6月10日の迷宮(三)

文字数 2,301文字

 ずっと右折で進んできたのだから、引き返して階段へ戻るには逆の左、左と曲がっていけばいい。道順に問題は無かったのだが、ゴールするまでに二回魔物と遭遇してしまった。どちらもネズミだった。地下二階には奴らが大量に発生している模様だ。
 素早いネズミ相手に世良の刀は空を切ってしまい、結局は多岐川が銃で全てを駆除した。

(今日の私、助けられてばかりだな)

 無事に階段へ辿り着けたというのに、暗い表情の世良を多岐川が励ました。

「大丈夫ですよ。隊長は強いですから。必ずここへ戻ってきます」
「はい……」

 もちろん別行動を取っている彼らのことが心配だ。正直捜しに行きたいとさえ思う。しかし今の自分では役に立てないだろうと世良は気落ちした。
 更に沈んだ様子の世良を、腕時計を見ながら多岐川が気遣った。

「指定された時間までだいぶ有ります。階段付近に魔物は居ないようですので、座って待ちましょうか」

 疲れている訳ではなかったが、先に階段へ腰掛けた多岐川に(なら)って、世良も彼の隣に腰を下ろした。

「……すみません、私ったら全然動けなくて。探索メンバーの一枠を貰っている状態なのに申し訳ないです」
「ああ、それを気にしていたんですか」

 世良が落ち込む理由を知った多岐川は微笑んだ。

「仕方が無いですよ。刀は扱いが難しい武器なんです」
「でも多岐川さんは、化け物が伸ばした髪の毛をスッパスッパ斬っていましたよね?」
「え? スッパスッパ? ……ああ。地下一階のアレですか」

 雫姫の侍女らしき女の魔物と戦った時の話だ。

「はい。私が振った刀は何度も髪の毛に跳ね返されてしまったんです」
「問題は刃を入れる位置と力加減ですね。警察官は剣道か柔道を身に付けることが必須でして、私は剣道を選んだんです」
「そうか、多岐川さんは元警察官でしたね」

 警官は剣術・柔術・逮捕術の三つを習得すべしとされている。しかし現実問題として業務時間が限られている為、剣道と柔道は選択方式となっている。

「高月さん、刀を握ってもらえますか?」

 言われて世良は鞘から刀を抜いて座ったまま握った。

「うん。握り方はそれでいいです。あとはひたすら素振りをして、刀の重さと振り下ろすスピードを把握することですね。私で良ければ寮に帰った後に、素振り姿勢を伝授しますよ」
「ぜひ! お願いします!」

 即答した世良に多岐川は疑問をぶつけた。

「あなたはいつもヤル気に溢れていますが、疲れたり嫌になったりしないんですか? ハッキリ言って大半の生徒達は部屋に籠りがちで、高月さん達の奉仕活動に甘えている状態ですよね。あなたが少しサボったところで、文句を言える資格の有る人は居ないと思いますよ?」

 世良は刀を鞘に戻した。

「これは私の意地なんです」
「意地?」
「健康で鍛えた身体は、私が唯一持っている財産なんです」
「………………」
「だからこそ、こういう時に使わないと」

 しかし多岐川は世良の主張に賛同しなかった。

「唯一の財産ならば尚のこと、私はあなたに自分を大切にして欲しいと思います」

 熱を帯びた真剣な眼差しを向けられた世良は戸惑った。部屋で水島に見つめられたことを思い出した。

「あ、あの、多岐川さん……?」
「あ、失礼」

 多岐川は眼鏡の位置を直しながら目を逸らして、そしてボソリと呟いた。

「高月さん、あなたには……、妹のようになってもらいたくないんです」
「妹さん……ですか?」
「はい。私には年の離れた妹が居たんです。あなたと同じ17歳でした」

 

。過去形で言われて世良は続く質問ができなかった。

「……私の父も警察官です。祖父もそうでした。兄と私が警察官を目指したのはそんな環境で育ったから、ごく自然なことでした」

 多岐川は自ら語り出した。聞いて欲しいんだろう、そう思った世良は黙って彼の話に耳を傾けた。

「でも妹にとってはそうではなかった。妹は音楽活動をしたかったようですが、父に猛反対されました。浮き沈みの激しい職業ではなく、安定した公務員を目指せと妹の夢を全否定しました。そして実家は躾が厳しかった。警察官の家庭なのだから品行方正に生きろと毎日言われました。私は苦ではありませんでしたが、妹はずっと反発心を抱いていたようです」

 銃を持たない左手で多岐川はこぶしを造った。

「妹は悪い男と付き合うようになりました。その男は以前の妹だったら敬遠するタイプの人間でした。きっと、父へ反抗する為にわざとそんな相手を選んだのでしょう。私は妹の変化に気づきながら何もしてあげなかった。そればかりか、他の家族と一緒に侮蔑の視線を彼女にぶつけていたんです」
「………………」
「……やがて妹は妊娠しました。責任を取るつもりの無い相手の男はアッサリと逃げ、残された妹は誰にも頼れず追い詰められて、腹の胎児と一緒に自らの命を断ったのです。たった17歳の若さで」

 多岐川の握りこぶしが震えていた。

「何故、私は妹に言ってやれなかったのか。自分を大切にしろ、と」
「多岐川さんのせいじゃないですよ!」
「いいえ。私達家族のせいです」

 横顔の多岐川は苦しそうに言葉を(つむ)ぎ出した。
 
「両親と兄は死んだ後も妹を責めました。一家の恥、最後まで迷惑な存在だったと。……私も、妹が生きている間はあちら側だったんです。彼女の人格を無視して多岐川家のルールを押し付けていた」
「今は……違うでしょう?」

 多岐川は項垂(うなだ)れた。

「もう……全てが遅いんです。後悔しても妹は戻らない。法の下で人を護る立場の警察官でありながら、私は最も身近な存在を突き放してしまった」

 世良は彼が警官を辞めた理由を理解した。慰めの言葉を言う代わりに、多岐川のこぶしに自分の手を添えた。
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