第63話 ハナミズキの下で

文字数 1,634文字


次の日、あたしたちは宿を出発し、梓山に向かった。
あたしは助手席に座り、後ろの席にはマシロと漂が座った。

「二日間とも天気に恵まれて良かったなぁ」

翠さんはあたしを気遣うようにたわいのない話を続けていて、
マシロも「ほんとだね」とそれに相槌を打っていた。

漂は黒いハットを目深にかぶり、ずっと黙って窓の外を見ていた。
あたしもなんとなく気まずくて、昨夜から漂とは口をきいていない。

湯の中温泉の山を下り、麓の市街地から国道に入る。
そこから20分ほど走れば梓山だ。

遠くに山々が連なるのが見えて来た。
懐かしく感じるが、
あたしにとっては数ヶ月前まで暮らしていた風景。

「こんな所に住んどったんやねぇ」

翠さんはハンドルを握りながら呟いた。

国道から一本道を外れて、梓山の集落の方に向かう。
もうすぐ、アパートや高校のあった場所……。
心臓がこれまでになく速いリズムを打った。

「ここやな。集落の中心だった所やで」

翠さんはただ芝生が広がる
広場だけの公園の駐車場に車を停めた。

「ここがどこかわかるか?」

マシロが聞いた。

「いや…… わかんないな……」

あたしは広場を見回し言った。

広場の奥は山に続く斜面になっていて、
斜面の下側は山崩れ防止のコンクリートで覆われており、
その手前に一本の木が立っていた。

「あの木の所まで行ってみよう」

あたしが言い、四人は木の下まで移動した。

「ハナミズキやな」

5メートル程の木を見上げて翠さんは言った。

「なんか書いてある」

これまで黙っていた漂が
木の隣に設置されていた看板を見て口を開いた。

「少女の木……?」

四人は看板を覗き込み、
マシロが看板の文字を読み上げた。

「この木はある一人の少女の鎮魂のために植樹されました。
この地の永続的な安全と少年少女の安息の願いが込められています」

「これって……」

あたしが驚いて立ち尽くしていると

「あなた達はここら辺の人じゃないね?」

と後ろから声がし、振り向くと一人の老齢の男性が立っていた。

「旅行で湯の中温泉に来ていたんですけど、
この土地に所縁がある者で、ちょっと立ち寄ったんです」

とマシロが答えた。

「そうでしたか。
それじゃ、昔ここで災害があったのもご存知で?」

男性が言い

「あ、はい……」

とあたしは答えた。

「私は昔ここにあった高校で教師をやっていてね。
もう昭和の時代の事だけれども、当時は荒れている子供を
とにかく押さえつけるような教育しかしていなくてね」

男性は遠くを見るような目でハナミズキを見つめた。

「非行に走っていた少女がいたんだけれど、
私はその子にも厳しく当たってしまってね。
でも、その子はこの山の地滑りに巻き込まれて亡くなってしまった。
もっとも遺体は未だに見つかっておらんのだが……」

あたしはその男性の顔を見てはっと気が付いた。
このおじいさんは赤井だ……。

「それからその女子生徒の家庭環境も知り、
世の中の教育方針も変わった。
あの時もっと話を聞いてやればと未だに悔やんでおる……」

「そうでしたか……」

話を合わせるように翠さんは赤井の話に頷いた。

「なんだかな、お嬢さんがその時の女子生徒に似ている気がしてな。
歳をとると若い子はみな同じ顔に見えるのかもしれないが」

そう言って赤井は苦笑した。

「先生……、あ、おじいさんはもう教師はお辞めになったんですか?」

あたしが聞くと

「五年前に定年になったよ。
それから毎日ここまで散歩するのが日課になった」

そう言って笑った。

「お嬢さん、この先辛い事があっても死んじゃだめだ。
生きていたらいつでも挽回できるからな。
この女子生徒も生きていれば挽回できるチャンスはあった……」

「そうですね」

あたしも話を合わせるようにそう答えた。

「それじゃ、まだ回る所があるので」

軽く会釈をして翠さんが言うと、

「おぉ、旅行中に湿っぽい話をしてしまって申し訳ない。
気をつけて旅を楽しんで下され」

と赤井は微笑んでこの場を立ち去った。

35年後の梓山。

まさか赤井と再会するとは思ってもいなかったが、
あの頃の心のモヤモヤが少し晴れたような気がした。

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