求める心 離れる心(二)

文字数 2,546文字

☆☆☆


 一階のランドリー室で洗濯機を回した後、世良は台所でクラッカーの包みとカルパスを手にして二階へ戻った。
 階段の上り下りが少しつらかったものの、想像していたよりは身体に痛みが残っていなかったので安心した。自分が頑丈なのか、水島が優しくしてくれたおかげなのか。比較対象が居ないので判らなかった。

「私だよ。入るね?」

 自室だと言うのに世良は断りを入れてから扉を開けた。部屋に居るであろう小鳥を気遣ったのだ。

「アンナ……」

 室内には小鳥の他に、ルームメイトの田町杏奈も居た。彼女はここしばらく桐生茜の世話係に任命されていて、部屋を空けることが多かった。

「桐生先輩のお手伝いはもう済んだの?」
「うん。自分で動けるようになったからもういいって。とは言っても、毎朝8時に用事が無いか聞きに行かなきゃなんだけどね」

 杏奈は苦笑して、それから小鳥の方を窺った。

「それよりも……このコどうかしたの? さっきからずっと沈んでんの。理由を聞いても言わないし」

 ああ、やっぱりか。部屋の前で別れてから数時間も悩ませてしまったのだと、世良は小鳥にすまなく思った。

「ごめんね、コトリちゃん」

 セラはベッドの端に腰掛ける、小鳥の隣にそっと座った。ふわりと水島の……、男の残り香が漂った。小鳥は今にも泣きそうな、歪めた顔で世良を見上げた。

「お姉様……、水島さんとはどうなりました?」
「え、水島さん?」

 小鳥の問いに杏奈も反応した。

「セラ、水島さんと一緒に居たの?」
「うん……」

 言わなければならない。不安そうに自分を見る小鳥へ世良は罪悪感を覚えた。

「あのね、私とコハルさん、正式にお付き合いすることになったんだ」
「!…………」

 小鳥と杏奈、二人が同時に息を吞んだ。

「え、え、セラ、嘘でしょ……?」
「あんな人!」

 小鳥が声を張り上げた。

「どうしてあんな人と! お姉様、水島さんのこと嫌ってたじゃないですか!!
「……うん、そうだったね」
「だったらどうして!」
「その嫌っていた部分を好きになってしまったから。おちゃらけているけど物事を深く観察していて、えっちだけど熱烈なアプローチをしてくれて、戦闘狂だけど誰よりも勇敢で頼もしい人。彼は私のヒーローになったの」
「ヒーローなんて……あんな人…………」

 小鳥は世良を見てハッとした。世良の首筋には水島に愛された

が残っていた。

「お、お姉様、ソレは…………」
「あ……」

 小鳥の視線に気づいて、世良は恥ずかしそうに下を向いた。

「まさか……水島さんと……?」

 数時間戻ってこなかった世良。身体に(まと)う男の匂い。首に付いたキスマーク。それらの要素は簡単に一つの結論を導き出し、小鳥と杏奈へ提供したのだった。

「嫌っ、嫌……!」

 ずっと憧れていた世良。初恋の相手だった世良。自分の理想だった世良。そんな彼女がいやらしい男に汚されてしまった。
 小鳥の大きな瞳から涙がポロポロ(こぼ)れ落ちた。

「嫌だぁぁ!! 私のお姉様がぁ!」
「コトリちゃん!」

 両手で顔を覆った小鳥を抱きしめようとして、世良はその腕を引っ込めた。中途半端な優しさは余計に彼女を苦しめるだけだ。

「コトリちゃん……傷付けてごめん。そして私を好きでいてくれてありがとう」
「………………」
「でも私は偶像じゃない、生身の女のコなんだよ。ずるいことも、えっちなことも考えるし

の」
「…………うっ」

 小鳥は大きくしゃくり上げた。

「私はコハルさんとそういう関係になったけど、後悔してない。嬉しかった」
「ううっ…………うっ」
「ごめんね。私はあなたの優しいお姉様になれなかったよ」
「あああああ!!!!

 小鳥は大声で泣いた。世良も杏奈も慰めることができなかった。どう取り(つくろ)っても事実は変わらない。

 ひとしきり泣いた後、小鳥は自分用に持ち込んでいた枕を両手で抱え、ベッドから降りた。

「コトリちゃん……」
「……私、今晩から自分の部屋で寝ます」
「……………………」

 力無く歩いて小鳥は部屋から出ていった。引き留めることができなかった世良はその小さな背中を見送った。
 扉が閉じた後、杏奈が世良に向き直って改めて問い質した。

「アンタ水島さんと、Hしたの……?」
「うん」
「マジか…………」

 杏奈は自分の頭を片手でガシガシ掻いた。親友の世良まで水島の毒牙に掛かってしまった。もっとちゃんと止めるべきだった。

「水島さん、避妊してくれた?」
「いや……」

 やっぱり。あの人は自分のことしか考えていない。杏奈は世良へ別れを勧めた。

「避妊してくれない男の人は、いろんな場面でいい加減な人だよ。付き合うのはやめた方がいい」
「うん。避妊については今度キッチリ話をつける」
「いや、もう二人きりで会うべきじゃないって」
「でも約束したから」
「断ればいいじゃん。ああでも、一人で断りに行っちゃ駄目だよ?」

 杏奈も三枝と同じく水島の狂気に触れたことが有った。世良が彼を下手に拒絶したら、暴力を振るわれるかもしれない。

「アンタは多岐川さんと仲いいみたいだからさ、彼に相談して間に入ってもらいなよ」
「断らないよ? 私はコハルさんとお付き合いしたいんだもん」
「何で? 確かに強いし見た目もカッコイイかもだけど、アンタが好きになるのは真面目なタイプの男の人でしょ?」
「コハルさんにも真面目な部分は有るよ。私と家族になりたいって言ってくれた」
「…………は?」

 杏奈は耳を疑った。

「何それ。プロポーズ?」
「……なのかな?」

 照れる世良に杏奈は苛ついた。

「馬鹿、そんなの信じちゃ駄目だよ。水島さんはアンタの身体を好きにする為に、適当なことを言ってるだけだから」

 杏奈はそうであって欲しかった。だって自分の時と水島の態度が違い過ぎる。プロポーズだなんて。
 しかし世良はしっかりとした口調で否定した。

「私はそうは思わない。だってコハルさんは泣いていた。あの涙は彼の真心の現れだと思う」
「!…………。涙? 水島さんが……泣いたの? アンタの前で……?」

 頷く世良に杏奈は今度こそ確実に嫉妬した。

(水島さんは本気でセラに恋をしているんだ。セラを大切にしているんだ。家族になりたいくらいに)

 さっきまでは本気で親友の身を案じていたのに、今の杏奈は目の前の世良が羨ましくて仕方が無かった。

 そしてとても憎かった。
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