第八章 動き出す運命 第7話

文字数 2,969文字

 エルフリーデの狡賢い工作でイルゼが大変な目に遭っている頃、ペドラはせっせと人魚姫と王子の仲を取り持とうとしていました。

 ある日、二人は本を読もうと書庫を訪れました。王子が途中まで読んだ本を探すと、どういうわけか本棚の上の方に移動していました。王子は梯子を使って本をとろうとしましたが、下りてくるときに梯子が揺れて倒れてしまいました。

 当然、側にいた人魚姫の上に王子が倒れてきましたので、二人は本棚の間で、抱き合って寝転がっている格好になりました。まるで恋人同士のようです。

 人魚姫は目の前にある王子の顔に一瞬見惚れましたが、すぐに我に返ってぎゅっと抱き着きました。王子は人魚姫を優しく抱き起してくれました。

「すまない。痛かっただろうね」

 王子はそういって姫の肩や背中をただ撫でて、怪我がないかどうか心配しました。とても優しい振る舞いですが、人魚姫としては期待していた行動ではなかったので、もどかしく思いました。

 それから、本を読み進めていますと、物語の主人公と恋人が、甘く恋を囁き合う展開に入りました。人魚姫は王子が愛の台詞を読み上げるたびに、いちいちその袖を引いて大仰に頷いて見せたり、胸に手を当ててみたり、愛の言葉を伝えようとしました。

「そうだね。とても美しい言葉だね」

 それが人魚姫の気持ちだとは、王子についぞ伝わりませんでした。

「それにしても、この物語に、こんな色っぽい話があったかな?」

 ペドラが魔法で無理くり割り込ませたので、本来の物語の中にはないのでした。

 また、庭園を散歩している時に、急に雨が降ってきました。通り雨にしてはずいぶん激しい雨でした。二人は急いで東屋へ雨宿りしました。

 あたりは薄暗くなり、東屋には二人きり。人魚姫の服は濡れて、うっすら布の下の白く輝く肌が透けて見えています。髪も湿って、頬に張り付き、瑞々しさが際立っています。人魚姫はぴったりと王子にくっつき、熱っぽく見つめました。

 王子は優しく抱きしめてくれました。しかし、それだけでした。

「よしよし、雷が怖いんだね。大丈夫だよ。僕がついているからね」

 まるで子供をあやすようです。人魚姫はもどかしく、そして腹も立ちましたが、もちろん王子の機嫌を損ねないように、大人しくされるがままになっていました。

「まったく、あの王子は意気地なしだね。あんな綺麗な娘にくっつかれて何もしないなんて」

 ペドラは溜息をつきました。こうして数日みていると、王子は本を読んだり美しい風景を眺めたり、可憐な花を愛でたり、そういうことを好む人でした。だからこそ、紳士的な振る舞いを貫けるのでしょう。

 だから決して人魚姫を好きでないわけではないようなのです。ですが、思い切った行動に出るほど、愛してはいないのでしょう。

 人魚姫はこれらは全てエルフリーデがお膳立てしてくれているのだとわかっていました。だからこそ、色々な機会を全て無駄にしてしまったことを悔いていました。もっと王子にその気になってもらえるように振る舞わなければいけなかったのに、それができませんでした。

(このままではだめよ。わたしが努力しなければいけないのよ)

 人魚姫は遂に思い切って、真夜中に王子の部屋へ行きました。窓から差し込む月明かりに照らされた顔は、人間でない人魚姫から見ても、神秘的で美しく、思わずぼうっと見とれてしまいました。

 気配に気が付いた王子は、ゆっくり目を覚ましました。

「どうしたんだい。こんな夜更けに」

 人魚姫は勢いよく王子に抱き着き、そのままベッドの上へ倒れこみました。

 王子は驚いて目を見開きましたが、すぐにくすくすと笑いました。

「なんだい。怖い夢でも見たのかい。いいよ。そんなに怖いなら、今夜はずっと一緒にいてあげるよ」

 この期に及んで、王子はまだ人魚姫を子どものように扱いました。人魚姫は悲しくて悔しくて、しくしく泣きだしました。

「そんなに怖い夢だったの? かわいそうに。よしよし、大丈夫だよ」

 王子はシンデレラをあやしてやりました。それが却って彼女を悲しませるとはまったく思っていません。

「でも君の気持ちはわかるよ。夢というのはどうしてあんなに目の前の現実のようにはっきりしているのだろう。夢の中で起きた恐ろしいことも悲しいことも、全て本当に自分の身に降りかかってきたことのように思えてならない。僕も以前、あの嵐の夜の夢を見ていたころは、恐ろしくてとても眠れたものではなかったよ。

 それにあの娘だよ。彼女のことを夢に見たときも、あんなに生き生きと、まるでそこにいるかのようだった。それなのに死んでしまったなんて、信じられないよ。どうして神様はこんなに意地の悪いことをするんだろう。もう会えなくなってしまうなら、最初から僕に夢なんて見せなければよかったのに」

 ついに、王子まで涙を流し始めました。そして、二人一緒においおいと泣きました。その様を遠くから眺めていたペドラは、呆れて肩をすくめました。

 人魚姫はいよいよ焦りました。そして、このうえはもう文字を使えるようになるしかないと、毎日一生懸命に文字を見つめては、見よう見まねで指でなぞっていました。

「そうか。文字が書ければ、喋れなくったって思っていることを伝えられるってわけだね」

 ようやく人魚姫の意図がわかったペドラは、魔法の道具を作ってやることにしました。握って紙につけたら、あっという間に思っていることを書くことができる魔法のペンです。

 ただ、一つの国の言葉をあますところなくそのペンに覚えさせなければいけませんから、そのために大量の文章が必要でした。

 ペドラはエルフリーデの協力者ということで、人魚姫に会い、書庫の本をこっそり持ってきてほしいと言いました。人魚姫はもちろん承諾して、毎日少しずつ本を持ってきました。

 ペドラが魔法を使って本の文字を全て抜き、ペンのなかへと送り込んでしまうと、人魚姫は白紙になった本を戻し、また違う本を持ってきました。

 この作業は一日二日では終わりません。なにせペンが覚えている言葉が足りなければ、本当に言いたいことを書きあらわせないのです。人魚姫はこうも時間がかかっては、永遠に王子に気持ちを伝えれないと、苛立ちを募らせました。

「仕方がないだろう。中途半端なできばえの魔法道具を使ってごらん。へたくそな字で、とんまが書いたみたいに、綴りも単語も間違いだらけの文章しか書けなくなるんだよ。それで手紙でも書いてみな、王子様から嫌われてしまうよ。

 そんなに焦っているというなら、本を持ってきてここで見ているあいだに、王子様のご機嫌を取って、気持に気が付いてもらえるようにしたらどうだい。あたしだって、あんたを幸せにしてやる義理はないのに、ここまでいろいろ機会を作ってやったし、おまけに手間のかかる魔法道具まであげようっていうんだ。ちょっとは感謝してほしいね」

 人魚姫を幸せにするのはエルフリーデの役目です。ペドラは頼まれて、それとあの魔法道具のルーペを貸してもらうために手伝いをしているにすぎません。もちろん、それは魔女側の都合であって、人魚姫には関係のないことでしたが。

 人魚姫はしゅんとしてペドラの前から去って行ってしまいました。ペドラはせっせと本から文字を取り去って、ペンの中へ送り込みました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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