5. ルスモ国境II

文字数 2,041文字


         (タンザニア側から見たルワンダ国境事務所、1994年7月)

1994年8月2日火曜日、午前9時
ルワンダ・ルスモ国境事務所

 ルスモの国境に架かる黄色い橋を渡ると、ルワンダだった。道の右側にあるルワンダの国境事務所前には薄緑色のカモフラージュ柄のサイズの合わない軍服を着た小柄の兵士が二人立ち、われわれに向かって手を挙げて車を止めるように指示した。

「ジャンボ、入国手続きは?」 ベンが助手席の窓を下げてスワヒリ語で聞いた。
「上の事務所で行ってください」 
 小さな兵士は声変わりもまだらしい少年だった。

 全員車から降り、事務所脇の細い道を膝まで届くぶかぶかの黒いブーツが不釣り合いの少年兵に先導され上がっていく。丘の上には平屋の建物があり、開け放たれたドアから無線機からと思われる「ザー、ザー」という雑音が聞こえる。

 中に入るよう促されると、木製の大きなテーブルをはさんで黒いベレー帽に、少年兵とは違う緑色のユニフォームを着た黒曜石のようなつやのある肌をした若い軍人が座っていた。
 右手で彼と同じように黒光りしたテーブルの上に置いたグリップに大きな星のマークのある軍用ピストルを撫でている。

「ジャーナリストか?」 
 いきなり目の前の男はピストルを触りながら英語で聞いた。
「いえ、NGOです。ACESという医療団体です」 
 グレイスが間髪入れずに答えた。女性の方がこういう場合はソフトでいい。

「NGOとは何か分からないが、ルワンダに何しに来た?」 
 黒曜石の男が疑いのある声で続けて聞いた。

「キガリで新しいお国の政府と難民問題について協議したいと思っている」 
 ベンが説明した。
「何、難民!?」 
 黒曜石の男の気に障ったのかピストルを引き寄せた。
 みな、ドキリとして固唾を飲んだ。

 どうも難民は機微な問題らしい。黒曜石の男はわれわれの答え次第では撃つぞと、言わんばかりにテーブルの上のピストルを人差し指でくるくると廻し始めた。
 一気に緊張が高まった。

「クリスティーンに会いに行くのです」 
 間を置いて今度は自分が引き取った。

 ICRCの女性の言ったことが本当なら何か手応えがあるはずだし、彼女が誰か分かるかも知れない。
「ほう、なるほどクリスティーンか。よかろう。会えるかどうか本部に連絡を取ってみよう」 
 あっさりと黒曜石の男が答えた。
 ピストルを腰の革製ホルスターに入れると、われわれにパスポートを出すように指示し、その束を持って雑音を発する部屋に入り扉をバタンと閉じた。
 
 黒曜石の男を待つ間、二人の少年兵は入り口に立ち、われわれが部屋から出ないよう監視している。
 静かだがピリピリした時間が流れる。誰も口は開かなかった。ずっと立ったまま、お互いの顔を見合わせながら待った。
 その間、ひどく口の中が乾くのを感じた。

 一時間近く待っただろうか。ドアが軋みながら開き、黒曜石の男が出てきた。
 誰もが彼の表情から答えを探った。

「みなさん、クリスティーンは現在大変忙しいので会えないということでした。三日後にまた来てもらえますか?」 
 さっきの態度とは変わって、黒曜石の男は申し訳なさそうに伝えた。

「そうですか。とても残念です。では、三日後にまた来ます」 
 ベンがあっさりと返事をした。
 ここで粘っても無駄と判断したのだろう。

 最後にキャプテン(大尉)・アレックスと名乗った黒曜石の男はわれわれを出口まで送ってくれ、その後は少年兵二人が下に停めた車まで同行した。

 『クリスティーン』は実在する。
 しかも現場にまでその名前が知られているとは、ICRCの女性が言っていたことは本当のようだった。
 
 『クリスティーン』どんな扉でも開けられる魔法の呪文を得たような気になった。


 タンザニアの国境事務所まで戻ると、そこで打ち合わせをした。
「とりあえず、出直しだな」 ベンが拍子抜けしたように言った。
「クリスティーンが本当にいることが確かめられただけでも、良かったよ」 
 少しホッとして自分が言った。
「三日後に出直すしかないようね」 残念そうにグレイスが続けた。

「ウガンダ経由でも行ける」 
 誰もがそのままルコレに戻ろうと思っていた時、アンワルがぼそりと言った。

「え、ウガンダ!?」 誰もが目を見張った。

「ああ、ここから北上してムバララというウガンダの町に出る。そこから南西に向かい、ルワンダ国境に出る。距離にして600キロちょっと。これからだとムバララで一泊になるから、ルスモより時間はかかるが、順調なら明日の午後遅くにはキガリに着けるはずだ」 
 アンワルが事もなげに言った。 
 さすが運送業を家業にしているだけに色々なルートを知っていた。

「なるほど、試してみる価値はあるな」 ベンが言った。
「ただ三日待つよりは。ダメならまたここから行けばいいわ」 グレイスが言った。

「それじゃあ、さっき両替した場所からウガンダに向けて北上する」 
 アンワルがそう言うと、全員意気揚々と車に乗り込んだ。

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