6. 東京下町

文字数 1,503文字

1994年2月11日金曜日、午後2時
東京都台東区、民間支援団体東京本部事務所


 遅まきながら、派遣元の本部事務所に帰国の挨拶と旅費の精算に出向いた。下町にある昔ながらの瓦葺きの民家を改造した事務所はいかにもボランティア活動をしているという感じの雰囲気がした。
 建国記念日の休みの午後だからなのか、事務所は学生を中心とした多くのボランティアが出入りしていた。

「やあ、岡田先生!」 
 古狸のような小太りの男性古参職員が自分に気付き声を掛けてきた。
「浦田さん、お久しぶりです。お世話になりました」 思ってもみない言葉が出た。
「お元気そうで何よりです。いつ戻られたのかな?」 
 挨拶のつもりだろうが、却って嫌みがある。全部知っているくせに。
「かれこれ二週間前です。東京の友人宅を転々としていたものですから」
「そうですか、忙しいんですね。ところで、ムワンザの草野久美子さんが亡くなったのはご存知ですか? あなたがアフリカを出てしばらくしてだから、3カ月前でしょうか」
 何ということだ! クミさんが亡くなっていたとは。

 古狸が続ける。
「脳マラリアでした。体が弱っていたので、第三国への緊急搬送も出来ず、ダルエス・サラームの病院で息を引き取りました。ご遺体はご本人の生前の希望で、ご主人も眠るムワンザの墓地に埋葬されました。これにはザンビアのミキさんが頑張ってくれました」

 なんてことだ……。東南アジアをほっつき歩いていたころ、クミさんはマラリアに侵され死の淵をさ迷っていとは。まさかあのダルエス・サラームでの夜が最後になるなんて。

 脳マラリアはマラリア原虫を持つハマダラ蚊が媒介して発症するマラリアによる合併症の一つで、脳への血流が阻害され意識障害も起き急激に悪化する。致死率は非常に高い。アフリカでは毎年約100万人がマラリアで死亡し、常に死因の上位にあった。

 クミさん、苦しかっただろうに。ダルエス・サラームで会った時にしていた咳も関係していたに違いない。もっと休むなり療養するなり出来なかったのかと思うが、彼女の性格から、そんなことは無理だっただろう。

 少し考えてから浦田さんに告げた。
「確か、お母様が京都にいらしたはずですが、連絡先を教えてもらえますか」 
 せめてお悔やみを伝えたかった。

 クミさんのお母さんの電話番号をもらい、事務所を出た。翌日は全国的な雪で、東京も大雪になるとの予報が出ていたので家路を急ぐ人で駅は混んでいた。

 帰国してからは医学部時代の友人の都内のマンションに身を寄せていた。彼は大学病院で忙しく勤務していたので顔を合わせることもなかったので気が楽だった。

 部屋に戻ると京都に電話をかけた。
「はい、草野でございます」 クミさんの母親と思しき人が出た。
「私、アフリカで久美子さんにお世話になった岡田と言います」
 お悔やみを伝え、これまでの経緯を伝えた。

「岡田はん、ほんまおおきに。クミコも喜んどると思います」 
 京都弁が受話器から流れる。なぜか、クミさんは京都弁を話さなかったことに気付いた。近々、霊前に参りたいと願い出て電話を切った。

 京都へ行く段取りを考えた。しかし、考えてみれば彼女の本当の墓はタンザニアにある。実家に行きクリスチャンの彼女の遺影に花を手向けてもどれほど意味があるだろうか。
 そう思うとアフリカに戻り墓参りをすることにした。

 翌朝、アフリカ専門の旅行会社に電話してタンザニアまでのチケットを手配した。前回と同じパキスタン航空のカラチ経由の便でナイロビに入り、そこで1泊してダルエス・サラームに行くのが一番早く安かった。
 出発はタンザニアのビザの取得も入れ、十日後とした。

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