10.カンボディア内戦との不気味な一致

文字数 4,034文字

1994年8月14日日曜日、午後7時
ンガラの食堂

 少し遅れ、午後7時前にレストランに着くと週末のレストランは援助関係者で賑わっていた。
 先についていた二人は奥のテーブルに座り、自分に気付いたミキが手を挙げた。

「ご足労いただきありがとうございます。ルワンダ難民事業責任者の松田敏男です。トシと呼んでください」 日本人には珍しく欧米人のように自然に右手を差し出した。
「こちらこそ。岡田研です。ケンと呼んでください」 
 そう言って握手をした。

 そのまま座ると彼は現地ブランドの赤い箱のタバコに火を点けた。テーブルの灰皿にはかなりの数の吸い殻があった。

「ケンさんは以前、うちのザンビアの難民キャンプのクリニックでミキと働いてくれていたとか」 大体のことは聞いているらしい。
「大したことも出来ずにすみません」 リンダの顔が一瞬よぎった後会話が途切れた。

 気まずさを察してか、トシが話題を変えるようにカンボディア難民について語り始めた。

「さっきの報告会ですが、大変参考になりました。私が以前、携わったタイ国境のカンボディア難民に状況が非常に似ていると」 トシは興味深いことを話し始めた。

 彼によると、カンボディアは1978年12月、ベトナム軍の侵攻で共産主義のクメール・ルージュ政府が実権を失い、ベトナムの後ろ盾で成立したヘン・サムリン新政権内との内戦状態になる。その際、多数のカンボディア難民がタイ国境地帯に逃げた。

 だが、その時タイ側に出来た多くの難民キャンプは、クメール・ルージュの残党であるポルポト派によって支配された。そればかりか、ポルポト派は軍事拠点として活用し、キャンプから出撃してヘン・サムリン政権軍と戦う。

 しかし、日本、アメリカなどの西側各国はヘン・サムリン政権をベトナムの傀儡(かいらい)政権として承認せず、1991年10月のパリ平和協定まで難民キャンプに拠点を置くポルポト派が国連での代表権を持つという異常事態が続いた。

 この平和協定後、国連カンボディア暫定行政機構、UNTACが設立され、日本人の明石康国連事務総長特別代表がトップとして国連による暫定統治が続く。そして、1993年5月に総選挙が実施され、遂に民主的に政権が成立する、というのがカンボディア内戦の概要だった。

 結局、カンボディアはクメール・ルージュが権力を奪取するまでの期間を含め、昨年まで20年以上、混乱した状態にあったことになる。
 クメール・ルージュは1975年から約4年間政権にあったが、その間に都市住民を農村部に強制的に移住させたり、虐殺を行ったりするなど大戦後史最悪の悲劇として記憶された。
 
 ルワンダでのジュノサイドが起きるまでは。

「フツ人強硬派がポルポト派を研究したかどうかは不明ですが、状況は似ています。このまま多くの難民がキャンプで前政権の残党、特に強硬派によって支配されると、ルワンダ内戦は長期化し、国は完全に荒廃します」 
 彼はそう言うと短くなったタバコを深く吸い、新しいタバコの箱を開けた。
 
 カンボディアは昨年の総選挙後は落ち着いたが、それまでの内戦で100万人もの国外に難民を出し大きな国際問題となっていた。その一部は日本にも来ていた。
 国土は荒れ果て、今も無数に埋まる地雷や不発弾で多くの住民が日々犠牲となっている。
 復興への道のりは気が遠くなるほど長くかかるだろう。
 
 これと同じことが今後、ルワンダでも起こるのだろうか。だとしたらなぜ、過去の悲劇から世界は学ばないのだろうか。それとも、学ぼうとしない別の理由でもあるのだろうか。
「ルワンダ難民の状況は日々悪化しています。難民が自分たちの指導者により傷つけられ、殺される事態は見過ごせません。でも、私たち医療団体は基本的に医療支援しか出来ないのが難しいところであり、大きなジレンマです」 ンガラは完全に行き詰っていたので彼の考えを聞きたかった。

「フツ人強硬派に影響力のあるフランスがまずは責任を取ることでしょう。難民キャンプに逃げ込んだフツ人強硬派をフランスが好きな外人部隊を使って捕え、キャンプの治安維持に当たればいい。それでもこれまで起こした混乱に比べれば安いものだ」 
 トシはそう言って大きく煙を吐き出した。

「その後の巨大なキャンプの治安維持にはフランス外人部隊だけでなく、パキスタンやバングラデシュなどPKOを商売にしている国もあるから喜んで派遣するでしょう」 彼は断言した。

 国連PKOの給与規定は途上国の軍が支払う給与より多く、その差額が国の儲けになるという。完全な国によるピンハネで、外国人労働者と同じ仕組みではないか。国連平和維持活動という表向きとは逆の舞台裏が透けたようで驚きより、がっかりした。

「そういえば、初めて自衛隊も人道支援目的のPKOとしてザイールに出るそうです。うちの井戸掘り機械も運んでもらう予定です」 そう言った彼の言葉に驚いた。

「ザイールですか。あっちは大変ですよ」 ゴマの惨状を思い返した。
「PKOは要請ベースだから仕方ないですよ」 トシが言った。
 UNHCRにすると、ンガラよりザイールの方がよっぽど大変なのだろう。

 やっと料理が運ばれてきて、一旦意見交換は終わった。
 今夜はいつもの臓物の煮込みはやめて、今夜は豆のシチューのご飯かけにした。

「さっき、井戸掘り機械と言っていましたが、井戸を掘るんですか? 水は不足しているのでいいプロジェクトだと思います」 スプーンを置いて言った。
「まあ、機械による井戸掘りだけなら。そこは色々あるんですよ。それより、この煮込みはうまいですね!」 彼はそう言って臓物をスプーンでかき込んだ。

 きっと言えない複雑な事情があるのだろう。それ以上は聞かないことにした。


 その後二人と少し雑談をしてレストランを出た。まだ雑貨屋が開いていて立ち寄った。
 来た当初は売っている物といえば米、豆、干魚などの食料品に歯ブラシ、カミソリなどの日用雑貨など最低限のものしかなかった。
 今は難民景気のおかげで店も増えてスナック類にラジカセ、テレビに冷蔵庫の電化製品に始まり、オートバイなどの高額商品も売られ、ちょっとした総合デパートになっていた。
 
 赤い、どぎつい色をしたシャンプーを手に、オイルランプの薄暗い灯りの店頭で支払いをしようとした時だった。

「岡田先生」 振り向くとミキがいた。
「さっきはどうも。トシさんは面白い人だね。カンボディアの話はとても参考になった。ただ、タバコは少し減らした方がいいかも」 
 難しい話しは避けたかった。

「彼、凄いプレッシャーを受けてるの。出来そうにないプロジェクトを背負わされて」 
 ミキが同情を込めて言った。
「緊急人道支援のプロジェクトなんてみんなそうだ。計画通りになんていかない。だから、緊急なんだろうけど」 ここで起きた半年間のことを思い返した。

「今回はいつからアフリカに来ているの?」 ミキが聞いた。
「今年2月末にクミさんの墓参りに来て以来かな。そう言えば、東京事務所で、クミさんの件で現地の手続きをあなたがしてくれて助かったと言ってた」
 古狸の言葉を思い出していた。

「そんなことないわ。看護大時代からずっとお世話になってたから。それより、先生は二度とアフリカには戻らないかと思ってた」 
「戻るつもりはなかったんだけど、クミさんに去年に言われたことが気になってね」
「何て言われたの?」 彼女が見つめるように聞いた。
「とにかく前に進めって。今の所アフリカに戻っただけだけど」 
 ただアフリカを流離(さまよ)っているだけのような気もしていた。

「そんなことないわよ。戻ることは勇気がいることだから」 ミキが言った。
 そんなものだろうか。自分には理解出来なかった。

「ステイシーさん、感じのいい人ね」 話題が変わった。
「そんなんじゃないよ」 彼女は何か誤解しているようだ。
「ルワンダ難民という大問題に一緒に取り組む同志、いや家族みたいなものかな」 
 ACESの仲間とは強い絆で結びついていると思っていた。

「ちょっと羨ましいわ。でも、そんなの幻よ。いつまでも続かないことは分かっていると思うけど」 と、ミキは手厳しいことを言った。
「そうかもしれない。でも、心から信頼出来る仲間だ」 
 ずっとこれが続いて欲しいとさえ思っていた。
「結局、問題を先送りしているだけじゃないの」 また辛辣なことを言った。
「先送りしているだけかもしれないし、いつまで続くか分からない。でも、今はここが自分に一番相応しい場所だと思う。何より、目の前のものから逃げたくない」 
 ここにはどうにもならない現実ばかりがある。

「患者を一日何十人診ても変わらない。問題が大き過ぎ、自分の力ではどうにもならないのも分かっている。でもルワンダに行き、違うことが出来るかもしれないって気付いたんだ。まだはっきり分からないけど」 
 自分の中でゆっくりとだが、地殻変動が起きるのを感じていた。

「ということは、やっぱり医者を辞めるの?」 ミキが寂しそうに言う。
「そうじゃない。支援プロジェクトを計画したり、ルワンダ復興プロジェクトに参加したりする。直接患者を診なくても医療の知識は役立つし、重要だ。一旦、現場の医師は卒業するということかな」 
 そう言ってドクター・タケオのこれまでの途上国の医療発展への活動に重ねた。
「そんなものかしら……」 ミキは半信半疑だった。

「ミスタ、シリンギ。お金!」 

 店の女性の声で支払いがまだだったのに気付いた。彼女には東洋人の男女が店先で何かゴチャゴチャ喋っているとしか映らないだろう。

「ソーリー。ごめん、ごめん」 お釣りは受け取らずに店を後にした。

 ミキと別れ、事務所まで歩く暗い道すがら彼女が言ったことを反芻した。
 確かに幻かもしれない。でも、ACESの仲間は今の自分にはかけがえのないものだった。
 やっと見つかった場所だ。いや、もう逃げなくてもいい気がした。

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