3.「人道か、正義か」― 突き付けられた疑念

文字数 4,088文字

1994年8月9日火曜日、午後7時30分
キガリ市内

 ポールの家に戻ると、みな帰っていた。リビングで紅茶を飲みながら、その日の成果について情報共有した。何と言っても一番の収穫はクリスティーンと会え、手書きだとはいえルワンダ入国のレターを手にしたことだった。

 一方、親戚を探すグレイスは相変わらず手がかりがないのか沈んでいる
「ごめんなさい。プライベートなことで心配かけて」 グレイスが言った。
「ハクナマタタ、グレイス。手がかりがあるまで探せばいいさ」 
 鷹揚にベンが言った。些細なことに目くじらを立てないところがベンの良さであり、小さい団体だからなのかもしれないが、それがACESの長所だった。


 しばらくしてロウソクの灯かりの下での夕食が始まった。食卓にはゴマからの帰りに買ったキャベツを先日市場で買った牛肉とで煮た料理が並んでいた。

 その後はポールが持っていたウガンダ産の酒「ワラジ」をわれわれが持ってきたコーラで割って飲んだ。冷蔵庫が使えず冷えていないが仕方ない。
 このイギリス植民地時代にイギリス軍兵士が支給品として飲んでいたジン、「War Gin、ウォージン」からワラジへと転じたマトケなどを材料にしたアルコール度数40度の強い蒸留酒だ。

 ちびちびと飲みながらこれまでのお互いの報告会のようなものになった。
 ポールはタンザニア大使館を再開させるかどうかの訓令がまだ本国から来ていないという。大使が内戦再燃直前に帰国して以来、彼が臨時代理大使として再開準備をしていたが、内部でかなり議論されて結論が出ないらしい。
 彼の意見では両国の関係は隣国であっても特に緊密でないため、キガリの大使館は不要というものだった。だが、多数のルワンダ難民がタンザニアにいる現状では大使館がないと交渉が難しいというのが本省の意見らしい。
 タンザニアとの電話回線が切れたままの状態では詳しい議論が出来ないので、結論を出すため近々タンザニアに戻るということだった。

 他方、リックとピーターの勤めるウガンダの国営企業はルワンダから紅茶やコーヒーを買い付けていたが、内戦再燃で事業が停止したままだった。
 キガリの社屋も破壊され、復旧のめどは立っていない。このまま路頭に迷いそうな雰囲気だった。それこそ、ACESで雇ってくれないかと相談されたのには苦笑いしてしまった。

 われわれの方もこれまでクリスティーンに会えたことなどを話すと進展を喜んでくれた。
 だが、ゴマに行った時のザイールに逃れたルワンダ難民の悲惨な状況に話が及ぶと彼らの表情が一変した。

「ルワンダ難民と言っても全員フツだろう? 君たちはなぜ虐殺を行った連中を助ける? 奴らは無抵抗の女性、子供を見境無く切り刻んだぞ!」 
 ポールが怒りを込めて言った。同時にリックとピーターも強く頷く。

「でも、人道支援に関わる者として困っている難民を見過ごすことは出来ません」  
 彼らの激しい怒りに戸惑いながらも、自分は当たり前のことしか言えなかった。

「確かに難民となって苦しい生活は強いられるだろう。当然の報いだ。あれだけ残虐なことをして助けてもらおうなんて虫が好すぎる。奴らは血も涙もなく何十万人ものツチ人を殺した虐殺犯だぞ!」 
 ポールが再び声を荒らげた。

「夜な夜な遠くから、女性や子供の切り裂くような悲鳴が聞こえ、銃声がこだまして静かになる。それが繰り返された。そんな日が何週間も続いたんだ」 
 リックがゆっくりと恐ろしい記憶をたどるように静かに言った。

 キガリで、3か月間にも及ぶ虐殺の中で暮らした彼らにとり、虐殺実行犯である多くのフツ人を「国境を越えた」というだけで無条件に難民として国際法で保護し、無批判に人道支援を行うわれわれは、無知で能天気なお人好しに映っているようだった。

 ポールによると、大統領機撃墜直後に開始された虐殺当初は、大統領警護隊が中心的役割をし、予め作られた処刑リストを元にツチ人の政治家、経済人、親ツチ人とされたフツ人穏健派を次々と手にかけていったという。
 その後はフツ人強硬派の民兵はツチ人市民と、ツチ人寄りと見なされたフツ人市民へ殺害対象を広げ、虐殺が一瞬でエスカレートした。

 なぜこんなことが起きたのか。隣国ブルンディのようにツチ人に迫害され続けたフツ人の積年の恨みなのか。だが、独立後、迫害され続けたのはツチ人で、難民となったのも多くがツチ人で、ツチ人の方が恨みは深いはずだ。
 
 ただ、グレイスによると虐殺が起きるまでは、身分証明書で制度上ツチ人とフツ人と分けられ、ツチ人に対する差別もあったが、同じコミュニティーで暮らし、民族を越えた婚姻関係も多く全員が敵対していたわけでもないらしい。

 4月6日夜の大統領機撃墜後、瞬く間に全土に広がった虐殺の原因は単純ではなさそうだ。
 この一因として注目されたのがフツ人強硬派によるラジオ放送だった。識字率も低く、娯楽やメディアの少ないアフリカではラジオが大きな娯楽であり、情報源だ。夜になると多くの村では焚き火を囲んで電池式のラジオを近所や一家そろって聞くのはよく見かける情景だった。

 そのラジオが今回の虐殺に大きな役割を果たしたというのだ。だから、国連は昨日の会議で発表したように、住民への正しい情報源としてラジオ局を開局するのだった。

 国連の調査でも指摘されているよう、虐殺以前から継続的に憎しみを掻き立てる反ツチ人プロパガンダ放送が続けられていた。フツ人強硬派は「Radio Télévision Libre des Mille Collines(RTLM)、千の丘自由ラジオテレビ」という放送局を運営して反ツチ人プロパガンダを展開した。
 RTLMは「殺人ラジオ局」とも呼ばれ、地元のキニヤルワンダ語で過激な言葉で扇動し続けた。そうやってフツ人強硬派がフツ人の不満をツチ人への憎しみに変えて行った。
 ルワンダの問題が、ツチ人の絶滅でしか解決出来ないよう「摺り込み」を行ったのだ。ナチス・ドイツによる反ユダヤ政策とユダヤ人虐殺にそっくりだった。

 そして、大統領機撃墜後はツチ人抹殺を指示し、焚きつける放送を続けた。

「ゴキブリどもを殺せ!」「墓はまだ半分しか埋まっていない!」などと、連日連夜の放送で虐殺を煽り、民兵に組織されたフツ人住民が各地で殺戮を繰り広げる。
 町中に片手にラジオ、もう片手にはマシェティやこん棒を持ち虐殺を行うフツ人が街中を跋扈したという。

 さらに、RTLMは大統領機撃墜をベルギー人があたかも行ったかのように、「大統領を殺したベルギー人を殺せ!」とも放送した。
 このため、ベルギー軍PKO部隊がフツ人民兵らに襲撃され、多数の犠牲者を出し撤退を余儀なくされている。
 この反ベルギー人プロパガンダはその後も続き、フツ人ルワンダ難民の多いタンザニアでは国境なき医師団・ベルギーが襲撃を恐れて一時撤退していた。

 虐殺には放送局とともに政党が組織した民兵組織も大きな役割を果たした。
ハビャリマナ大統領の政権与党MRND、開発国民革命運動は「Interahamwe、インテラハムウェ・共闘者」を組織し、連立したCDR、共和国防衛同盟は「Impuzamugbmi、インプザムガンビ・同志」を組織する。

 この両民兵組織が虐殺を実行する傍ら、フツ人住民を扇動して虐殺を拡大した。
キガリ市内では約1,700人の民兵が40の部隊に別れて配置され、それぞれAK47と手榴弾が配布されたという。大統領警護隊により始まった虐殺は、直ちに民兵も動員され、ラジオ放送で扇動された一般フツ人も加わり燎原の火のように広がった。
 多くのフツ人の若者が虐殺をゲームでもするようかのように楽しみ、同時にツチ人の店や家を隈なく略奪していった。

 民兵部隊は一人がAK47、残りがマシェティや斧などで武装し、ツチ人の家をしらみつぶしに探した。見つけたら後ろ手に縛り、その場で殺害したという。切れの良くないマシェティでは一撃で絶命することはなく、しつこいまでに振り下ろされ、市内は犠牲者の絶叫がこだました。
 銃は弾の節約のため、誰かが逃亡した時だけに使われたが、切り刻まれる苦痛から逃れるため、民兵に金を払って銃で射殺されることを望んだ犠牲者も大勢いたという。


 ツチ人との共生を求める穏健派のフツ人も殺されていたが、自分と家族、財産を守るため民兵組織に加わわり、虐殺と略奪を行ったフツ人も多いという。少しでも強硬派に歯向かう言動をすればツチ人との融和を目指した穏健派と同じ「ツチの犬」として無残な死が待っていたからだ。

 ある程度予想はしていたが、ルスモの滝を流れて行った人たちの殺され方を具体的に知り、心底ゾッとした。

 ポールのように、虐殺犯が多数いる難民キャンプでのフツ人難民に対する人道支援に矛盾を感じるのはやむを得ないかもしれない。国際社会は虐殺を止められなかったばかりでなく、その虐殺犯たちを今は「難民」として支援している。さらには、彼らの作った難民組織を利用してキャンプを運営するのを積極的に利用しているのだ。これでは虐殺を支持しているのと変わりがないと言われてもやむを得ない。
 
 われわれ援助団体もこの矛盾に気付きつつあり、フツ人強硬派による危険な暴力も身をもって体験していた。だが、それを誰も面と向かって言わなかった。いや、自分たちのしていることを自ら否定することになり、あえて考えないようにしていたのかもしれない。
 ポールの言葉にハッとした。完全に図星だったからだ。
「人道か、正義か」 
 ンガラの難民キャンプではこの矛盾状態で援助関係者が葛藤を続いていた。これは簡単に援助を止めればいいとか、虐殺犯を逮捕すれば解決出来るものでもない。まして、援助団体が解決出来るものでもなかった。だが、ルワンダ難民支援に携わる全員に道義的、倫理的矛盾が突き付けられていたのに、それを「人道支援」という名の下にあえて考えないようにしていたのも事実だ。
 深夜になっても答えの出ない重苦しい議論が続いた。


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