4.ルスモ国境I

文字数 2,098文字


            (ルワンダに帰還するツチ人難民、1994年8月)
1994年8月2日火曜日、午前7時
ACESンガラ事務所

 前夜はよく寝られなかった。
 ルワンダに行って何が起こるか分からない緊張感と不安感というより、学校の遠足の前夜のような高揚感だった。
 テントを出てランドクルーザーに私物を入れたリュックを積んだ。中身は三日分の着替えなど最低限だった。どこかで洗濯できるだろう。

 事務所のドアを開けると、もうチャイが用意されていたのでありがたく飲む。

 近くのモスクのスピーカーから、夜明けの祈りを呼びかけるアザーンが流れ始めたのを合図に車に乗り込んだ。
 アンワルのランドクルーザーはブルンディ登録の左ハンドルだったので、ベンが右側の助手席に座り、自分はアンワルの後ろ、ステイシーが自分の隣に座った。もう一台のピックアップにはモーゼスの運転でグレイスとチャールズが乗り込んだ。
 結局、エリザベスとジョセフ以外のほとんどのスタッフが出かけるという大調査団になっていた。

「それでは出発だ!」 ベンの合図でルスモの国境に向けて出発した。

         ***
  
 すでに朝のベナコ・キャンプの周辺は多くの難民の生活で活気に満ちていた。各キャンプの丘と丘を結ぶ自転車の荷台に客を乗せて運ぶ自転車タクシー。
 道端には鍬を肩から下げて近くのタンザニア人農家の畑で働く男性難民が列をなしている。彼らは農家がトラクターで日雇いの手伝いを探しに来るのを待っていた。
 それらを縫うように木製の手製カートでガラガラと坂をまるでボブスレーのように下り遊ぶ子供たち。
 女性や女の子たちは黄色いポリタンクを頭に担ぎ、給水場に向かうか、洗濯物が入った大きなたらいを頭に載せ水場にある洗濯場へと列をなし歩いている。
 難民キャンプとは思えない風景をじっと見つめた。


 ルワンダに向かう道とウガンダに向かう道が交差する、長距離バスの停留所がある場所では食堂に交じり、幾つか商店が並んでいた。

 目つきも悪く、怪しい男たちのグループがいるその前にアンワルが車を停めた。
「ダラ、ダラ! フラン、フラン!」 
 男たちがわれわれを目指して寄ってきた。隣に座ったステイシーの体が固まるのが分かった。

「ここでルワンダ・フランに両替しておいた方がいい」 
 アンワルがそう言って今朝のレートを確認した。
「ここ、本当に大丈夫?」 気になって自分が聞いた。
 サングラスにベレー帽という彼らの外見はどう見てもベナコのフツ人強硬派と変わらない。
「ハクナマタタ、こいつらガラは悪いけどマシェティは持っていないよ」 
 アンワルが冗談とは思えない冗談で答えた。

 両替レートは1アメリカドルが560ルワンダ・フランで、ここのレートが一番良いらしい。
 ルワンダ・フランはキガリにあるルワンダ中央銀行の地下の金庫ごと逃げる政府軍が持ち去ったというニュースもあり暴落していた。
 いつ新しい政府が新通貨を発行して紙くずになってもおかしくないので両替は500ドルにとどめた。それでも、輪ゴムで巻かれた5,000フランの札束は財布に入りきらずにリュックに詰め込む。

 両替を終えるとルスモの国境に向かった。この道が難民で溢れていたのはほんの3カ月前だったが、なんだかとても遠い昔に感じられた。

 ルスモの国境には国境事務所が開く午前8時前に着いた。
 事務所脇の車寄せには難民らしい一団と家財道具らしいものを載せたトラックが並んでいる。今のルワンダの状況で国内に戻る難民がいるのが信じられなかった。

「あれはルコレにいたツチ人難民だ。RPF政権が難民は国に戻れと言っているらしい」 
 アンワルが自分の疑問を察知するかのように答えた。
「ルコレに戻ったらツチ人難民の動向を確認した方がよさそうだな」 ベンが言った。

 RPFが難民の帰還を奨励しているらしいが、帰還しているのはツチ人だけで、フツ人の帰還はないらしい。

 国境事務所先のルスモにかかる橋に通じる道にはICRCの白いトラックのコンボイが待機している。数人の外国人スタッフがトラックから降りて談笑しながらタバコを吸っている。
 その中に先日話を聞いた女性がいた。

「またお会いしましたね。先日はありがとう」 彼女に声を掛けた。
「おはよう。いよいよキガリに行くのね」 彼女がふーっと上に向けて煙を吐いた。
「ええ。チームと一緒に。クリスティーンのことをもう少しで聞かせてもらえます?」
 クリスティーンの手がかりがもっと欲しかった。

「そういう私もよく知らないのよ。でも、みんな知っているから大丈夫」 
 そう言ってウィンクをした。まるで禅問答だった。

「国境が開いたわ。行かなくちゃ」 彼女はそう言うとタバコを踏み消し、コンボイ先頭の赤十字の大きな旗をアンテナに結んだ白いランドクルーザー・ハードトップに乗り込んだ。

 みなが待つ国境事務所に向かい、それぞれ出国手続きをする。
 ルスモの橋は信じられないような静けさだ。ここを渡るのは多くの死体が流れてきていた4月半ば以来だ。
 今では死体は流れ込んでいないようだし、この橋を渡って来る難民もいない。
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