11.メージャー・ローズ

文字数 2,819文字

1994年8月4日木曜日、午前7時
キガリ市内

 なぜかよく眠れなかったので朝食まで、前庭をウロウロ歩いていた。朝日に照らされたアフリカの高原の朝は空気も澄み心地良い。

 庭の芝生の上では2匹の子犬が遊んでいた。内戦中はどうしていたかと不思議に思って同じように歩いていたリックに聞いてみた。
「2匹ともずっとここで暮らしていたよ」 と、犬を慈しむようにリックが言った。
 ポールと共にリックと彼の妻は内戦中の三ヶ月間、屋外に出られない避難生活を送り、食料調達には苦労したらしい。きっと犬のエサも入手困難だったのだろう。

 芝生を歩いていると、なぜか庭に日本の「家庭の医学」が落ちていた。キガリに住む日本人家庭から持ち出された物だろうが、どうしてここに落ちているのかは誰も知らなかった。手にとってパラパラと、ページをめくっていると「糖尿病患者のための献立」というカラーの特集部分があった。
「塩サケ、大根の煮物、吸い物」という糖尿病治療用の淡白な献立ではあったが、目にすると不思議と日本食が恋しくなった。
 次回、ナイロビに出たら日本食を食べようと決めた。

 パンと目玉焼きという簡単な朝食後、早速クリスティーンを探しに昨日行った官庁街へと向かう。彼女がいる復興社会再統合省がどこなのか探すことから始めた。
 グレイスは親戚の安否を確認したいというので、モーゼスの車で別行動となった。

 アンワルがわれわれを連れて入った建物には幾つかの政府機関が入っていた。1階はコンピューター教室なのか、多数のパソコンが並んでいた。中の瓦礫を掃除していた人に尋ねると、4階に行くように言われた。
 階段で上がったが、上の階は砲撃でかなり破壊され大きな穴が空き、廊下には一面、吹き飛ばされたコンクリートの残骸と書類が散乱していた。壁の穴からの風で揺れるブラインドを通して朝日が差し込んでいる。
 
 上がって手前には事務所があり、受付の男性に「難民支援の件で話がしたい」と、ベンが伝えると外で待つように言われた。

 30分も待つと、階下から中国人らしい男三人が上がって来た。全員がアフリカで仕事をしていると言わんばかりにサファリジャケットに身を包んでいた。その一人が名刺を差し出す。
「重慶路橋廠公司」
 中国の道路建設会社だ。一体、難民とどんな関係があるのだろうか。

「何の建設プロジェクトですか。橋ですか、道路ですか」 と、中国語訛りの英語で聞かれた。
「うちは難民支援です」 そう言うベンの言葉に中国人たちは顔を見合わせた。

 何か様子が変だ。念のために再度、受付で尋ねる。
「ここは復興社会再統合省ではないのですか」と、ベンが聞く。
「ここは建設省ですよ」 と、さっきの男性がためらいもなく言った。
 今度はわれわれが顔を見合わせる番だった。

 政府関係者なら再統合省の場所を知っていると思いきや知らないと言う。もちろん、クリスティーンの名前も同じだった。新政府が出来たばかりで情報共有のシステムもなく、バラバラに仕事をしているようだ。

 申し訳なさそうに、受付の男性はキガリ市役所に行くことを勧めた。
「メージャー・ローズに会うといいでしょう。彼女なら何か分かるはずです」 と、彼が言った。
 メージャー・ローズ、ローズ少佐ということは、軍人ということか。

 別れ際、少し興味があったのでこの省で働く人数を聞いてみた。
「私と大臣の二人です。出来て間もないので……」 と、はにかみながら彼は答えた。
「たった二人の省か」 一同、また顔を見合わせた。

 ここまで役人が少ないと役所として大丈夫なのかと、他国の政府だが心もとなくなってきた。日本では公務員の人数削減が話題になるが、これは極端過ぎた。

 アンワルがキガリ市役所の場所を知っていた。
 庁舎の外では大勢の難民らしき人が暮らしていた。駐車場に荷物が無造作に広げられ、青いビニールシートのテントが張られていた。アスファルトに敷かれたゴザの上で鍋釜を置き調理し、テントの間を洗濯物が翻っている。
 
 中に入って職員らしい人に用件を告げると3階に行けと言う。
 階段を上がると建物の左端の部屋には数人が黙々と事務作業をしていた。

「メージャー・ローズに会いたい」 と、伝えると、廊下のイスで待っていろと言われる。
 30分も経っただろうか、奥の部屋に呼ばれた。

 部屋では大きな木のデスクの前には緑色の軍服姿のメージャー・ローズが座っていた。
 それは女性だった。勝手にローズを名字だと思っていたが、それはファーストネームがRoseで、フルネームはローズ・カブイエだった。
 オリーブ色のセーターに黒いベレー帽を被る、いかにも軍人という凛々しい感じの女性だった。テーブル上にはわれわれが持っていたものより、かなり小型の黒いモトローラ製無線機が置いてあった。

 待つ間に、度々その無線からコールサインが入った。彼女はその都度、無線機を取っては指示を口にした。
 彼女はキガリ市長だった。RPFは、クリスティーンといい、このメージャー・ローズといい、女性の社会参加がかなり進んでいるようだ。

 ベンが手短に難民支援の件を伝えるとメージャー・ローズは、「それは私の担当ではない」 と、そっけなく告げた。キガリ市は帰還民の支援をしており、難民担当は復興社会再統合省だと言う。結局、振り出しに戻った。
 
 だが、今回は少し違った。
「そこでクリスティーンに会うといいですよ」 
 ついにRPF関係者から彼女の名前が出て彼女に大きく近づいた。

 はやる気を抑え、復興社会再統合省の場所について聞くと、彼女はRPF関係者なら知っていて当然というそぶりで、キガリ商工会議所の建物の中だと言った。
 
 軍人の彼女であればRPFの動向を把握していると思い、タンザニアからルワンダに入れなかったことについて確かめた。
 彼女によれば、現在まだRPFはルワンダ東部、特にタンザニアとの国境地帯を完全に掌握しておらず、旧政府軍の敗残兵が出没しており危険だという。そのため、赤十字など一部にしか開放していない。だが、もう少しで全面的に開放出来ると言う。

 かなりの兵力をその方面に投入して掃討作戦を実施しているのだろう。国境事務所の黒曜石の男はそうとは言わずクリスティーンは忙しいなどと返事したのだった。守秘のためだろうが、あのままルワンダに入っていたら戦闘に巻き込まれていたかも知れなかったと思い、嘘でもアレックス大尉に感謝した。

 ついでに今度入国する時のために、何かしらルワンダの入国許可証のようなものをもらえないか尋ねたが、これもクリスティーンの担当だと言われた。当然と言えば当然だろう。
 メージャー・ローズに礼を言って市長室を出た。

 部屋の外で待っていたアンワルに商工会議所の場所を聞いてみた。
「それなら知っている」 と、アンワルが事もなげに言う。
「さっきの官庁街だ」 あっ気なかった。

 早速、そこに戻ることにした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み