迷宮誕生(四)
文字数 2,428文字
(やっぱりおかしい……)
歩き出して世良はすぐに校舎の異変に気づいた。
ほんのりとだが、懐中電灯が必要無いくらいに発光している校舎の壁には、所々不自然に盛り上がっている部分が有った。
「これって、樹の根っこ……?」
そうとしか見えない物体が壁を這っていた。時に植物はアスファルトを押し上げて成長する程に生命力が強い。しかしそれは地表での話だ。ツタでもない樹の根がどうして壁に伸びているのだろう?
世良は首を傾げた。昼間はこんなモノは無かったはずだ。
つい好奇心が湧いて、世良は根を指先でつついてみた。
「うわ!」
根はヌラヌラした粘液で覆われていた。触れてしまった指は細い糸を引いた。
「セラ……それ、何?」
杏奈に尋ねられたが世良にも判るはずがない。
世良は手を洗いたくて近くの水飲み場の蛇口をひねった。……水は出なかった。寮と同じだ。
地震の影響は水まで止めてしまったようだ。寮に有る飲み水のストックはそれほど多くない。早急に助けを呼ぶ必要が有りそうだ。
「高月さん、あまりいろんな所を触らない方がいいよ?」
詩音に注意されて世良は素直に頷いた。
美沙の血はタオルで拭き取ったが、新しく指先を汚したヌラヌラが気持ち悪い。それに粘液からは独特な香りがした。例えるなら女性の愛液のような……。
生理的嫌悪感を抱いた世良は身震いした。触らなければ良かったと心底思った。
続いて詩音は疑問を呈した。
「ねぇ、職員室ってこんなに遠かったっけ……?」
玄関から近い位置に在った職員室へ、もう数分歩いているのに到着できないでいた。いくらゆっくり進んでいるとはいえ。廊下が長くなったと感じたのは錯覚ではなかった?
「夜だから、方向感覚や時間の感覚が昼間と違っているのよ」
奏子の言う通りであってほしかった。
「でもホラ、あそこよ」
教室と同じ横開きの扉がようやく見えた。早足で扉に近付き、奏子は少しだけ扉を横へ押した。
「……ここにも、鍵は掛かっていないようね。重要な物がたくさん置かれているのに」
「きっと寮母さんだよ。早く合流して寮へ戻ろう」
「そうね」
奏子は手に力を込めて、今度は一気に扉を横に開いた。ガラッという音が周辺に響いた。
「!?」
四人の少女達は呆気に取られた。
職員室があるはずの空間には巨大な穴が開いており、坂道が下へと続いていた。
「え…………?」
「何……これ」
冷静にここまで来た奏子も、流石に眼前の光景を説明することはできなかった。
教師達が使っていた机も、ロッカーも、トランシーバーや重要な書類をしまっていた戸棚も全てが消えていた。窓すらも。
存在するのは開いた穴と、誘うような坂道のみ。
もはや認めなければならなかった。学校だったここは、自分達が知る学校ではなくなっていたのだ。
少女達は言葉を無くして、しばしその場に立ち竦 んだ。
「きゃあ!?」
静寂を破ったのは杏奈だった。彼女は悲鳴を上げて横の世良に抱き付いた。
「アンナ、どうした?」
「人っ……廊下の奥に人が居たっ……」
少女達は杏奈が指差す先へ目を凝らしたが、誰も見つけられなかった。
「寮母さんじゃない?」
「ちがっ、違うと思います。髪が長かったから」
寮母を務める女性は長い髪は邪魔だと言って、世良以上の短髪スタイルだった。
「白い着物姿で、スウーって滑るようにあっちを横切ったんです!」
長い髪で白装束……。残りの少女達は顔を見合わせた。
杏奈の怯えぶりから見て、彼女は噓を吐いていない。幽霊でも見てしまったのだろうか。
「……ソーコ、寮に戻った方が良くない?」
廊下の奥を警戒しながら詩音はクラスメイトに提案した。
「だけど、怪我人の為に救急車を呼ばないと」
「おかしいよ、ここ。普通じゃない事が起きてる。早く出た方がいい」
「解ってる。だからこそ大人の力を借りないと。子供達だけじゃ、できることに限度が有るでしょう?」
詩音と奏子、どちらの言い分も世良には理解できた。どうするのが正解なんだろう。
世良は迷ったが、腕の中で震える杏奈を感じながら言った。
「神谷先輩、一旦寮へ戻りましょう」
「でも……!」
「夜が明けるのを待つんです。一晩経てば電気や水のライフラインが復旧するかもしれない」
「そうだよソーコ、電話が通じるようになるかもしれない!」
「……もし、駄目だったら?」
「その時はもう一度ここへ来ましょう。ちゃんと準備をした上で再アタックです。ね、陽 が昇るまでほんの数時間ですよ。それまで寮で待ちましょう」
「……解ったわ。そうしましょう」
世良と詩音に説得された奏子は、微かに笑みを浮かべて承諾した。寮長としての責任に突き動かされていたが、奏子とて不安だったのだ。本心では早く校舎を出たいと思っていた。
「そうと決まったらさっさと引き返しましょう」
奏子の号令で少女達は玄関の在る方向へ振り返った。
後 ろ に 居 た。
白装束の女が。
顔の上半分を振り乱した長い髪で隠した女は、覗ける口元を歪 な形に持ち上げてニイッと笑った。
紙のように白い肌に紅をさした唇。世良はそこから目を離せなかった。
「アアァァァァーー!!!!」
誰の悲鳴だったのか。高く上げられたその声に世良は我に返った。
「みんな、玄関まで走って!」
世良は杏奈の腕を掴んで女の横をすり抜けた。本日行われたバスケットボールの試合で、相手選手をかわしてカットインした時と同じように。
上級生も世良の真似をしたのだろう、後ろからバタバタと走る音が聞こえた。後ろを目で確認する余裕も無く、世良は杏奈と共にひたすら走った。
早く、早く。あの女とこの校舎から離れたい。
「はぁっ、はあっ、はぁ……」
世良は玄関扉から外へ飛び出した。杏奈、そして荒い息となった詩音も続いた。
「ああ……!」
十数分ぶりに外気を吸った少女達は生き返った気分になった。
そして気づいた。最後の1人が戻ってこないことに。
「神谷先輩は?」
世良が発したその言葉は、夜の校庭に虚しく響いた。
歩き出して世良はすぐに校舎の異変に気づいた。
ほんのりとだが、懐中電灯が必要無いくらいに発光している校舎の壁には、所々不自然に盛り上がっている部分が有った。
「これって、樹の根っこ……?」
そうとしか見えない物体が壁を這っていた。時に植物はアスファルトを押し上げて成長する程に生命力が強い。しかしそれは地表での話だ。ツタでもない樹の根がどうして壁に伸びているのだろう?
世良は首を傾げた。昼間はこんなモノは無かったはずだ。
つい好奇心が湧いて、世良は根を指先でつついてみた。
「うわ!」
根はヌラヌラした粘液で覆われていた。触れてしまった指は細い糸を引いた。
「セラ……それ、何?」
杏奈に尋ねられたが世良にも判るはずがない。
世良は手を洗いたくて近くの水飲み場の蛇口をひねった。……水は出なかった。寮と同じだ。
地震の影響は水まで止めてしまったようだ。寮に有る飲み水のストックはそれほど多くない。早急に助けを呼ぶ必要が有りそうだ。
「高月さん、あまりいろんな所を触らない方がいいよ?」
詩音に注意されて世良は素直に頷いた。
美沙の血はタオルで拭き取ったが、新しく指先を汚したヌラヌラが気持ち悪い。それに粘液からは独特な香りがした。例えるなら女性の愛液のような……。
生理的嫌悪感を抱いた世良は身震いした。触らなければ良かったと心底思った。
続いて詩音は疑問を呈した。
「ねぇ、職員室ってこんなに遠かったっけ……?」
玄関から近い位置に在った職員室へ、もう数分歩いているのに到着できないでいた。いくらゆっくり進んでいるとはいえ。廊下が長くなったと感じたのは錯覚ではなかった?
「夜だから、方向感覚や時間の感覚が昼間と違っているのよ」
奏子の言う通りであってほしかった。
「でもホラ、あそこよ」
教室と同じ横開きの扉がようやく見えた。早足で扉に近付き、奏子は少しだけ扉を横へ押した。
「……ここにも、鍵は掛かっていないようね。重要な物がたくさん置かれているのに」
「きっと寮母さんだよ。早く合流して寮へ戻ろう」
「そうね」
奏子は手に力を込めて、今度は一気に扉を横に開いた。ガラッという音が周辺に響いた。
「!?」
四人の少女達は呆気に取られた。
職員室があるはずの空間には巨大な穴が開いており、坂道が下へと続いていた。
「え…………?」
「何……これ」
冷静にここまで来た奏子も、流石に眼前の光景を説明することはできなかった。
教師達が使っていた机も、ロッカーも、トランシーバーや重要な書類をしまっていた戸棚も全てが消えていた。窓すらも。
存在するのは開いた穴と、誘うような坂道のみ。
もはや認めなければならなかった。学校だったここは、自分達が知る学校ではなくなっていたのだ。
少女達は言葉を無くして、しばしその場に立ち
「きゃあ!?」
静寂を破ったのは杏奈だった。彼女は悲鳴を上げて横の世良に抱き付いた。
「アンナ、どうした?」
「人っ……廊下の奥に人が居たっ……」
少女達は杏奈が指差す先へ目を凝らしたが、誰も見つけられなかった。
「寮母さんじゃない?」
「ちがっ、違うと思います。髪が長かったから」
寮母を務める女性は長い髪は邪魔だと言って、世良以上の短髪スタイルだった。
「白い着物姿で、スウーって滑るようにあっちを横切ったんです!」
長い髪で白装束……。残りの少女達は顔を見合わせた。
杏奈の怯えぶりから見て、彼女は噓を吐いていない。幽霊でも見てしまったのだろうか。
「……ソーコ、寮に戻った方が良くない?」
廊下の奥を警戒しながら詩音はクラスメイトに提案した。
「だけど、怪我人の為に救急車を呼ばないと」
「おかしいよ、ここ。普通じゃない事が起きてる。早く出た方がいい」
「解ってる。だからこそ大人の力を借りないと。子供達だけじゃ、できることに限度が有るでしょう?」
詩音と奏子、どちらの言い分も世良には理解できた。どうするのが正解なんだろう。
世良は迷ったが、腕の中で震える杏奈を感じながら言った。
「神谷先輩、一旦寮へ戻りましょう」
「でも……!」
「夜が明けるのを待つんです。一晩経てば電気や水のライフラインが復旧するかもしれない」
「そうだよソーコ、電話が通じるようになるかもしれない!」
「……もし、駄目だったら?」
「その時はもう一度ここへ来ましょう。ちゃんと準備をした上で再アタックです。ね、
「……解ったわ。そうしましょう」
世良と詩音に説得された奏子は、微かに笑みを浮かべて承諾した。寮長としての責任に突き動かされていたが、奏子とて不安だったのだ。本心では早く校舎を出たいと思っていた。
「そうと決まったらさっさと引き返しましょう」
奏子の号令で少女達は玄関の在る方向へ振り返った。
後 ろ に 居 た。
白装束の女が。
顔の上半分を振り乱した長い髪で隠した女は、覗ける口元を
紙のように白い肌に紅をさした唇。世良はそこから目を離せなかった。
「アアァァァァーー!!!!」
誰の悲鳴だったのか。高く上げられたその声に世良は我に返った。
「みんな、玄関まで走って!」
世良は杏奈の腕を掴んで女の横をすり抜けた。本日行われたバスケットボールの試合で、相手選手をかわしてカットインした時と同じように。
上級生も世良の真似をしたのだろう、後ろからバタバタと走る音が聞こえた。後ろを目で確認する余裕も無く、世良は杏奈と共にひたすら走った。
早く、早く。あの女とこの校舎から離れたい。
「はぁっ、はあっ、はぁ……」
世良は玄関扉から外へ飛び出した。杏奈、そして荒い息となった詩音も続いた。
「ああ……!」
十数分ぶりに外気を吸った少女達は生き返った気分になった。
そして気づいた。最後の1人が戻ってこないことに。
「神谷先輩は?」
世良が発したその言葉は、夜の校庭に虚しく響いた。