第40話 漂の思い

文字数 1,527文字


パチン、パチン……

ルーフバルコニーからは漂が縁台に座り、
足の爪を切っている音が聞こえた。

「あいつ、最近暗くねーか?」

ダイニングのテーブルで「はい」とカフェオレの入ったマグカップを
あたしに手渡しながら大河が言った。

「いろいろあってな……」

あたしは事の経緯を大河に話した。

「なるほどな……」

そう言って大河はキッチンに戻り、
インスタントのカフェオレをもう一杯作ってカップを手にし、
「透子も来いよ」と掃き出し窓からルーフバルコニーに出た。

外に出ると11月の夜風はひんやりしていたが空気が澄んでいて、
スカイツリーもいつもよりその輪郭がはっきりと輝いて見えた。

「何だよ、二人して」

漂は無表情のまま顔を上げた。

「たまにはお喋りでもしませんかーー?」

両手のマグカップを上下に動かし、大河はおどけた。

「気持ちわりー」

顔をしかめて漂は大河を見た。

「お喋りって何喋んだ?」

あたしが聞くと

「何も決めてね」

と大河はバルコニーに設置されたテーブルの椅子に座った。

「何だよそれ」

漂は呆れて言い、
あたしももう一つの椅子に大河と向き合って座った。

「前も、俺が空手で負けて凹んでる時に
大河はそうやっておどけてたよな」

漂が言うと

「そうだっけ?」

と大河は答えた。

「おどけてただけで何をしてくれた訳じゃなかったけど」

漂は切り終えた爪を指でなぞり、一呼吸置いた後、

「大切な人がピンチなんだ」

と続けた。

「そうか」

大河は一言だけ答えた。

「知恵を貸してくれないか」

漂は足の爪を見つめたまま言い、
大河は「くるしゅうない」とカフェオレを一口飲んだ。

次の土曜日は空手の稽古を再開した。
おやつタイムになると、藤巻さんと共に新しい職員の人が

「どうぞーー」

とお菓子とジュースをテーブルに並べた。

「藤巻さん、葵さんは……?」

漂が聞くと

「葵さんはもうここは退所したわよ。
病院も無事に退院したわ」

と藤巻さんはいつも通りのトーンで答えた。

「そうなんですか! それじゃ、今どこに!?」

漂は前のめりになって聞いた。

「母子シェルターに入らせたわ」

「シェルター? それって会いに行けるんですか?」

漂は不安そうに聞いた。

「シェルターの場所は教える事はできないわ。
彼女たちが安全に暮らす為に」

「そんな!! 俺だったら絶対に葵さんを守れます!!
俺…… もし葵さんが承諾してくれたら一緒に……」

その続きを遮る様に藤巻さんは言った。

「漂くん、思う事はいろいろあると思うけど、
あなたはまだ高校生。
あなたに葵さんを守る事はできない」

普段は穏やかな藤巻さんが厳しい目をしていた。

漂は唇を噛み締め何も答えず、
拳でドンッとテーブルを叩いた。

すると新しい職員さんが

「藤巻さん、ご来客ですが……」

と声をかけた。

「来客? 誰かしら?」

灰谷(はいたに)さんって言ってました」

「灰谷!? って葵さんの彼氏の!?」

驚いた表情で藤巻さんは立ち上がり、
ダイニングから玄関に向かった。
あたしと漂も藤巻さんの後を追い、
廊下の曲がり角に身を隠して様子を伺った。

「わたくし、葵の婚約者の灰谷と申します。
葵の行方がわからなくなったので、こちらにお伺いに来ました」

玄関に立つ男は、
モスグリーンのブレザータイプのジャケットに白いシャツを着た、
一見きちんとした男に見えた。

「葵さんはここにはいません」

藤巻さんが答えた。

「それではどこにいるのか場所を教えていただけますか?」

「申し訳ございませんが、それはお教えする事はできません」

落ち着いた口調で藤巻さんは続けた。

「はぁ!? 俺は葵の婚約者ですよ!
それにあいつのお腹には俺の子供もいる!!」

「すみません、お教えする事はできません」

藤巻さんはそう繰り返し、
断固として灰谷に屈する姿勢は見せなかった。

漂は硬く拳を握り、今にも飛び出して行きそうだった。

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