第19話 わんにゃんハウス

文字数 1,471文字


初登校の一日が終わり、ぐったり疲れてビルに帰ると、
一階のショップから出て来た翠さんに声をかけられた。

「透子ちゃん、学校初日で疲れたやろ?
ご近所の常連さんから差し入れもろたからお茶していかへん?」

翠さんはこのビルの一階で
犬猫の服や首輪などを販売している雑貨店、
「わんにゃんハウス」を営んでいる。
もっとも、出資をしているのは理事長らしいが……。

店の入り口の上には、肉球模様のピンクの軒先テントがあり、
そこには店名と共に首輪をつけた犬と猫のイラストが
ハイタッチをしている。
正直ダサい……。

このビルは二階から五階までは貸しオフィスになっていて、
六階と七階がみんなの生活スペースのペントハウスになっていた。

店の奥の間仕切りされたスペースで小さなテーブルに座り、
コポポポと翠さんがティーポットからカップにお茶を注ぐと、
辺りは(かぐわ)しい香りに包まれた。

「これ、アールグレーやで。 お洒落やろ?
ケーキは好きなの選び」

透き通った茶色の液体がカップに揺らめいていた。
これは紅茶なのか?
嗅いだことのない柑橘の様な花の様な上品な香りがする。

「どれにする?」

翠さんは白いケーキの箱をあたしに手渡し、
中を覗くと宝石のようにきらめくケーキが4つ入っていた。

「みなさんでって言うてたけど、
ナイショで二人で食べような! 透子ちゃん2個選び!」

翠さんは言った。

あたしは丸くてツヤツヤした茶色いドームの上に
金箔が乗ったチョコケーキと、
クリーム色と茶色が二層になっていて、
ココアパウダーの様なものがかかったムースっぽいケーキを選んだ。

「これは何ケーキですかね?」

あたしが聞くと

「これはティラミスや。 昔流行ったなぁ」

と言い、はっとした顔をして

「そうか、透子ちゃんはティラミスが流行した時代
すっ飛ばしてんねんな」

と哀れみが混じったような顔で言った。

そっとそのティラミスとやらにフォークを刺し、
一口すくって食べた。
まろやかでクリーミーな、ほんのりチーズの香りがするムースと、
コーヒーのような苦甘い味が口の中で絶妙なハーモニーを奏でる。

「おいしい!!」

思わず声が漏れた。

「おいしいやろ?」

翠さんも嬉しそうに言った。

「せやな、透子ちゃんの時代は、ケーキの種類は
イチゴショートとチョコケーキとモンブランくらいしかなかったもんな。
やっとチーズケーキが登場したくらいやろか?」

「はい」

そう言ってティラミスを一気に完食し、
二個目のチョコケーキに取り掛かった。

「翠さんは、関西のご出身ですか?
理事長とはどこで?」

あたしはケーキに夢中になりながらも聞いた。

「数年前に出張で大阪に来てた銀次郎さんが
当時私が働いてた店を気に入って毎晩通ってくれたんよ。
私その頃離婚したばっかで、生活キツくてな。
でも銀次郎さんがあれこれ助けてくれたんよ」

「お店って?」

「ちっさいスナックや。
知り合いから店譲ってもらったんやけど、
なかなか上手くいかんかった。
そしたら銀次郎さんが『東京に来ないか』って言ってくれたんよ」

絵に描いたような流れだな。
そう思ったが口には出すまい。

「銀次郎さんも二度目の結婚ダメになったばっかりやったし、
何となく波長が合ってな」

翠さんはマンゴームースに巻かれていた
透明のフィルムを剥がしながら言った。

「え! 理事長二回結婚してるんですか!?」

「そうや、まぁあたしはバツ3やけど」

そう言って翠さんはマンゴームースをぱくっと食べた。

「はぁ……」

うちの親も離婚経験者でどことなく後ろめたい気持ちでいたけど、
この時代では何度か離婚を繰り返していてもあっけらかんとしてるんだな。

価値観がひっくり返るような感じがした。

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