20.難民キャンプのクリニック初日

文字数 3,517文字

1994年4月10日日曜日、午前7時
ACESンガラ事務所

 もっと寝ていたかったが、ガサガサというトタン屋根の上を歩く鳥の足音で目が覚めた。
 香ばしい匂いが漂いキッチンを覗くと、昨夜とは違ったお手伝いらしい若い女性たちが火鉢でチャパティとトーストを焼き、チャイを準備していた。

 既に食堂のテーブルにはグレイスが座り小さなカップからチャイを飲んでいた。
「ジャンボ、ハバリ、調子はどうグレイス?」 自分もチャイの入ったカップを手に座る。
 どうして、アフリカでは小さなカップでしかチャイを飲まないのだろうか不思議だった。その分、何度も飲むわけだが、大きなカップに入れればお代わりせずに飲めるのに。
 今度、町に出たら大きなマグカップを買おうと思った。

「ンズリサーナ。元気よ、ケン。よく寝られた?」 
 グレイスに笑顔で聞かれた。ケニアではムズリと発音し、タンザニアのスワヒリ語ではンズリと発音した。
「おかげさまで。屋根の鳥の足音がうるさいけど」 そう言って天井を指さした。未だに足音がしていた。
 それを見てグレイスが笑って頷いた。

 みなが起き出し、テーブルに座ると続々とチャパティとトーストが運ばれてきた。自分は焼き立てのチャパティにたっぷりのハチミツとバーターを塗って食べた。
 目玉焼きもテーブルに置かれた。アフリカでよく見る卵は黄身が白く全部が白身のようだ。鶏が食べるエサに黄色い色素がないためだが、味は変わらなくても慣れないと不思議な感じがする。人工的な赤のやたらと甘いケチャップより醤油が欲しかった。

「グレイス、今日の予定は?」 チャパティをちぎりながら聞いた。
「これから私たちはミサに行き、それからキャンプに行くわ。あなたはどうする?」 
イスラム教徒のアンワル以外のスタッフは教会に行くらしい。
「自分は先にキャンプに行って急患がいないかどうか確認しておくよ」  
 そう言って皿の目玉焼きの白い黄身の残りをチャパティですくった。
 
 朝食後、二手に分かれ、グレイスとステイシー、チャールズ、エリザベスの4人は町外れのカトリック教会に出かけた。自分とアンワルの二人はキャンプのクリニックに向かった。
 タンザニアはアラブの影響もあり、東部の海岸地帯はイスラム教徒が多いが、その後、植民地時代には宣教師がヨーロッパから来て布教を積極的にしたため、内陸部にはカトリック教徒が多く教会も各地にあった。

 ACESのクリニックがあるルコレ・キャンプはンガラの町から東に40キロ、車で約一時間の場所にあった。昨日渡ったポントゥーンを逆に渡り、ジャングルを抜けてルワンダ国境とキャンプに通じる幹線道路に出た。
 右折してしばらくするとキャンプ全体の取水源となっている池が見え、道路から300メートルほど離れた場所に、サッカー場二面分ぐらいはある池が広がる。水面には水草が生え、水鳥も泳いでいた。
 水質は分からなかったが、薄黒い水はどう見てもそのままでは飲めるようなものではなかった。池から一度タンクに揚げられ、そこで浄水処理をして給水しているという。
 池の端からはベナコ・キャンプが広がっている。
 ベナコにはブルンディ難民が約2万人暮らしており、ルコレ・キャンプよりかなり大きい。少し離れた丘にある銀色のタンクの周囲に人だかりがしていた。それが給水タンクだった。
 
 そこからは10分程度でルコレ・キャンプだ。ACESのクリニックは入り口から入って200メートルほど入ったところにある。水源となる井戸が必要だったので、そこに建設されたらしい。ザンビアもそうだったが、水はキャンプ設置の重要な要素だ。

 クリニックの入り口にでは数人の難民が待っていた。
「ボンジュール、ミスタ」 ACESの緑色のベストを着けた難民のボランティアがフランス語で挨拶してドアを開けてくれた。
 
 中に入ってクリニックを点検する。
 多くの患者こなせるよう診察台が幾つも並んでいたが、診察台そのものはパイプベッドの上にビニールカバーをかけた簡易のものだった。電灯がない代わりに窓が大きく、外光を取り入れていれるが、ガラスはなく金属製のメッシュが使われていた。
 冷蔵庫はないようだが、ワクチン接種の際はどうするのだろうか。勝手の違う別の難民キャンプのクリニックに興味が尽きない。

 医者を辞めたつもりだったが、患者を目の前にすると体が自然に動き、ブルンディ難民の女性アシスタントが手際よく準備をしてくれた。
『簡単な手当てなら』 そう思い渡されたドクターコートを羽織って手を洗い、診察の準備を始める。クリニックは整理整頓が施され、初めてでも手間取ることはなかった。

 最初の患者は火傷の女性だった。既に処置がされており、消毒をして包帯を取り換える。次の患者は下痢の小さな男の子だった。水衛生の状況は良くないようだ。付き添っている母親に経口補水液用の粉末と抗生剤を渡した。次の患者も下痢だった。

 気になったのは刃物で切られた傷を持つ難民が複数いたことだ。先日、ナイロビ事務所での会議の時にグレイスが報告した状況と一致する。しかも、キャンプに着いて日が浅く、長旅のせいなのかその誰もが疲れてやつれていた。

 治療をしていると、教会に行っていた4人がクリニックに到着した。患者の引継ぎの後、薬の在庫の点検と日本から届いた医薬品の整理に廻った。医薬品の一部が底を突きかけているということだったが、本当だった。今回の補給でしばらくは持つが、今後の患者の数にもよるだろう。

 その後、水衛生状況が気になり歩いてルコレ・キャンプを見回ることにした。ルコレでは、ここから数キロ離れた川で取水された後、給水車でここまで運び、ブラダーと呼ばれる伸縮性の3メートル四方ある巨大な塩化ビニールの袋に入れて給水していた。だが、1日1回の給水では瞬時に水はなくなり、黄色の袋だけがコンクリートの台からだらしなく垂れて広がっている。

 穴を掘っただけの穴にビニールシートで覆った簡易共同トイレが数か所あったが、手洗い用の水場も無く、衛生状態は良くはなかった。これでは下痢感染症は減らない。

 大体クリニックの環境が分かったので、一足先にアンワルの運転でルコレ・キャンプを後にした。

 ジャングルを通る旧道を抜けてンガラの事務所に戻ったのは午後5時を過ぎていた。
 ひとり食堂のテーブルに座り、お手伝いの女性が用意してくれたチャイを飲みながら、キャンプで今日見たことを考えていた。

 ブルンディ、ルワンダ両国の大統領が暗殺されて4日が経っていたが、まだどちらの国からも急激に難民が増える状況は起きていない。チャールズが言った嵐の前の静けさなのだろうか。少し不気味だ。

 そうした不安を打ち消すようにキッチンから料理の良い匂いが漂って来た。気になって覗いてみるとお手伝いの若い女性三人がおしゃべりをしながら楽しく料理をしている。
 今夜の夕飯はヤギのシチューに、この地方で「マトケ」または「プランティン」と呼ばれる緑のバナナを茹でたものもようだ。匂いの強いヤギ肉は一度茹でてからトマトとたっぷりのスパイスで煮込むらしい。
 グレイスが探した彼女たちは、それぞれの母親のレシピを再現しているそうで、ここで働くのは花嫁修業の一環のようだ。
 立ち上る湯気の香りに空腹を覚え、昼食を食べていなかったことに気付いた。

 既に日が暮れかけていた。外からエンジンの音が響く。いいタイミングでキャンプからスタッフが戻った。みなもお腹が空いていたのだろう、直ちに全員がテーブルに着いた。

 夕飯を食べながら今日の仕事についてみなで確認した。だが、誰もがお腹を空かせていたらしい。仕事の会話もそっちのけで、湯気の立つ出来立てのシチューを頬張る。トマトベースのピリッとしたスパイスの味が濃厚なヤギの肉に沁み、サツマイモのような食感のマトケとよく合う。

 グレイスによると今日は30人の患者を診察したということだった。日曜なのでクリニックに来る患者は少ないということはない。症状は下痢などの感染性胃腸炎が中心だったが、やはり刃物による怪我人もいた。

 ステイシーがルワンダ国内について最新の状況を伝えてくれた。各報道によると、全面的な内戦状態に陥ったという。
 一方、反政府勢力のRPFは首都キガリにまで侵攻したとのことだった。RPFの根拠地はルワンダ北部のウガンダとの国境地帯なので、大統領機撃墜からたった4日で、キガリにまで達しているとは信じられなかった。
 RPFはよっぽどの勢力なのか、ルワンダ国軍に内通者がいて無抵抗なのだろうか。それともその両方だろうか。非常に早い進撃に驚いた。

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