9.ゴースト・カントリー
文字数 2,690文字
1994年8月3日水曜日、午後3時
キガリ市内
キガリには午後3時過ぎに着いた。
キガリの市街地は幾つもの丘からなっている。丘ごとに特徴があって、それぞれ官庁街、商店街、大使館や国際機関の多い丘などに別れていた。
キガリに北から入る十字路を抜けて坂を登り、中央市場までの商業地を通った。その間、誰にも出くわさなかった。どこにも人がおらず、静まり返っている。商店も全て閉まっている。
目立った戦闘の痕跡はなく、放火されたり略奪に遭ったりした形跡もなかった。
ここまで誰もいない風景は住民が蒸発したゴースト・タウンのようだ。
国境からずっと人がいない状況で、国全体がゴースト・タウンのようになっていたから「ゴースト・カントリー」だろう。
「ゴースト・カントリー、人が消えた国」
自分で呟いて気味が悪くなった。
多くの住民がジュノサイドにより虐殺された。そしてンガラのキャンプや周辺国にいる大量の難民。国全部が空っぽになっていた。
人はSF映画のように忽然と消えたり、蒸発などしたりない。
だが、殺されたことは遺体を見ないと気付かないのも事実だ。
「人がいない=無数の死」には直結しない。
一体ルワンダで、どれだけの人が殺されたのだろう。
その後はアンワルの希望で彼の家に向かった。
父親の消息を確かめたいようだ。そして、家が無事であれば泊まれるという。
官庁街を抜けると大きな家が立ち並ぶ住宅地が広がり、その一角にアンワルの家があった。大きな鉄扉があり、クラクションを鳴らす。
少し待つと、中から恐る恐る門番らしき男性が扉の間からこっちを覗いた。
「生きていたのか!」 アンワルが急に大声を出した。
門番だと思った人はアンワルの父親の運送会社の社員だった。彼の父親に、キガリに残って家とトラックを見張るよう指示されたという。その父親は内戦が激化した最中、車両を支社があるブルンディのブジュンブラまで避難させたるためにキガリから車両数台と共に出たという。
しかし、ブルンディにいったはずの父親からアンワルのところへは未だ連絡がない。アンワルの表情が曇った。
敷地内には一台のトラックとトレーラーが停めてあった。他の車両は政府軍が敗走時に奪ったという。社員の彼も市街戦が激しい時は郊外に避難していて、行方不明の社長がいつ戻ってもいいように、最近家を見に来るようになったという。
泊まれると思った家だが、中は泊まれるような状態ではなかった。家は辛うじて戦闘での破壊は逃れたものの、中は家具がひっくり返され、家財道具が散乱していた。
家中、弾薬箱がうず高く積まれ、様々な大きさの弾薬が床に散らばっていた。中国製が多く、深緑色の木箱には漢字の略字体がスプレーで吹き付けてあった。ハングル文字の箱も混じっていたが、これは北朝鮮製だろうか。
弾薬箱に交じってUNICEFのマークの入ったビスケットの段ボール箱が散乱していた。封が開いて食べられた跡があった。入手経路は不明だが、人道支援物資として配られたはずのものが戦争にも使われていた。
家の向かいのビール会社の倉庫で、そのビールを巡って政府軍とRPFとの争奪戦があったらしい。アフリカではどこもビールは重要な物資だ。政府の施設や拠点を護るより、ビールが飲めるという方が実利もあり、戦意も向上するのだろう。
「こんな物はなかった」 と、アンワルが言うように、ラジカセ、ランプ、衣装ケースなど外部から持ち込んだらしい物も室内に散乱していた。
リビンググルームだった部屋には女性の服と写真が散乱していた。家には火事の形跡が無いのに写真だけが焼け焦げていた。縁が焼けた写真にはやせ気味で長い髪にウエーブがかかり、肩が大きく出た黄色のドレスを着た若い黒人女性が笑顔で大きな公園を背景に写っていた。
ロンドンのセントジェームスズパークだ。大きな池にかかる橋に見覚えがあった。
「知ってる人?」 と、アンワルに尋ねた。
「知らない女性だ。多分、ツチの女性だ」 と、彼が言った。
恋人か家族だった兵士が大事に持っていたのだろうか。写真の女性は虐殺を生き残ったのだろうか。笑顔の女性は何も語らない。
「みんな! ブービートラップが仕掛けてあるかもしれない。動き回るのは危険だ!」
ベンが大きな声でわれわれを止めた。
確かに、これだけの弾薬を残したのだから撤収する際、敵に使われないよう爆薬などを仕掛ける可能性があった。
アンワルの家に泊まることを諦め街へ戻って宿を探すことにした。
最初に入った「オテル・デ・ディプロマ」は営業していたが、国連関係者や報道関係者で満室だった。仕方なく別のホテルを目指す。
駐車場で大きなリュックを背負った白人男性を見かけた。彼も宿泊を断られたらしい。アンワルが助けようというので別のホテルまで一緒に乗せる。
ロバートはオーストラリア人で、国際穀物商社の社員だった。彼は食料を国連機関などに売り込みに来たのだ。UNHCRなどが得意先で、現在内戦中のソマリアでは輸送機を持ち込んで食料を売っているという。
がっしりした体格からすると元軍人だろうか。商魂たくましいというか、単身ここまで乗り込んで来るのだからすごいものだ。
日本の商社が世界中で活躍しているとはいえ、ここまでの売り込みはしないだろう。
こうした援助ビジネスが世界には存在しているのも確かだ。武器を売る死の商人とまではないまでも、災害や紛争を飯の種にしている人たちはいた。ンガラでも見た巨大な倉庫の中には海外からの援助物資が山積みにされていたし、一日何百台というトラックが物資を運んでいる。
タンザニアと、その周辺国も含めると援助の資金は膨大になるはずだ。拠出する国にとって大きな負担なはずだ。
なぜ、これだけの難民や犠牲者が出るまで事態が放置されたのだろう。その一部でもが、多くの犠牲者が出る前に使われていたら、今のような事態にならなかったかもしれない。
そして、これほどの金額と物資は要らなかったのではないか。
それとも最悪の事態になったからこそ、大量の資金と物資が投入されたというのだろうか。信じ難い皮肉だし、酷い矛盾だ。
今、行われている途方もない量の資金と援助物資の投入は、国際社会がジュノサイドを止められなかった失敗を、金と物で取り繕うような偽善行為に見えてきた。
これは人道支援の悲しい実態かもしれない。
だが、いくら大量の資金や物資を投入したところで、人は生き返らない。
一体、われわれは何を取り戻そうとしているのか。
人が消えた国の実態を前にして大きな虚無感が広がる。
キガリ市内
キガリには午後3時過ぎに着いた。
キガリの市街地は幾つもの丘からなっている。丘ごとに特徴があって、それぞれ官庁街、商店街、大使館や国際機関の多い丘などに別れていた。
キガリに北から入る十字路を抜けて坂を登り、中央市場までの商業地を通った。その間、誰にも出くわさなかった。どこにも人がおらず、静まり返っている。商店も全て閉まっている。
目立った戦闘の痕跡はなく、放火されたり略奪に遭ったりした形跡もなかった。
ここまで誰もいない風景は住民が蒸発したゴースト・タウンのようだ。
国境からずっと人がいない状況で、国全体がゴースト・タウンのようになっていたから「ゴースト・カントリー」だろう。
「ゴースト・カントリー、人が消えた国」
自分で呟いて気味が悪くなった。
多くの住民がジュノサイドにより虐殺された。そしてンガラのキャンプや周辺国にいる大量の難民。国全部が空っぽになっていた。
人はSF映画のように忽然と消えたり、蒸発などしたりない。
だが、殺されたことは遺体を見ないと気付かないのも事実だ。
「人がいない=無数の死」には直結しない。
一体ルワンダで、どれだけの人が殺されたのだろう。
その後はアンワルの希望で彼の家に向かった。
父親の消息を確かめたいようだ。そして、家が無事であれば泊まれるという。
官庁街を抜けると大きな家が立ち並ぶ住宅地が広がり、その一角にアンワルの家があった。大きな鉄扉があり、クラクションを鳴らす。
少し待つと、中から恐る恐る門番らしき男性が扉の間からこっちを覗いた。
「生きていたのか!」 アンワルが急に大声を出した。
門番だと思った人はアンワルの父親の運送会社の社員だった。彼の父親に、キガリに残って家とトラックを見張るよう指示されたという。その父親は内戦が激化した最中、車両を支社があるブルンディのブジュンブラまで避難させたるためにキガリから車両数台と共に出たという。
しかし、ブルンディにいったはずの父親からアンワルのところへは未だ連絡がない。アンワルの表情が曇った。
敷地内には一台のトラックとトレーラーが停めてあった。他の車両は政府軍が敗走時に奪ったという。社員の彼も市街戦が激しい時は郊外に避難していて、行方不明の社長がいつ戻ってもいいように、最近家を見に来るようになったという。
泊まれると思った家だが、中は泊まれるような状態ではなかった。家は辛うじて戦闘での破壊は逃れたものの、中は家具がひっくり返され、家財道具が散乱していた。
家中、弾薬箱がうず高く積まれ、様々な大きさの弾薬が床に散らばっていた。中国製が多く、深緑色の木箱には漢字の略字体がスプレーで吹き付けてあった。ハングル文字の箱も混じっていたが、これは北朝鮮製だろうか。
弾薬箱に交じってUNICEFのマークの入ったビスケットの段ボール箱が散乱していた。封が開いて食べられた跡があった。入手経路は不明だが、人道支援物資として配られたはずのものが戦争にも使われていた。
家の向かいのビール会社の倉庫で、そのビールを巡って政府軍とRPFとの争奪戦があったらしい。アフリカではどこもビールは重要な物資だ。政府の施設や拠点を護るより、ビールが飲めるという方が実利もあり、戦意も向上するのだろう。
「こんな物はなかった」 と、アンワルが言うように、ラジカセ、ランプ、衣装ケースなど外部から持ち込んだらしい物も室内に散乱していた。
リビンググルームだった部屋には女性の服と写真が散乱していた。家には火事の形跡が無いのに写真だけが焼け焦げていた。縁が焼けた写真にはやせ気味で長い髪にウエーブがかかり、肩が大きく出た黄色のドレスを着た若い黒人女性が笑顔で大きな公園を背景に写っていた。
ロンドンのセントジェームスズパークだ。大きな池にかかる橋に見覚えがあった。
「知ってる人?」 と、アンワルに尋ねた。
「知らない女性だ。多分、ツチの女性だ」 と、彼が言った。
恋人か家族だった兵士が大事に持っていたのだろうか。写真の女性は虐殺を生き残ったのだろうか。笑顔の女性は何も語らない。
「みんな! ブービートラップが仕掛けてあるかもしれない。動き回るのは危険だ!」
ベンが大きな声でわれわれを止めた。
確かに、これだけの弾薬を残したのだから撤収する際、敵に使われないよう爆薬などを仕掛ける可能性があった。
アンワルの家に泊まることを諦め街へ戻って宿を探すことにした。
最初に入った「オテル・デ・ディプロマ」は営業していたが、国連関係者や報道関係者で満室だった。仕方なく別のホテルを目指す。
駐車場で大きなリュックを背負った白人男性を見かけた。彼も宿泊を断られたらしい。アンワルが助けようというので別のホテルまで一緒に乗せる。
ロバートはオーストラリア人で、国際穀物商社の社員だった。彼は食料を国連機関などに売り込みに来たのだ。UNHCRなどが得意先で、現在内戦中のソマリアでは輸送機を持ち込んで食料を売っているという。
がっしりした体格からすると元軍人だろうか。商魂たくましいというか、単身ここまで乗り込んで来るのだからすごいものだ。
日本の商社が世界中で活躍しているとはいえ、ここまでの売り込みはしないだろう。
こうした援助ビジネスが世界には存在しているのも確かだ。武器を売る死の商人とまではないまでも、災害や紛争を飯の種にしている人たちはいた。ンガラでも見た巨大な倉庫の中には海外からの援助物資が山積みにされていたし、一日何百台というトラックが物資を運んでいる。
タンザニアと、その周辺国も含めると援助の資金は膨大になるはずだ。拠出する国にとって大きな負担なはずだ。
なぜ、これだけの難民や犠牲者が出るまで事態が放置されたのだろう。その一部でもが、多くの犠牲者が出る前に使われていたら、今のような事態にならなかったかもしれない。
そして、これほどの金額と物資は要らなかったのではないか。
それとも最悪の事態になったからこそ、大量の資金と物資が投入されたというのだろうか。信じ難い皮肉だし、酷い矛盾だ。
今、行われている途方もない量の資金と援助物資の投入は、国際社会がジュノサイドを止められなかった失敗を、金と物で取り繕うような偽善行為に見えてきた。
これは人道支援の悲しい実態かもしれない。
だが、いくら大量の資金や物資を投入したところで、人は生き返らない。
一体、われわれは何を取り戻そうとしているのか。
人が消えた国の実態を前にして大きな虚無感が広がる。