第十一章 失意の幕切れ 第1話

文字数 3,007文字

 魔女の館の門の前にヨハンナの姿がありました。彼女はきびきびと館の中へと歩みを進め、最初に見習いたちが集められた部屋へ向かいました。

 部屋の中にはケルスティンがいました。

「おや? 試験はまだ数日あるのに、なぜあらわれたんだ?」

 見習いたちの様子を映す窓を見ていたケルスティンは、金髪をなびかせて振り返りました。ヨハンナは両足を揃えてまっすぐ立ち、こう切り出しました。

「ケルスティン様、わたしはマルティン王子の運命を変えて、生涯の伴侶を見つけてやり、幸せにしました。本来の運命の相手であったいばら姫は眠りから覚めることなく、まもなく百年は過ぎます。つまり、ペドラは100年前の試験に落第したことになり、館の魔女としての地位をはく奪され、『大いなる魔女』様に食べられる。

 わたしが試験の正式な合格発表の前にここへ来たのは、そのペドラのことでお願いがあるからです。ペドラの処分は、どうかわたしに任せていただけないでしょうか。『大いなる魔女』様にかわって、わたしがあの者の命を奪います」

「『大いなる魔女』様に引き渡すのをやめろというのか。大叔母イーダの敵討ちのためだな」

「はい」

 魔女試験で不合格になった者は、『大いなる魔女』に食べられてしまうのが決まりです。それをやめて、試験を受けて魔女になったばかりのヨハンナに不合格者を差し出すなんて、まずできません。

「無理は承知です。でもこれは我が一族の宿願。どうか『大いなる魔女』様に、例外をお認めいただけるよう申し上げてください」

 ヨハンナは直角に腰を曲げて頭を下げました。ケルスティンはそれを拒絶するように腕組みしました。

「それはできないな。そもそも、ペドラは落第していない」

「えっ?」

 ヨハンナは顔を上げました。後ろにひっそりと座っていたエメリヒも立ち上がりました。

 ケルスティンは憐れむような一瞥をくれると、窓の前に立ち、杖をちょっと動かしました。

 窓は茨の城を映し出しました。眺めていると、フロリアン王子が茨の城の中へ入って行きました。そしていばら姫の唇に口づけして、いばら姫を百年の眠りから覚ましてしまいました。

「君がマルティン王子の運命を変えたのはじつに見事だった。今回の見習いの中では、かなり優秀な結果を出したと言えよう。だが、本来結ばれるはずであった二人のうち片方の運命を変えたなら、もう片方の運命も変わるとは思い至らなかったかな? いばら姫と同等の資質を持った女性であればマルティンの運命の相手になりえたように、いばら姫も資質が備わってさえいれば、マルティンでなくてもいいのだよ。

 ペドラは君の魔法にかかってマルティンと間違えてフロリアンを茨の城へ連れて行ってしまった。だがそのおかげでフロリアンがマルティンの代わりを務めてくれたというわけだ。君は無事にマルティンを白雪姫と巡り会わせ、試験には合格できたが、敵討ちのほうは失敗したことになる」

 ヨハンナは棒のように突っ立ったまま、緑の目を見開いて窓の中のいばら姫とフロリアンを見つめていました。両手は自然と強く握られ、ぶるぶる震えています。

 エメリヒがスッとヨハンナの前に出てきました。

「ケルスティン殿、確かにいばら姫は目覚めたが、フロリアン王子が城へ導かれたのは、ヨハンナの身代わりの魔法によるものだ。ペドラが成し遂げたとは言えまい。それでもあの女は合格なのか。合格だとして、館の魔女に相応しい成績ではないだろう」

 ヨハンナの悔しさを代弁するようでしたが、ケルスティンはさも残念そうに首を振って答えました。

「君、それは詭弁というやつだよ。魔女試験は足の引っ張り合いでもなんでもありなのだから、誰かの力を利用して、ずるく合格するのもありだ。館の魔女に相応しいかどうかについては、当時の試験監督の評価に準拠する。もともとわたしが判断するのは、百年前の合格が取り消しになるかどうかだけだったのだ」

 そこへ、扉が開く音がしました。

「おや、噂をすれば何とやらだ。ペドラ、今ヨハンナと君の話をしていたんだよ」

 ヨハンナもエメリヒも、憎しみのこもった怖い目で扉の方を振り返りました。ペドラはヨハンナがいたことに多少驚いたようですが、睨まれても怯むことなく、ゆっくりと部屋の中へ来ました。

「どうも、フロリアン王子のお国は野心が強くて、まわりの小国を吸収したいようでしてね、王子様があの国へ婿養子に入り、100年間まったく手つかずで時が止まっていた王国の再建を手助けして、そうやって上手いこと支配下に置いてやろうという方針に決まったそうですよ。ほとんどはあの王子が考えたとか。もちろん、姫の美しさにほれ込んでいるのは真実ですが、そういう策略を巡らす抜け目のない男だったわけで。まぁ、傑物には違いありませんから、新しい運命の相手になりえたわけです。

 これで、白雪姫との縁談は取り消しになったね。白雪姫とマルティンを隔てるものは何もない。マルティンは本当に幸せになるだろうよ」

 ヨハンナは杖を取り出してペドラに向けました。

「ふざけないで! 100年前は大叔母様を裏切って合格を手にいれ、今度はわたしの魔法を利用してのうのうと生き延びるなんて、どれだけ面の皮が厚いの。卑怯でこずるい女。わたしは許さない。なんとしてもお前を葬り去ってやる!」

 しかし、ケルスティンの念力で、ヨハンナの杖は奪われてしまいました。

「館の中で魔女の命を奪うことはまかりならん。それが許されるのは『大いなる魔女』様だけだ」

 ヨハンナはそれでも諦めきれずに魔法道具を取り出そうとしましたが、エメリヒが止めました。

「せっかく合格したのに、騒ぎを起こしては落第にされかない。それでは一族の復興は望めなくなるぞ。帰ろうヨハンナ、今は合格できただけで良しとするんだ。幸い、他の魔女と比べて高い評価を得ているようだから、館入りは濃厚だ。館に仕え、魔女として認められ、一族が力を取り戻せば、復讐の機会はまた訪れるだろう」

 ヨハンナはそれでもペドラを睨みつけて去りませんでした。最後はエメリヒが自らの魔力で館の外へと連れて行きました。

「……ところで、白雪姫は死んだと聞いていたのですが。どうやら生きていたみたいですね」

 ペドラはヨハンナのことを頭の隅に追いやってケルスティンに訊ねました。

「ああ。わたしも後で見て確認した。こういう顛末だったわけだが」

 ケルスティンは窓にイルゼがヘルガを使って白雪姫に毒リンゴを食べさせようとしたところから、マルティンと白雪姫が手をとりあって洞窟を出てゆくところまでを見せてやりました。

「このヘルガときたら。道徳心を捨てきれないで毒リンゴを食べさせられないなんて」

 ペドラは呆れました。

「まぁ、彼女は道徳的な魔女になるつもりなんだろう。そこは個人の選択だから、口出しはできんよ。君が卑怯にイーダを裏切ったことも、ヨハンナのおかげで、ほとんど棚ぼたで命をつないで全く平気な顔をしていても、非難されることはないのだからね」

 ケルスティンの言葉がチクリとペドラを刺しました。

「ヘルガもイルゼとの約束を反故にするという不義理をしていますがね」

「不義理をすることよりも、姫の命を奪うことの方が、恐ろしかったのだろうね。姫の命と魔女同士の約束なら、姫の命の方が大切と、そういう道を選んだのだよ」

 ペドラは口をへの字に曲げて、視線を床に落としていました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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