あとがき3 マダム・オガタ、ジュノサイドの傷跡、その後のルワンダ

文字数 809文字

 マダム・オガタには一度お会いしたことがある。
 あの時のご苦労は大変なものだったかと思う。完全にUNHCRの組織の能力と、責任を越える事態だった。
 基本的には国連常任理事国5か国の無作為と、中でも常任理事国でもあるフランスの国益優先が事態を悪化させたのであって、UNHCRの責任ではないと思う。

 RPFがルワンダ全土と全権を掌握した後は、ジュノサイドを止めなかった罪滅ぼしのためと思われても仕方ないほど、わが国も含めた西側各国から多くの援助が投入された。
 そうしたことも奏功し、ルワンダは「アフリカの奇跡」と称される大きな経済発展を遂げる。
 その一方、2000年に大統領となったカガメ大統領の現在も続く長期政権での報道の自由の制限に始まる、政敵と野党政治家の蒸発に不審死、人権活動家の不当逮捕・拘禁など、国内での人権侵害が多数起きていて国際人権団体の批判を受けている。
 このような事態にもかかわらず、西側各国は一部懸念を表明するも、具体的な対応はなくほぼ黙認ともいえる状態を続けている。

 これはナチス・ドイツのユダヤ人ホロコーストを止められなかった罪悪感から、今も続くイスラエルによるパレスチナ人への人権侵害と暴力を正面切って批判出来ない現在の西側諸国と、それを利用するイスラエルと構造が同じとしてルワンダは、別名「ブラック・イスラエル」とも呼ばれている。

 どちらの背景にもジュノサイドと暴力によるトラウマが処理されず、政治はもとより、社会と人々に大きな影を落としているからだろう。
 暴力とその傷跡が時代を越えて連鎖している実例で、和解や融和の難しさを物語る。
 
 ルワンダにおいては住民レベルによる「ガチャチャ」裁判というコミュニティーが中心となった住民参加の裁判も行われ、和解が試みられた。
 これでジュノサイドの問題が解決するという生易しいものではないが、地域レベルで実施される、一つの方法としては重要な試みだろう。
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