわれの力が欠かせない、と言われると何だか頑張ろう、という気にさせる不思議な魅力を持った人だった。