第93話 1986

文字数 2,029文字

あたしは光の中を漂い、
その光が渦を巻いて何かの形が見えてくるのと同時に
あたしの意識もすぅっと現実感を取り戻した。

キラキラと光の粒があたしの体から床にこぼれ落ち足元で消える。

ゆっくりとあたしは顔を上げると、
そこは真新しい教室の真ん中だった。

整然と並べられた机。
夕暮れ時の教室は誰もいなかった。
グラウンドからはサッカー部の部員の声とボールを蹴る音、
校舎のどこかからは吹奏楽部の練習の音楽が聞こえる。

あたしはゆっくりと教室を見回した。
ここは…… 35年前の科学部部室?

まだ生徒数が多かったこの時代、
ここは普通の教室として使われていたんだな。

あたしは窓辺に近づいて窓の下を見た。
眼下には見慣れた渡り廊下が見える。
マシロがいつも寄りかかって外を眺めていた窓。

教室の時計を見ると時刻は午後5時を過ぎた所。
あたしが地滑りに巻き込まれた直後くらいだろうか。

空を見上げるとマシロと一緒に隅田川で見た時と同じ様な、
バラ色と紫色のグラデーションが広がっていた。

あたしは少し微笑んで窓枠を撫でると

「帰るか……」

と呟き、教室を後にした。

あたしは東京から電車を乗り継ぎ、夜遅くに梓山の駅に着いた。

駅員に名前と電話番号を告げ、母さんを呼び出してもらうと、
駅に駆けつけた母さんは幽霊でも見るような顔で驚きながらも、
あたしに駆け寄った。

「透子!!」

母さんはそう言ってあたしをぎゅっと抱きしめた。

「良かった、良かった……」

そう繰り返し母さんは泣いた。
抱きしめられながらあたしは母さんに話しかけた。

「母さん、あのさ…… 再婚、してもいいよ」

あたしが言うと母さんは「えっ?!」と、
心底驚いた表情であたしを見た。

「その代わり、頼みがある」

あたしは言った。

それからあたしは記憶が曖昧な事が多かったため、
脳やその他の箇所の検査のため数日入院を余儀なくされた。
本当に覚えていなかった訳ではなく、
あらゆる質問に「覚えていない」と答えていただけなのだが。

それにこれまでの事を説明した所で、
どっちにしろ頭の検査はされるだろう。

入院中に一度、母さんの再婚相手とその息子が見舞いに訪れた。
再婚相手の連れ子の男の子はまだ11歳で、
紫苑やルリオと顔は似ていないが奇しくも同い年。

あたしは35年後の世界のお墓参りで
母さんを支えていた男性を思い出し、
新しい弟に「いろいろありがとう」と言うと、
弟は不思議そうな顔をした。

病院には仲間達も見舞いにやって来た。

「透子さん!! 無事で何より!!」

コータローも目に涙を浮かべて言い、

「透子が生きてて良かった……」

と小紅も涙を流した。

「透子、発見されるまでどうしてたんだ?」

一茶が聞いたがここでもあたしは

「覚えてないんだ……」

とだけ答えた。

それからあたしは学校にも復帰した。

前の校舎は使い物にならなくなったので、
中学の校庭にプレハブが建てられ、
梓山高校の生徒はひとまずそこで授業を受けた。

戻ってからのあたしは真面目に授業に出て、勉強をした。

「透子…… どうしちゃったんだよ……。
なんか別人みたい……」

小紅は隣の席の机の上に座り戸惑った様に言った。

「うん、将来やりたい事が出来たんだ」

あたしは自分の席に座り、単語帳をめくりながら小紅に言った。

その後もあたしは勉強に励み、日々は流れ、一茶の卒業式の日を迎えた。
式の後、あたし達は今にもほころびそうな蕾を
沢山つけた桜の木の下で落ち合った。

「お前最近あんま顔出さねーけど、
二年後大阪に来る話、そのつもりでいていいのか?」

相変わらず背が高くて広い肩幅が、逆光の中シルエットとして浮かぶ。

「いや……」

あたしは少し微笑んで、視線を落とした。

「ごめん、やっぱりあたし大阪には行かない。
その代わり東京の大学に行こうと思ってんだ」

「大学に?」

一茶は目を丸くして言った。

「母さんの再婚を認める代わりに
大学に行かせて欲しいって頼んだんだ。
そしたら母さん『そんな事、いくらでも何とかする』って言ってくれて」

一茶はより目を丸くしてあたしの話の続きを待った。

「大学に行って教育とか福祉の勉強がしたいんだ。
世の中には環境に恵まれなくて不自由な生活を強いられたり、
寂しい思いをしている子供がたくさんいる事を知った。
そいういった子供達が、安心して幸せに暮らせる世の中を作りたいんだ」

「透子…… お前変わったな」

一茶は言った。

「でも良い事だ。なんか安心した。
お前、いつも俺がいないと駄目みたいな顔してたから」

そう言って一茶は笑った。

「妹みたいな奴が泣きながら頼って来たら、
俺も無下にできねーし、
でもお前が強くなったなら俺も嬉しいよ」

妹……
一茶にとってあたしは妹的な存在だったのか……。

あたしはまたフッと笑った。

「あたしはもう一人で大丈夫。
だから一茶も大阪で全力で頑張れよ!!」

あたしは顔を上げて一茶を見た。

「お前に言われなくても頑張るっつーの!!」

一茶は「べっ」と舌を出し、

「じゃあな!」

と歩き出して、
こちらに背中を向けたまま卒業証書の筒を持つ手を振った。



次回、最終話です!
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み