22.国境を流れる死体

文字数 2,053文字

1994年4月20日水曜日、午後2時
ルコレ・キャンプ

 次々にクリニックを訪れるルワンダ難民の怪我人とブルンディ難民の下痢患者への治療が続いた。ルワンダ国内の状況が気になったが、それを追い払うように目の前の患者に集中した。

 昼、無線交信にルワンダとの国境を流れるカゲラ川のあるルスモ地域の状況が突然頻繁に流れるようになった。 
 カゲラ川はブルンディからルワンダ、タンザニア、そしてウガンダを通ってビクトリア湖に流れる全長約600キロの国際河川であり、細く渓谷になっているルスモがルワンダとタンザニアの国境だった。
 ンガラではUNHCRが導入したVHF無線システムにより、どの援助団体もトランシーバーと車載無線でンガラの町と各キャンプ間での通話出来るようになっていた。多くの通信が出来るよう、呼び出し用共通チャンネルで相手を呼び出した後、即座に別のチャンネルに移るというのが交信ルールだった。

 その呼び出し用共通チャンネルで気になる交信が続いていた。
 それはカゲラ川の上流のルワンダから多数の死体が流れてきてルスモの滝から下流に流れているというのだ。
 これまでに100体以上確認され、その数は増えているという。

 クリニックでの診療が一段落した午後遅く、アンワルの運転で一同、ルスモの滝まで行くことにした。滝のある国境まではルコレ・キャンプから約30分の道のりだった。
 ルスモの滝は国境にかかる橋の下にあり、タンザニアの国境事務所を通り、出国手続きが必要となるが、事務所の係は心得たもので、滝の見学ならチャイで済んだ。パスポートを預け、戻るときに返してくれるという。

 タンザニアの国境事務所前の駐車場に車を置き、国境である橋まで徒歩で下りていく。 
渓流瀑と呼ばれるこの滝に大きな落差はなく、国境となっている渓谷の橋の下の部分が急に細くなり水流が勢いを増し、水面からむき出しの岩に水が当たって「ゴーッ」という大きな音ともに赤茶けた飛沫を上げていた。
 両国を結ぶ濃い黄色の欄干の鉄橋の長さは100メートルほどで、幅は車両が1台通れるだけの一車線だ。橋の反対側に見えるルワンダ側の国境事務所は人の気配は全くなく、機能しているのかどうかは分からない。
 橋の真ん中には数人の援助関係者らしき欧米人が立ち、川面に向かって指さしていた。大きなリアクションでしゃべっているが滝の音で聞き取れない。一緒にいた白人女性は顔を覆い、その場に崩れるように顔を覆い欄干にもたれた。
 
「あっ、見て!」 ステイシーが声を上げて橋の下を指した。その先を追うと黄土色をした細長いものが次々に流れてきては橋の下に広がる滝口に溜まっていく。
 死体だと瞬く間に分かった。
 それらはクルクルと水面を何度か廻った後、一気に濁流に吸い込まれていった。
 長く水の中に浸かったせいか死体は膨らみ、着衣はなくなっている。大人だけでなく子供の死体も流れてきた。
 胸から腹へと続く紫色の大きく開いた傷とともに、頭部が大きくえぐられ、手足が欠損している遺体もあった。仰向けになった顔の表情はどれも苦痛に満ち、歪んでいた。

 上流のルワンダでは一体何が起きているのか。ルスモの滝の様子で想像すると、恐ろしい事が起きているようだった。
 橋に立ったまま誰もが眼下に広がる情景から目を逸らすように空を見上げた。

 どれほど橋の上にいただろう、新たにやってきた集団に気付き、グレイスに肩を叩かれて橋を戻り始めた。
 その後は誰も一言も発せなかった。

 ンガラの事務所に戻っても無言が続いた。全員、長い一日で空腹なはずだったが、誰も食事に手を付けようとはしなかった。
 ACESのスタッフのほとんどは医師やナースで、紛争や自然災害の人道支援で多くの死体や怪我人は見ていたはずだ。それでも、今日見た橋の上からの光景は想像を絶していた。

 誰も何も考えないようにしていた。わざと感情をマヒさせないと恐怖に満ちた暗い穴に落ち、そのまま出られなくなる気がした。

 その後も多くの死体がルスモの滝を流れていったらしい。
 国連によると、それは1万体を超えたという。多くは最終的にはビクトリア湖まで流れ込んだ。このため周辺の漁民が駆り出されて死体を回収したという。また、肉食性の魚が死体を食べているということで、しばらくビクトリア湖産の魚が全く売れなくなったという。

 こうした中、ベンの努力で国連との事業提携合意がまとまり、UNHCRタンザニア事務所のあるダルエス・サラームで調印式が行われたのは嬉しい出来事だった。
 これで医薬品の供給は国連が一括して行うこととなり、他団体とまとめて行われるので調達と配送についても頭を悩ませることはなくなった。
 
 ACESと同じようにタンザニアでの医薬品の調達に困る医療支援団体が、合同で国連によるまとめての調達を求めていたので、自分のダルエスでの調査が少しは役に立ったようだ。
 調印式に出てンガラに戻って来たベンとステイシーを事務所挙げてビールとニャマ・チョマで歓待した。
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