14.開校式、爆破未遂事件
文字数 2,485文字
1994年9月18日日曜、午前11時
ルコレ・キャンプ
キャンプとンガラの治安は悪化の一途だった。
最近では難民景気を目当てにタンザニア各地から窃盗団や強盗団が出没するようになった。援助関係者の車両が銃を持った強盗にカージャックされ、車や無線が強奪される事件が多発した。深夜、事務所が銃で武装した強盗に襲われ、現金が入った金庫が奪われる事件も起きた。
一台数万ドルもするランドクルーザーが多く走り回り、軍でも使う高性能の無線機で溢れていたので、狙われるのは仕方なかった。また、銀行のないキャンプでの難民への支払いは常に現金で行われ、どの援助団体もアメリカドルを常時大量に保管していからだ。
キャンプ自体の安全も悪化し、配給時の暴動では援助団体のタンザニア人職員に怪我人が出た。K9でも難民に何らかの恨みを持たれた国際NGOのスタッフが難民に待ち伏せされて襲われるという事件も起きていた。
ACESが準備していた4校目の学校がルコレに完成し、開校式が日曜日の午前中に行われた。難民組織の代表をはじめ、UNHCRなど関係者とともに、子供とその親が教室に集まった。
学校の入り口にはサファリジャケットを着たがっしりした難民組織のボディーガードが立ち、濃いサングラス越しに警戒する。
外国のSPやボディーガードはサングラスをしていることが多いが、あれはカメラのフラッシュで目が眩むのを防ぐためで、威圧するためではない。このボディーガードは難民に対するのと同じように、威圧することが警護だと勘違いしているようだ。
まず、子供たちには記念として筆記道具の入ったリュックと、アメリカの幼稚園から贈られたテディベアのセットが手渡された。
式ではUNHCRの教育担当者が難民への教育の大切さを述べ、ベンが続いて学校開設への協力に謝辞を伝えた。
それに続いて、難民代表が挨拶をした。
スピーチというよりも、RPFが不当にルワンダを支配していることに始まり、いかにここでの生活が不便で辛いかという不満を大げさな身振りに交えて爆発させただけだった。
何よりもスピーチが長い。どうして、こうも政治家や権力者はなぜ話が長くつまらないのか。
そんなことを考えながら難民組織の代表のスピーチを教室の隅でボーっと眺めていた。
その時だった。
正面向かって右前方の男の子が茶色いキャンバス地の肩掛けバッグから何かを取り出して難民組織の代表に向けて転がした。
『エマニュエルっ!』 声にならなかった。
ゴロゴロと黒い丸い物が木の床をゆっくり転がった。
「伏せろ!」 その瞬間、前に立っていたベンが大声で叫んだ。
同時にベンはその黒い物の上に身を挺した。
何が起きたのか全く理解出来ない教室の子供と大人はパニック状態で出口に殺到した。
自分は頭を手で覆ったまま木の床に伏せた。
教室は静かで誰もいない。ゆっくりと首を上げて周りを見渡した。
ベンは腹ばいになって床に伏せたままだ。
「ベン、大丈夫か?」 彼に声を掛けた。
「ああ。みんな逃げたようだな。あいつ、手榴弾を投げやがった。ケン、床に金属の丸いピンか棒は落ちていないか?」
そう言われて床の上を見渡すが、それらしいものはなかった。
「ないよ」 と、言いつつ今一度確かめた。
「そうか。念のため君も教室から出て100メートル以上離れろ。みんなが離れたら教えてくれ」
伏せたままのベンが言った。
「分かった」 そう言うと外に出た。
校舎の外は子供やその親が抱き合いながら呆然と立っていた。彼らにもっと離れるよう言って敷地外に出た。
「ベン、みんなが離れた!」 校舎に向かって叫んだ。
「分かった。俺が出るまで近づくな」 ベンが叫び返した。
しばらくしても何も起きなかった。
ベンがゆっくり校舎の入り口から出て来た。
彼に駆け寄った。
「焦ったよ……」 ベンが開口一番、手のひらの黒い丸い手榴弾を見せた。
金属の丸いピンは付いたままだった。
「ピンが引かれてないから爆発はしない。とはいえ、引いたかどうかはとっさには分からないからな。ああするしかなかった」
ほんの一瞬の出来事だった。それにしてもよく咄嗟にあんなことが出来るものだと驚いた。
訓練された兵士などは自然に手榴弾に身を投げ出すことが出来るようになるというが、ベンはどこかでそうした訓練を受けたのだろうか。
ベンは汗をびっしょりかいていた。
「投げたのは、この前ルスモで乗せたエマニュエルだ。難民指導者の暗殺とはどういうことだ?」
なぜ、タンザニア人のあの子がこんなことをするのか理解に苦しんだ。しかも、難民キャンプの学校の開校式で。
「分からない。RPFの差し金だったら、今フツ人指導者を暗殺したら事態が悪化することは分かるはずだ。フツ人の内部抗争だろうか」 と、ベンはホッとしたのか、深呼吸を繰り返した。
考えれば考えるほど分からなくなった。しかし、キャンプ内ではわれわれが理解出来ない複雑な権力闘争が各勢力を離合集散させながら起きているようだ。この手榴弾事件もその一環なのだろうか。
「ところで、ベン。軍隊経験があるの?」 手榴弾に覆いかぶさって爆発からみなを守ろうとした、とっさの動きは普通では出来ないからだ。
「あれか。ナイロビのホテル爆破事件の時に知り合った陸軍特殊部隊に入隊を勧められてね。ちょうど医学部を続けるか迷っていたから体験入隊したんだ」 と、ベンが答えた。
体験入隊とは言ったが、ベンのことだからしばらくいたのだろう。竹尾医師に諭されなければそのまま軍人になっていたかも知れない。
それにしてもザンビアのダニエルといい、アフリカには血の気の多い医師が多いようだ。
それより、だからこそ人道支援で医療に携わっているのかも知れない。
***
この騒ぎで開校式は流れ、壊れた校舎の修理で10日間も授業の開始が遅れた。
この事件直後、エマニュエルは難民のセキュリティー担当者らに連れられ、消息が分からなくなった。
彼の身を案じるわれわれはUNHCRに対し、消息の確認と保護を求めるが、進展はなかった。
ルコレ・キャンプ
キャンプとンガラの治安は悪化の一途だった。
最近では難民景気を目当てにタンザニア各地から窃盗団や強盗団が出没するようになった。援助関係者の車両が銃を持った強盗にカージャックされ、車や無線が強奪される事件が多発した。深夜、事務所が銃で武装した強盗に襲われ、現金が入った金庫が奪われる事件も起きた。
一台数万ドルもするランドクルーザーが多く走り回り、軍でも使う高性能の無線機で溢れていたので、狙われるのは仕方なかった。また、銀行のないキャンプでの難民への支払いは常に現金で行われ、どの援助団体もアメリカドルを常時大量に保管していからだ。
キャンプ自体の安全も悪化し、配給時の暴動では援助団体のタンザニア人職員に怪我人が出た。K9でも難民に何らかの恨みを持たれた国際NGOのスタッフが難民に待ち伏せされて襲われるという事件も起きていた。
ACESが準備していた4校目の学校がルコレに完成し、開校式が日曜日の午前中に行われた。難民組織の代表をはじめ、UNHCRなど関係者とともに、子供とその親が教室に集まった。
学校の入り口にはサファリジャケットを着たがっしりした難民組織のボディーガードが立ち、濃いサングラス越しに警戒する。
外国のSPやボディーガードはサングラスをしていることが多いが、あれはカメラのフラッシュで目が眩むのを防ぐためで、威圧するためではない。このボディーガードは難民に対するのと同じように、威圧することが警護だと勘違いしているようだ。
まず、子供たちには記念として筆記道具の入ったリュックと、アメリカの幼稚園から贈られたテディベアのセットが手渡された。
式ではUNHCRの教育担当者が難民への教育の大切さを述べ、ベンが続いて学校開設への協力に謝辞を伝えた。
それに続いて、難民代表が挨拶をした。
スピーチというよりも、RPFが不当にルワンダを支配していることに始まり、いかにここでの生活が不便で辛いかという不満を大げさな身振りに交えて爆発させただけだった。
何よりもスピーチが長い。どうして、こうも政治家や権力者はなぜ話が長くつまらないのか。
そんなことを考えながら難民組織の代表のスピーチを教室の隅でボーっと眺めていた。
その時だった。
正面向かって右前方の男の子が茶色いキャンバス地の肩掛けバッグから何かを取り出して難民組織の代表に向けて転がした。
『エマニュエルっ!』 声にならなかった。
ゴロゴロと黒い丸い物が木の床をゆっくり転がった。
「伏せろ!」 その瞬間、前に立っていたベンが大声で叫んだ。
同時にベンはその黒い物の上に身を挺した。
何が起きたのか全く理解出来ない教室の子供と大人はパニック状態で出口に殺到した。
自分は頭を手で覆ったまま木の床に伏せた。
教室は静かで誰もいない。ゆっくりと首を上げて周りを見渡した。
ベンは腹ばいになって床に伏せたままだ。
「ベン、大丈夫か?」 彼に声を掛けた。
「ああ。みんな逃げたようだな。あいつ、手榴弾を投げやがった。ケン、床に金属の丸いピンか棒は落ちていないか?」
そう言われて床の上を見渡すが、それらしいものはなかった。
「ないよ」 と、言いつつ今一度確かめた。
「そうか。念のため君も教室から出て100メートル以上離れろ。みんなが離れたら教えてくれ」
伏せたままのベンが言った。
「分かった」 そう言うと外に出た。
校舎の外は子供やその親が抱き合いながら呆然と立っていた。彼らにもっと離れるよう言って敷地外に出た。
「ベン、みんなが離れた!」 校舎に向かって叫んだ。
「分かった。俺が出るまで近づくな」 ベンが叫び返した。
しばらくしても何も起きなかった。
ベンがゆっくり校舎の入り口から出て来た。
彼に駆け寄った。
「焦ったよ……」 ベンが開口一番、手のひらの黒い丸い手榴弾を見せた。
金属の丸いピンは付いたままだった。
「ピンが引かれてないから爆発はしない。とはいえ、引いたかどうかはとっさには分からないからな。ああするしかなかった」
ほんの一瞬の出来事だった。それにしてもよく咄嗟にあんなことが出来るものだと驚いた。
訓練された兵士などは自然に手榴弾に身を投げ出すことが出来るようになるというが、ベンはどこかでそうした訓練を受けたのだろうか。
ベンは汗をびっしょりかいていた。
「投げたのは、この前ルスモで乗せたエマニュエルだ。難民指導者の暗殺とはどういうことだ?」
なぜ、タンザニア人のあの子がこんなことをするのか理解に苦しんだ。しかも、難民キャンプの学校の開校式で。
「分からない。RPFの差し金だったら、今フツ人指導者を暗殺したら事態が悪化することは分かるはずだ。フツ人の内部抗争だろうか」 と、ベンはホッとしたのか、深呼吸を繰り返した。
考えれば考えるほど分からなくなった。しかし、キャンプ内ではわれわれが理解出来ない複雑な権力闘争が各勢力を離合集散させながら起きているようだ。この手榴弾事件もその一環なのだろうか。
「ところで、ベン。軍隊経験があるの?」 手榴弾に覆いかぶさって爆発からみなを守ろうとした、とっさの動きは普通では出来ないからだ。
「あれか。ナイロビのホテル爆破事件の時に知り合った陸軍特殊部隊に入隊を勧められてね。ちょうど医学部を続けるか迷っていたから体験入隊したんだ」 と、ベンが答えた。
体験入隊とは言ったが、ベンのことだからしばらくいたのだろう。竹尾医師に諭されなければそのまま軍人になっていたかも知れない。
それにしてもザンビアのダニエルといい、アフリカには血の気の多い医師が多いようだ。
それより、だからこそ人道支援で医療に携わっているのかも知れない。
***
この騒ぎで開校式は流れ、壊れた校舎の修理で10日間も授業の開始が遅れた。
この事件直後、エマニュエルは難民のセキュリティー担当者らに連れられ、消息が分からなくなった。
彼の身を案じるわれわれはUNHCRに対し、消息の確認と保護を求めるが、進展はなかった。