第61話 湯の中温泉へ

文字数 1,695文字

マシロとの一夜は何事もなく終わり、
翠さんは次の日の朝早くに帰って来た。

「友達のご家族が来たからもう大丈夫。
あんたら大丈夫だったか?」

と心配そうに言ったが

「全然大丈夫でした!」

とあたしは答えた。

漂も合宿から戻って来て同じように

「大丈夫だったか?」

と聞いたが、翠さんの言葉とは少し違うニュアンスに聞こえた。

「あ! 翠さん!
そう言えばあたし、抽選で温泉の宿泊券当てて!」

そう言ってあたしは畳部屋に宿泊券の入った封筒を取りに行き、
またリビングに戻って翠さんの前に差し出した。

封筒の中身を見た翠さんは

「湯の中温泉! ええお宿やん!
でも、湯の中温泉て梓山の近くじゃ……」

眉をひそめて翠さんはあたしを見た。

「はい。でもいつまでも目を背けてても何も解決しないかなって。
これが当たったのも神様の思し召しかもしれないって」

「そっか、透子ちゃんが行く気あるんやったらええと思うけど。
ほんならもうすぐ冬休みやし予約入れとくわ。
大河と漂も一緒やったら大丈夫や」

翠さんはそう言ってあたしの肩をぽんと叩いた。

冬休みに入ると早々に、
あたしたちは翠さんの車で湯の中温泉に向かった。

「いってらっしゃい! 気をつけて。
あ、レモンとライムは心配せんでいいから」

理事長は自ら留守番を買ってくれて、玄関であたし達を見送った。

「出発ーー!!」

ブオン!!とエンジン音を立てて、
翠さんの赤いBMWは首都高を北に向かった。

景色はだんだんと緑が多くなり、遠くに山並みが見えた。
梓山に近づいている……。
心臓の鼓動が早くなった。

数時間も走ると目的地の湯の中温泉の近くに差し掛かり、

「もう少し山の上の方に行くと、猿地獄温泉があるって!」

と漂が言ったので、あたし達は湯の中温泉を通過してそこに向かった。

白い湯けむりが立ち上る温泉の中には、猿が十数匹浸かっていて、
互いに毛づくろいをしている。

マシロがふざけてあたしの髪の毛をひとつまみし、
毛づくろいをする真似をした。
この間の秘密のバーベキュー以来、
マシロとは少し距離が近くなった気がする。

「あたしは猿じゃねーー!!」

あたしは拳をふりあげてマシロを追いかけ回すと、
マシロは「ハハハ!」と笑いながら逃げた。

するとそれを見ていた漂は近くの土産物店に入り、

「透子! これ食うか!?」

と熱々の温泉まんじゅうを手に近づいて来た。
丸い茶色のおまんじゅうにはお猿さんの顔がプリントしてある。

「可愛い!!」

「な、可愛いだろ?
透子好きそうだなと思って」

漂は喜ぶあたしを嬉しそうに見て微笑んだ。

「あんた、モテモテやん!」

翠さんはニヤニヤしてあたしに耳打ちした。

「梓山には明日行こう」

マシロがそう言い、あたしたちは今日は宿に向かう事にした。

「広いお部屋ーー!!」

その客室は特別室となっていて、
8畳くらいの畳部屋と、ツインのベッドルームに分かれていた。

「あんたらは畳部屋な。
私と透子ちゃんはベッドルームで」

翠さんが言うと

「承知しました!」

とマシロと漂は畳に正座をして敬礼をした。

「それじゃ、お風呂でも行こか?」

翠さんはあたしに言い、
あたし達は女湯に、マシロと漂は男湯に向かった。
温泉は川沿いの小高い場所に設置されていて、
内風呂と露天風呂に分かれていた。
露天風呂の眼下には清流が流れていて、どうどうと音を轟かせている。

「はーー気持ちええなぁ。
抽選当ててくれてありがとう」

翠さんは首筋あたりにお湯を当てながら
軽くお辞儀をする様な仕草を見せた。

「いえいえ! 
これで運を使い果たさないといいんですけどね……」

あたしは肩をすくめて笑った。

「なぁ、透子ちゃん……」

翠さんは少し真面目な顔をして言った。

「もし…… もし今回の旅で透子ちゃんの親御さんが見つかったら、
透子ちゃんは梓山に残るんか?」

「え?」

ふいに聞かれてあたしは戸惑った。
そこまで考えずにここまで来てしまったけど、
現実問題母さんが見つかったとして
あたしはどうするのがいいのだろう?

それはもはや母さんとの生活云々というよりも、
翠さんやマシロ、漂と離れる事について胸がきゅんとなった。

「一応考えといてな」

翠さんはそう言うと、

「はー、少しのぼせたわ。先上がるで」

と露天風呂から出て行った。

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