水島の涙
文字数 2,565文字
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この部屋に来て、どれくらいの時間が経ったのだろう。一糸纏わぬ疲労した身体をベッドに横たえて、世良はぼんやりとした頭で考えた。
長時間戻らないと小鳥に心配をかける。いや、水島と二人になりたいと伝えた時点で彼女を傷付けてしまっている。世良を初恋の相手だと言ってくれた小鳥。その彼女を遠ざけて水島と過ごす方を選んだのだ。
(コトリちゃんと、一度きちんと話し合わないとな……)
ベッドの棚付きヘッドボードには、岡部佳の私物である目覚まし時計が置いてある。少し顔を上げさえすれば現在の時刻はすぐに判明するのだが、世良は隣に並んで寝転ぶ水島から目を離せなかった。
世良と同じく裸で、風呂上がりの如く身体が上気している。
(コハルさん綺麗だなぁ。身体も顔も。私よりも睫毛 長いんじゃないかな?)
つくづく色気の無い自分の見た目が嫌になる。髪の毛を切らなければ良かった。「髪の長きは七難隠す」と言って、孤児院のおばあちゃん職員は世良の髪を毎日結 ってくれた。彼女は将来、世良が少年のような外見になることを予見していたのかもしれない。
「セラ、何考えてる……?」
水島が手を伸ばして世良の髪を撫でた。今、正に髪のことを考えていたのでタイムリーだと世良は思った。でも卑屈な言動を取ると相手を暗い気持ちにさせてしまうので、世良は一つ前に考えたことを口にした。
「コハルさんが綺麗だなぁって」
水島は軽く噴き出した。
「それは僕が言うべき台詞だから。まったくアンタは……」
ヤレヤレといった表情になった彼は、非常に恥ずかしいことを尋ねてきた。
「ちゃんと気持ち良くなれた?」
「!」
変な声が出そうになった世良は自分の口を手で塞いだ。
「教えて。良かった?」
ニヤニヤと問い掛ける水島に世良は久しぶりに殺意を覚えた。そうだった、この男はセクハラ魔王だった。
「…………最中の私の反応見て判ってますよね?」
「判んない。教えて。男ってこういうこと、凄く気にするんだよ?」
「あ、私そろそろ部屋に戻んないと」
「おおーい、ちょっと待てー!!」
本当に起き上がろうとした世良を水島は慌てて抱き留めた。お互いの体温と汗が再び交換された。
「……これはセラ、も一回シャワー浴びなきゃだな」
身体を清めた方がいいのは水島も一緒だと世良は思った。自分のせいで彼はとても汚れてしまったはずだ。……恥ずかしくてとても言葉にできなかったけれど。
「セラはさぁ、これからも迷宮へ行くんだよね?」
「? はい」
「僕が行かないで欲しいって言っても?」
「どうしたんですか? 急に……」
異変を早く終わらせる為に自分のできることをしたい。世良の気持ちを水島は知っているだろうに。
「地下三階で世良が殺 られそうになって痛感した。迷宮はヤベェよ。もうアンタをあんな目に遭わせたくないんだ」
抱きしめる腕に力が入る。本気で心配してくれている水島へ、世良はゆっくり自分の考えを伝えた。
「ありがとうございます。コハルさんの気持ちは本当に嬉しいです。でも……女子が居ないと雫姫は出てこないんじゃないでしょうか?」
そうなのである。少女の誰かが雫姫に認められない限り異変は続く。だったら世良以外の生徒が探索に出ればいいと水島は思うのだが、当の世良が大人しく引き籠もってはくれないだろう。
世良が獅子蛇に殺されそうになったのも、動けなかった三枝を庇おうとした結果だ。
「私、いっぱい素振りと筋トレして強くなります。コハルさんの足手まといにならないように、コハルさんを護れるように」
「………………」
水島は世良の顔を覗き込んだ。
「世良が護るの? 僕を?」
「はい。私だってコハルさんが居なくなるのは嫌ですから」
可愛いことを言われて、水島はまた世良をギュッと抱きしめた。
「あーもう、セラ結婚しよ」
「はいぃ!?」
「そーだそーだ、それがいい。そうしたらずっと一緒に居られるし」
「え、ええええ!?」
「何だよー、僕とじゃ嫌なワケ?」
「いやそうじゃなくて結婚、結婚、ケッコン……」
ブツブツと繰り返す世良。水島は腕を緩めてもう一度彼女の顔を覗いた。
「……セラ?」
「結婚、かぁ。そんな未来が有ったんだ……!」
首を傾げる水島へ、世良は照れながら答えた。
「私って毎日を生きるのに精一杯で、あんまり先のこと考えてなかったんです。奨学金を貰い続ける為に結果を出さなきゃって、トレーニング漬けの日々でした。走ることは好きだからそれはいいんだけど……」
親の居ない世良。式守理事が衣食住込みの破格な援助を提示してくれたから走っていられるが、そうでなかったら中学卒業後、施設を出て働かなければならなかった。
「頑張れば結婚とかもできるんですね。私にも家族ができるんだ。あはは、初めて未来が楽しみって思えたかもです」
「……かぞく……」
先程のアレは本気のプロポーズではなくただの軽口だった。しかし世良が受け止めることによって現実味を帯びた。
「家族……。僕に家族……?」
今度は水島が繰り返す番だった。
好きな女と結婚。毎日を彼女と過ごし、子供が産まれたら自分は父親になる。
多くの人間が経験する平凡な生活。だが人に心を許せない水島には、一生縁が無いと思っていた選択だった。
「僕に家族ができる……」
幼少期、どんなに訴えても両親は自分の元から去っていった。代わりの愛を求めた叔父夫婦からは暴力しか与えられなかった。
でも世良なら。彼女はこちらが誠実であれば応 えてくれる。そして水島と同じく、望んでも叶わないと一度は諦めを経験している。強さと明るさの裏には涙が有るのだ。
人の痛みが解る世良。騙すことも裏切ることもないだろう。きっと純粋な愛を、太陽のように惜しみなく注いでくれる。
「コハルさん!?」
驚いた表情の世良が水島の顔へ手を伸ばした。彼の頬を涙が伝っていた。
「どうしたんです?」
言われて確認した水島自身も驚いた。
「僕は……泣いているのか……?」
泣くなんて何年振りのことだろう。
胸が苦しい。自分は欲している。目の前の少女を。性欲ではなく心で。
(セラ……!)
彼は頬に触れる彼女の指を握りしめた。
「セラ、僕と家族になって」
ずっと自分は孤独だったのだ。それに気づいた水島は、今度は本気で世良に願った。
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この部屋に来て、どれくらいの時間が経ったのだろう。一糸纏わぬ疲労した身体をベッドに横たえて、世良はぼんやりとした頭で考えた。
長時間戻らないと小鳥に心配をかける。いや、水島と二人になりたいと伝えた時点で彼女を傷付けてしまっている。世良を初恋の相手だと言ってくれた小鳥。その彼女を遠ざけて水島と過ごす方を選んだのだ。
(コトリちゃんと、一度きちんと話し合わないとな……)
ベッドの棚付きヘッドボードには、岡部佳の私物である目覚まし時計が置いてある。少し顔を上げさえすれば現在の時刻はすぐに判明するのだが、世良は隣に並んで寝転ぶ水島から目を離せなかった。
世良と同じく裸で、風呂上がりの如く身体が上気している。
(コハルさん綺麗だなぁ。身体も顔も。私よりも
つくづく色気の無い自分の見た目が嫌になる。髪の毛を切らなければ良かった。「髪の長きは七難隠す」と言って、孤児院のおばあちゃん職員は世良の髪を毎日
「セラ、何考えてる……?」
水島が手を伸ばして世良の髪を撫でた。今、正に髪のことを考えていたのでタイムリーだと世良は思った。でも卑屈な言動を取ると相手を暗い気持ちにさせてしまうので、世良は一つ前に考えたことを口にした。
「コハルさんが綺麗だなぁって」
水島は軽く噴き出した。
「それは僕が言うべき台詞だから。まったくアンタは……」
ヤレヤレといった表情になった彼は、非常に恥ずかしいことを尋ねてきた。
「ちゃんと気持ち良くなれた?」
「!」
変な声が出そうになった世良は自分の口を手で塞いだ。
「教えて。良かった?」
ニヤニヤと問い掛ける水島に世良は久しぶりに殺意を覚えた。そうだった、この男はセクハラ魔王だった。
「…………最中の私の反応見て判ってますよね?」
「判んない。教えて。男ってこういうこと、凄く気にするんだよ?」
「あ、私そろそろ部屋に戻んないと」
「おおーい、ちょっと待てー!!」
本当に起き上がろうとした世良を水島は慌てて抱き留めた。お互いの体温と汗が再び交換された。
「……これはセラ、も一回シャワー浴びなきゃだな」
身体を清めた方がいいのは水島も一緒だと世良は思った。自分のせいで彼はとても汚れてしまったはずだ。……恥ずかしくてとても言葉にできなかったけれど。
「セラはさぁ、これからも迷宮へ行くんだよね?」
「? はい」
「僕が行かないで欲しいって言っても?」
「どうしたんですか? 急に……」
異変を早く終わらせる為に自分のできることをしたい。世良の気持ちを水島は知っているだろうに。
「地下三階で世良が
抱きしめる腕に力が入る。本気で心配してくれている水島へ、世良はゆっくり自分の考えを伝えた。
「ありがとうございます。コハルさんの気持ちは本当に嬉しいです。でも……女子が居ないと雫姫は出てこないんじゃないでしょうか?」
そうなのである。少女の誰かが雫姫に認められない限り異変は続く。だったら世良以外の生徒が探索に出ればいいと水島は思うのだが、当の世良が大人しく引き籠もってはくれないだろう。
世良が獅子蛇に殺されそうになったのも、動けなかった三枝を庇おうとした結果だ。
「私、いっぱい素振りと筋トレして強くなります。コハルさんの足手まといにならないように、コハルさんを護れるように」
「………………」
水島は世良の顔を覗き込んだ。
「世良が護るの? 僕を?」
「はい。私だってコハルさんが居なくなるのは嫌ですから」
可愛いことを言われて、水島はまた世良をギュッと抱きしめた。
「あーもう、セラ結婚しよ」
「はいぃ!?」
「そーだそーだ、それがいい。そうしたらずっと一緒に居られるし」
「え、ええええ!?」
「何だよー、僕とじゃ嫌なワケ?」
「いやそうじゃなくて結婚、結婚、ケッコン……」
ブツブツと繰り返す世良。水島は腕を緩めてもう一度彼女の顔を覗いた。
「……セラ?」
「結婚、かぁ。そんな未来が有ったんだ……!」
首を傾げる水島へ、世良は照れながら答えた。
「私って毎日を生きるのに精一杯で、あんまり先のこと考えてなかったんです。奨学金を貰い続ける為に結果を出さなきゃって、トレーニング漬けの日々でした。走ることは好きだからそれはいいんだけど……」
親の居ない世良。式守理事が衣食住込みの破格な援助を提示してくれたから走っていられるが、そうでなかったら中学卒業後、施設を出て働かなければならなかった。
「頑張れば結婚とかもできるんですね。私にも家族ができるんだ。あはは、初めて未来が楽しみって思えたかもです」
「……かぞく……」
先程のアレは本気のプロポーズではなくただの軽口だった。しかし世良が受け止めることによって現実味を帯びた。
「家族……。僕に家族……?」
今度は水島が繰り返す番だった。
好きな女と結婚。毎日を彼女と過ごし、子供が産まれたら自分は父親になる。
多くの人間が経験する平凡な生活。だが人に心を許せない水島には、一生縁が無いと思っていた選択だった。
「僕に家族ができる……」
幼少期、どんなに訴えても両親は自分の元から去っていった。代わりの愛を求めた叔父夫婦からは暴力しか与えられなかった。
でも世良なら。彼女はこちらが誠実であれば
人の痛みが解る世良。騙すことも裏切ることもないだろう。きっと純粋な愛を、太陽のように惜しみなく注いでくれる。
「コハルさん!?」
驚いた表情の世良が水島の顔へ手を伸ばした。彼の頬を涙が伝っていた。
「どうしたんです?」
言われて確認した水島自身も驚いた。
「僕は……泣いているのか……?」
泣くなんて何年振りのことだろう。
胸が苦しい。自分は欲している。目の前の少女を。性欲ではなく心で。
(セラ……!)
彼は頬に触れる彼女の指を握りしめた。
「セラ、僕と家族になって」
ずっと自分は孤独だったのだ。それに気づいた水島は、今度は本気で世良に願った。