6月10日の迷宮(二)

文字数 2,207文字

「お姉様、お怪我は無いですね!?

 フンフンッと小鳥が鼻息荒く世良に詰め寄った。そう言う本人は、白いスニーカーを履いた右足をネズミの血で汚していた。小さな肉片も付いていた。
 あまりの出来事に言葉を無くした世良に変わり、藤宮が引き()った笑顔で小鳥に尋ねた。

「お嬢さんは中学時代に女子サッカーやってたんだっけ。ポジションは何処だった?」
「フォワードです! ボレーシュートが得意でした!」
「ああ……、浮いたボールを蹴るやつね。なるほど」

 小鳥が部活動を引退してからだいぶ経っている。体育の授業でしか身体を動かしていないので筋肉はかなり落ちたが、獲物を捉える動体視力と蹴りのテクニックはまだ健在だったようだ。

 シュウウウゥ。

 ネズミの魔物が塵化すると同時に足の汚れも霧散したので、小鳥は外見上は可憐な美少女に戻った。しかし世良の目には小鳥の雄姿が焼き付いていた。

「コトリちゃんて……カッコイイ」

 キラキラした瞳で世良は小鳥を賞賛した。
 護らなければならない弱い存在だと思っていた。正直、可愛いだけの後輩だと侮っていた。本当の小鳥は真面目に部活動に打ち込みテクニックを身に付け、いざという時には知人の為に動ける勇気を持っていた。

「え、ええ……!? お姉様……?」
「ありがとう。あなたのおかげで助かったよ。凄いキックだったね! 今度コツを教えて」
「お姉様……。いえ、た、大したことは有りません! お役に立てて良かったです!!

 小鳥がハイテンションなのは怖さの裏返しなのだろう。化け物とはいえ肉を断つ感触は気持の良いものではない。世良も散々体感してきた。
 そんな中でも笑おうとする小鳥に世良も合わせた。小鳥を落ち着かせる為に。自然と二人は見つめ合う態勢になった。

「はいはーい、次行くよー。気持ちを切り替えてなー」

 せっかく世良と良い雰囲気になったのに、無粋な茶々を入れてきた藤宮を小鳥は心の中で呪った。
 しかしここは危険な迷宮。浮ついた気分では死に直結すると小鳥も解っていた。素直に彼女を含めた生徒達は藤宮の後に続き、大炊殿(おおいどの)を後にした。

「やはり新しい魔物が出てきましたね」
「ああ。次の部屋も気ぃ抜くなよ?」

 通路を挟んで斜め向かいの部屋。扉を開けるとそこも土間で、大きな傘を持った赤と緑色のキノコが一面に群生していた。
 その傘が揺れたかと思うと、バフッと胞子を飛ばしてきた。

「…………」

 藤宮は黙って扉を閉じて、胞子が通路に拡散されるのを防いだ。多岐川が感想を述べた。

「毒の胞子ですかね」
「身体にいいもんじゃないだろうな。防護服とマスク無しでこの部屋への立ち入りは禁止にしておこう」

 キノコ部屋を避けて皆は通路の先へ進んだ。右へ曲がり、いくつかの扉を開けた。
 部屋の中にはネズミの化け物が居たり、地下一階でも遭遇した白猿が居たりしたが、藤宮と多岐川が問題無く片づけた。そして室内に特に目ぼしいお宝は無かった。

 そうこうしている内に、比較的道幅の広い十字路に差しかかった。藤宮はここでも右へ曲がった。後へ続く生徒達。しかし途中でギッ、ギッという固い物同士が擦れるような音が天井からした。
 何だろう? 不審に思った皆は上を見上げた。

「危ない!!

 列の後ろから二番目を歩いていた世良は、最後方の多岐川に引っ張られた。その世良の目の前に、天井から壁(?)が落ちてきた。

 ズシィィン……と轟音、そして足元を揺らす振動。

 一拍空けて「キャアァ!」と、先を行った生徒達の悲鳴が世良の耳に届いた。姿は見えない。落ちてきた壁が通路を完全に塞ぎ、隊を二分割してしまったから。

「………………ひっ」

 あの質量が自分の上に落ちていたら……。恐ろしい想像をして、世良は自分を引っ張ってくれた命の恩人である多岐川にしがみ付いた。多岐川は銃を持たない左手で世良の肩を抱いた。

「おい! 多岐川、高月、無事か!?
「お姉様!!
「高月さん!」
「怪我はしていない!?

 壁の向こうから呼び掛けられた。全員分の声だ。壁に圧し潰された者は居なかったようだ。

「二人とも無事です! そちらは?」
「そうか……。ひとまず最悪な事態は免れたようだな」

 多岐川の返答を聞いて、藤宮の声音には明らかに安堵の色が含まれた。

「この壁、通路にピッタリの大きさですね」
「ああ。迷宮に施された罠なんだろうさ」

 化け物だけではなくトラップまで仕掛けられているのか。世良は頭が痛くなった。
 ドンドンと壁を叩く音がした。

「けっこうな厚さがあるようだな。銃でも破壊はできないだろう」
「えっ、じゃあどうするんですか!?

 見えないが、声の調子で小鳥が不安がっていることが判った。

「多岐川、高月と一緒に通った道を戻って階段まで行け!」
「隊長達は!?
「俺達も探索をやめて帰還することに専念する! 別ルートを探さにゃならんから時間がかかるだろうがな」
「了解です。地下二階の階段前で待っています」
「待つのは三十分だけだ! それ以上待っても俺達が戻らない場合は構わず地上へ帰れ!!
「そんな……」

 仲間を置いていけない。世良はそう思ったのだが、多岐川は返答してしまった。

「了解!」

 そして多岐川は世良に背を向けた。

「行きますよ高月さん。絶対に私から離れないで下さい」
「……はい」

 通路を分断した壁を動かせない以上、ここに長く居ても無意味なんだろう。世良は壁の向こうの皆を心配しつつ、多岐川の背中を追い掛けた。
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