8.無人の街道
文字数 1,160文字
(ウガンダとの国境近くにある無人の国内避難民キャンプ、1994年8月)
1994年8月3日水曜日、午後2時
カバレ-キガリ
ルワンダに入ると整備された道が緑の多い丘に沿って続く。
ザイールとウガンダの国境にそびえるヴィルンガ山脈は雪山も多く、アフリカのスイスとも呼ばれている。森と小川が多い牧歌的な風景は、昨日までの乾燥したサバンナが続く風景とは一変し、同じアフリカとは思えなかった。
気温も下がり、適度に湿度があるので車窓から入る風が心地よい。
ウガンダとキガリを結ぶ街道に沿ってうねうねと続く丘を縫うように抜け、点在する村落を通り過ぎるが、人をまったく見かけない。
茅ぶき屋根の土壁の家々は破壊されたわけでも焼けたわけでもなく、そのままだった。住人だけが忽然と消えていた。畑も収穫する人がいないのか、育ち過ぎた作物が放置されていた。
どこかの村の飼い犬だったのか、野犬化した犬の群れが、車に向かって吠えながら走ってきた。
そうした誰もいない村の一つで、牛を引く16、17歳の少年が歩いていたので車を止め事情を聞こうとした。
キニヤルワンダ語でグレイスが話しかけても彼はただ呆けたよう口を大きく開け、よだれを出し、牛を引く綱を振り回しながら言葉にならない声を発するだけだった。
「モーッ」 と、それに驚いた牛が鳴いて首を左右に大きく振って走り出した。少年は牛に引きずられて村の奥へと消えた。
大きな紅茶工場の前に広がる茶畑はすっかり荒れていた。日本だと腰の高さ程度に揃えられる茶の木が3メートル以上に伸びていて、大きな葉が茂る。紅茶はルワンダの主要な輸出品だったが、荒れ放題の茶畑を見て内戦がルワンダ経済に与えた悪影響を感じた。
その後は村があっても人だけが蒸発したような異様な静けさが続き、われわれの車の走る音だけが谷間に響く。
どこにも人が暮らしているという生活感はなく、やっと人を見掛けたのはそれから一時間ほどしてビュンバという、街道上の一番大きい町に入ってからだった。
かなり大きな町だったがやっと2、3人を見かけただけだった。無表情で、キョロキョロ見回しながら立つ姿は異様だった。
われわれの車を見た途端、両手で頭を覆いどこかへと走り去った。
その後は人を全く見かけなくなった。
「ウガンダ兵だ!」
町を出てしばらくすると兵士を乗せた車両と行き違った。その制服を見てアンワルが言った。自分には違いは分からなかったが、ウガンダ軍がRPFを支援しているという疑いが持たれていたので、そのせいかもしれない
当然、ウガンダ政府は関与を否定していたが、RPFはウガンダに逃れたツチ人ルワンダ難民のウガンダ軍に入隊した兵士らによって結成されたというので、ウガンダ軍の軍服や装備を使っている可能性は高かかった。