あとがき2 年月を経て明らかになっていった事実
文字数 947文字
作者がタンザニアのンガラでのルワンダ難民キャンプでの支援活動をしていた頃は完全な混乱状態で、ルワンダ国内で何が起きていたのかは国際放送や現地での国連の会議からがせいぜいで、ほとんど分からなかったのが実情だった。
キャンプにおいてもジュノサイド実行犯と一般の難民が同じ場所にいるとは考えてもみなかった。
まして、実行犯によって完全にキャンプが支配されるとは思いもよらなかった。
作中のように巨大な難民キャンプを少ない援助関係者で維持することなど到底不可能だった。
ナイーブと言われればそれまでだが、虐殺を行ったフツ人強硬派が中心の難民組織の正体が明らかになるのは彼らが難民キャンプの隅々までその触手が伸ばし、がんじがらめになっていてからだった。
だが、分かった時はもはや手遅れの状態だった。
その後は、本文中のように恐怖と暴力が支配する地獄のような状況が続く。
英語に「benefit of the hindsight」という言葉がある。日本語には、「後から分かったこと」などと訳せるが、ルワンダで起きたジュノサイドとルワンダ難民は、そうのようなことばかりだった。
当初、ジュノサイドや強硬派の真相と実態を握っていたのは各地から報告を受けていた国連安保理など一部で、詳細は秘匿されていた。
また、多くの情報は断片的で全貌を把握していた人物はそもそもいなかっただろうし、把握するとしても時間がかかっただろう。
本書は当時のルワンダ国内と、タンザニア、ザイールにあった難民キャンプなどで作者自身が現地で実際に見聞きした経験を本書の基礎とし、史実に基づいている。
こうした断片的な情報とともに、その後公開されたアメリカの外交文書や国連の電信記録などで裏付けし、全体像を把握していった。そのおかげで、かなり真実に近づけたと思う。
そうした文章の公開には機密指定が解除される10年、20年、または30年という年月が必要で、全容解明にはどうしても時間がかかる。
それに、1994年のルワンダ危機に関して大統領機撃墜の真犯人など、まだ不明なことも多く、いつか解明されるかも分からない。
自分も本書を書きながら、やっと理解出来た当時の出来事がたくさんある。
本書もそうした理由で完成するのに時間が必要だった。
キャンプにおいてもジュノサイド実行犯と一般の難民が同じ場所にいるとは考えてもみなかった。
まして、実行犯によって完全にキャンプが支配されるとは思いもよらなかった。
作中のように巨大な難民キャンプを少ない援助関係者で維持することなど到底不可能だった。
ナイーブと言われればそれまでだが、虐殺を行ったフツ人強硬派が中心の難民組織の正体が明らかになるのは彼らが難民キャンプの隅々までその触手が伸ばし、がんじがらめになっていてからだった。
だが、分かった時はもはや手遅れの状態だった。
その後は、本文中のように恐怖と暴力が支配する地獄のような状況が続く。
英語に「benefit of the hindsight」という言葉がある。日本語には、「後から分かったこと」などと訳せるが、ルワンダで起きたジュノサイドとルワンダ難民は、そうのようなことばかりだった。
当初、ジュノサイドや強硬派の真相と実態を握っていたのは各地から報告を受けていた国連安保理など一部で、詳細は秘匿されていた。
また、多くの情報は断片的で全貌を把握していた人物はそもそもいなかっただろうし、把握するとしても時間がかかっただろう。
本書は当時のルワンダ国内と、タンザニア、ザイールにあった難民キャンプなどで作者自身が現地で実際に見聞きした経験を本書の基礎とし、史実に基づいている。
こうした断片的な情報とともに、その後公開されたアメリカの外交文書や国連の電信記録などで裏付けし、全体像を把握していった。そのおかげで、かなり真実に近づけたと思う。
そうした文章の公開には機密指定が解除される10年、20年、または30年という年月が必要で、全容解明にはどうしても時間がかかる。
それに、1994年のルワンダ危機に関して大統領機撃墜の真犯人など、まだ不明なことも多く、いつか解明されるかも分からない。
自分も本書を書きながら、やっと理解出来た当時の出来事がたくさんある。
本書もそうした理由で完成するのに時間が必要だった。