26.難民キャンプ新プロジェクト

文字数 2,023文字


          (ルコレ・キャンプの難民の学校、1994年)

1994年5月11日水曜日、午前7時
ACESンガラ事務所

 ルワンダ難民のためのベナコ新キャンプ設営のめども立ち、ベナコでの支援体制も確立すると応援で駆り出されていたACESもルコレ・キャンプでの従来の業務に戻りつつあった。
 その中、ステイシーが新しいプロジェクトの提案をした。

「前から考えていたのだけど、難民の子供向けに教育を始められないかしら。キャンプが出来て3カ月以上経つのに、子供たちは全く教育から離れてしまっているわ。早く始めないと手遅れになると思うの。その託児所の中で教育も出来ないかって」 
 そう朝食のミーティングで提案した。
 
 確かに難民キャンプでは食料に水、医療など命に直結する支援が重視される。しかし、キャンプ生活が長期化してキャンプが生活の拠点となれば、さまざまな活動が必要になる。子供の教育は仕事と現金収入などと同時に重要な課題だ。

 この託児所のアイディアがよいことは、母親が子供の心配をすることなくキャンプでの暮らしに欠かせない配給の受け取りに専念出来ることだった。しかし、ルワンダ社会も他のアフリカの国と同様に男尊女卑で、難民キャンプでも多くの男は家事に協力せずブラブラしていた。

 難民キャンプでの生活は行列と順番待ちで成り立っていた。その受け取りはほとんどが女性によって行われていた。全ての支援物資は配給で提供されていたが、常に配給所は混雑し、小さな子供を抱えた女性には大きな負担だった。それに加えて日常の家事があった。

「タンザニア政府はここタンザニアのカリキュラムしか認めていないが、どうする?」

 問題もあった。タンザニア政府は難民キャンプとはいえ、タンザニアの小学校のカリキュラムまでしか認めていなかった。それは難民キャンプの学校ではスワヒリ語か英語での教育を意味し、ブルンディ難民とルワンダ難民がしゃべるキルンディ、キニヤルワンダは教えられなかった。
 それについてベンが質問したのだった。

「だから、年齢制限をしない託児所ということでかわせると思うの。タンザニアのカリキュラムを提供しないので成績証明書とか修了証明書は出せないけれど、託児所ということで自由に教えることが出来るわ」

 そもそもタンザニアにいつまでいるか分からない難民の子供に母国語でないスワヒリ語を教えても、中途半端だった。ならば、早く母国語を勉強させるというのが彼女の考えだった。

「難民は国に戻っても難民なんだ……」 
 以前、ザンビアの難民キャンプで、哀愁を込めポツリと言った若いアンゴラ難民の男性のことを思い出した。彼は幼いころ両親と共に戦火を逃れて国境を越え、10年以上難民キャンプで暮らしていた。
 そもそも、アンゴラの記憶はないので郷愁も抱けない。村は戦争で焼け払われ、国に戻れても誰も知らないし何もない。まして受け入れ国では難民として支援を受けて暮らすしかなく、国籍がないので定職に就けず、移動の自由もない。
 戦火で全てを失った挙句、国を逃れて知らない国での自由のない難民の生活の辛さ。加えて難民をスパイや不穏分子として監視する国も多数あった。
 彼の悲しみは難民の流浪生活を体験した者しか分からなかった。


「ステイシー、うまいこと考えたな。そのアイディアはどこから来たんだ?」 
 ベンが驚いたように言った。
「以前、ブルンディの首都ブジュンブラでストリートチルドレンの似たようなプロジェクトを手掛けたことがあったの。それで……」 と、すこし戸惑いながらステイシーが答えた。

 彼女が金沢に英語教師でいたことは知っていたが、ブルンディにもいたことがあったことは初めて知った。
「そうか。みなに異論がなければ、進めることにしよう」 
 そう言ってベンがプロジェクトを了承した。

「ステイシー、頑張れ応援してるよ」 
 日本語で彼女にルコレ・キャンプに向かう車中でステイシーに言った。託児所の開設は素晴らしいアイディアだった。
「ケン、手伝ってくれたら嬉しいわ」 彼女がはにかみながら言った。
「もちろん、やれることは喜んでやるよ」 
 そう言うと、右首に温かいものが触れるのを感じた。

 彼女はこうしたフレンドリーさの一方で、過去について触れられるのを避ける落差に少し戸惑った。
 きっと人には言いたくない事情があるのだろうと、勝手に解釈した。
 

 それから二週間後、UNHCRから託児所のプロポーザルが承認されたことが伝えられた。開設に必要な物資の調達や建設はステイシーがほとんど一人で切り盛りし、彼女はンガラとナイロビを行き来した。
 

 前日の5月10日、南アフリカで民主化後初の選挙で選ばれたネルソン・マンデラが大統領に就任した。
 アフリカは大きく動きつつあった。
 戦争と平和、どちらに向かっているのだろうか。
 このンガラでブルンディとルワンダからの難民を見る限り、前者に向かっているしか見えなかった。

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