第87話 迷い

文字数 1,478文字

「はぁーーーー」

思わずため息をつき、

「どうしたの!?」

と驚いた様子の桃奈を見てはっと我に返った。

「最近元気ないね。何かあった?」

桃奈は優しく訪ねた。

「いや、何でもない。大丈夫」

そう言うと

「またティラミスでも食べに行こう!」

と桃奈は笑った。

そうか…… 元の時代に戻ればティラミスも食べられないのか。

ティラミスだけじゃない、
お風呂もまたあの体育座りでしか入れない寒々しいお風呂に戻るんだ。
スマホだって使えなくなる。

放課後、ため息交じりに科学部の部室に顔を出すと、
マシロはいつも通りパソコンに向き合っていた。

あたしは今日も大人しく机に座った。

「なぁ、そろそろ決めようか? 帰る日。
もう装置のテストも終わったし
いつ研究施設の奴らが来るかわかんねぇからさ」

マシロはパソコンに目を向けたまま言った。

「…………」

突然の質問にあたしは言葉に詰まり、黙り込んだ。

「ん?」

マシロは「あれ?」という風にこちらに目を向けた。

「どうした?」

マシロは目だけでなく体もこちらに向けた。

「それが…… こないだ理事長が、
もしあたしが望むなら理事長の養子になって
この世界で生きていく道もあるって言ってくれて……」

「え? そうなの?」

マシロは驚いた顔をした。

「正直迷ってる。
あたし…… ずっと元の世界に戻りたいって思ってたはずなのに、
理事長にそう言われてすごく心が揺らいでる……」

マシロは黙ってあたしの顔を見ていた。

「でも、もし研究施設にあたし達の事がバレたら
あたし達は捕まってしまう。
だったらその前に元の世界に戻らなきゃとも思うし……。
ただ、その……
あたし、この時代の皆と会えなくなるのは
何だか胸が押しつぶされそうなんだ……」

マシロはじっとあたしの顔を見つめた。

「………… その皆の中には俺も含まれてる?」

まっすぐこちらを見てマシロは言った。

「そ、そりゃまぁ……」

あたしは顔が熱くなるのを感じながら、口を尖らせて言った。

しばらく二人の間を沈黙が流れた。

「なぁ、いっその事、俺と一緒に未来に行かない?」

マシロは言った。

「え?」

あたしは目を見開いてマシロを見た。

「実際透子は元の世界に戻ってどうなんだ?
またやさぐれた生活に戻るんじゃないのか?」

「それは……」

「未来に行ったら研究施設じゃないどこかに着地して
誰も俺らの事知らない所へ行こう。
俺はもうなんもいらねー。守るもんもねぇ。
透子が望むなら、俺はどこでも付き合うよ」

「でもそれって……
あたしとこの先ずっと一緒にいるって事か?」

「あぁ」

マシロは真顔で言った。

心臓がこれまでになくバクバクと鳴っている。

「そんな…… 今からあの装置を使ってあたしと入れ替わりで
橙子さんを取り戻す事だってできるかもしんないのに」

「うん…… 橙子の事はもう俺の中で区切りがついたんだ」

マシロは視線を少し落として言った。

「橙子は俺が思ってるよりずっと強かった。
もし今橙子を取り戻せたとしても、
俺はあいつを振り回すだけで幸せにはしてやれない気がする。
こっちに戻って自由の身になれたなら、
あいつはあいつ自身できっと幸せを掴めるだろう」

「そうなのかな……」

あたしは明るく一茶の店で働く橙子さんを思い浮かべた。

「それにな、今の俺はお前といると気持ちが弾むんだ。
なんかこう、生きてるって感じがするって言うか……」

マシロは目線を上げあたしを見た。

「え……?」

胸がきゅんと鳴った。

マシロと一緒に未来に行けば、この先も一緒にいられる。
でも……。

「なんか怖いな……」

思わず口からこぼれた。

「時間の許す限り考えたらいい」

マシロはそう言って微笑むと、
片手であたしのほっぺたをむにっとつまんだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み