5.阪神・淡路大震災

文字数 1,623文字

1995年1月17日火曜日、午前6時50分
ACESンガラ事務所

「ケン、起きてるか?」 ベンの声がテント越しに聞こえた。
「ジャンボ、ベン。一体何だい?」 こんな早くに彼が自分のテントまで来ることはなかった。
「日本で大きな地震が起きたらしい。ナイロビからさっき電話があった」 
 ベンの声が緊張していた。時計は朝7時前を指していた。

「いつ、どこで起きたか分かる?」 ベッドから起きてテントのジッパーを上げた。
「こっちの昨夜だ。西部の都市で起きたらしい」 島国といっても日本は細長い。
「大阪、広島、福岡?」 西日本の都市名が浮かんだ。
「いや、違う。たしか美味しい肉で有名なところだ」 
「神戸!?」 意外な都市で驚いた。神戸ビーフはアフリカ人にも知られていた。
「そうだ。神戸だ。かなりの大きさだったらしい」 ベンが静かに言った。

 1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源とするM7.3の地震が発生した。この地震により、神戸などで震度6を観測して市内外に甚大な被害を及ぼし、戦後最大の自然災害による被害規模を記録した。このことは世界にも大きな衝撃をもって伝わった。

「ケンどうする、帰国するか?」 ベンが聞いてきた。
「神戸には親戚はいない。確か、ミキは神戸出身のはずだ。知らせてくる」 
 そう言うと上着を羽織ってミキのいる事務所に走った。


 ミキの事務所の電話の周囲には日本人スタッフの輪が出来ていた。
 その中心はもちろんミキだった。彼女が涙ながらに話している。口ぶりからすると日本の事務所と会話しているようだ。
 発災から約5時間が過ぎてある程度の被災程度は日本では分かってきているのだろう。
 日本とタンザニアの時差は6時間で、日本は午後1時過ぎだ。

 既に第一報が日本から彼女に入っていたので事務所に戻り、短波ラジオを点けた。NHKの日本語放送の時間までしばらくあり、BBCを聞いたが神戸で起きた大地震で大きな被害で数百人の死者が出ているというが、まだ詳しい状況は分からない。 
 発災直後で状況がつかめないのと、被災規模が大きく情報が途絶するブラックアウト状態になっている可能性もある。時間が経つにつれ、被害の全貌が明らかになるだろう。
 
 この時点で自然災害としては災害関連死も含め、戦後最悪の約6,500人もの犠牲者が出るとは予想だにしなかった。

 その後、刻々と増えていく犠牲者数に衝撃を受けながらも何も出来ない自分に苛立ちを感じた。しかし、帰国しても自分に何が出来るというのだ。まして、すぐに帰国しても神戸に着くころには救急救命期は終わっている。


 事務所の食卓の前でみなが声を掛けてくれた。
「みんな、気にかけてくれてありがとう。自分はここにいるよ。日本には大勢優秀な医者がいるから、自分みたいな藪医者が一人いなくても大丈夫だよ。ハハハ」 
 と、冗談を言っても誰も笑わなかった。


 その日の夕方、再度ミキの事務所を訪ねた。
「岡田先生!」 ミキが他のスタッフとともに荷造りをしていた。
「実家は大丈夫?」 思い切って聞いてみた。
「母と連絡が取れないんです……。明日、ナイロビ経由で帰国します」 
 今にも泣きだしそうだった。
「それは気がかりだね。大丈夫、きっとお母さんは無事だよ」 そう言ってみたものの、説得力は全くないのは分かっていた。
「ありがとうございます。神戸に行き、そのまま支援活動をするつもりです」 
 一部のスタッフも一緒に帰国し、神戸に行くという。

「とにかく、お母さんとあなたの無事を祈っている。日本は冬だし体に気を付けて」  
 そう言って彼女の肩に手を置いた。
「はい。先生もお元気で」 彼女が肩に置いた手に手を重ねた。
「じゃあ、また」 そう言うと彼女の事務所を出た。

 ミキたちは失敗続きだというここでの井戸掘りより、震災被災者支援の方が役に立つだろう。
 少しだけ、自分も帰国することを考えたが、ここでやるべきことをやらねばと急いで打ち消した。
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