第十一章 失意の幕切れ 第2話

文字数 2,982文字

 エルフリーデと戦って魔力を使い果たしたイルゼは、隠れ家へ戻るのがやっとでした。

 戻ってくると、空のガラスの棺がありました。これは確かにイルゼが作った物ですが、白雪姫を連れ戻した時のためにしまっておいたのです。隠れ家の真ん中に置いた記憶はありません。

 隠れ家の守りに残したユッテの姿もありません。一体ここで何があったのか、イルゼはイヤリングを弾いて、ここで交わされた会話を聞きました。

 まず、最初に聞こえてきたのは白雪姫の声でした。

「あなたは誰?」

 それに応えるのは見知らぬ青年の声でした。

「わたしは、マルティンといいます。あなたは、一体どうしてこんなところに、棺に入って眠っていたのですか」

「わたしは白雪姫と申します。どうしてここにいるのかって、それは悪い継母に命を狙われているからです。こびとさんたちに守ってもらっていたんだけれど、どうしてここへ来たのだったかしら。

 どちらにせよ、ここは危ないわ。早く出て行かなければ」

「なら、お供しましょう。さぁ、お手をどうぞ」

「ありがとう。わたし、なんだかあなたと初めて会った気がしないわ。ずっと前から知っていて、ここで出会うことすらもわかっていたような、そんな感じがするの」

「それはわたしも同じです。あなたを一目見て、心が吸い寄せられるような、そんな不思議な心地がしました」

「お互いにそんなふうに感じていたなんて、とても素敵ね」

 それっきり二人の会話は終わってしまいました。きっと洞窟から出て行ってしまったのでしょう。イルゼの結界はすっかり解けてしまっていましたから、出てゆくのは簡単だったはずです。

「あの男はいったい誰なの? まさか、エルフリーデの手先ではないでしょうね」

 それだけではここで何が起きたのかわかりません。幸い、イルゼはすぐに薬を煮る小鍋が小刻みにカタカタ動いているのに気が付き、蓋を開けました。中に閉じ込められていたユッテは飛び出して体を伸ばすのもそこそこに、ヨハンナが白雪姫をエルフリーデから奪い返したことを話しました。

「ということは、あの青年はヨハンナの幸せにする対象のマルティン王子ね。ならば姫はマルティン王子と出会い、魂が結ばれたのね」

 イルゼは棺の側に座り込み、嬉し涙を流しました。

「良かった! これでシュネーヴィッテン国の王子との縁談は破談ね。国民を戦争から遠ざけることができたわ。

 白雪姫は……結婚はやはり早すぎるけれど、でも姫を助けて森を脱出して、城まで連れて行ってくれるような頼もしい人ならば、姫も幸せになれるかもしれない。とにかく、姫が生きていてよかった。あの毒リンゴを食べなくてよかった」

 ユッテもつられて涙ぐみました。いつしかイルゼは疲れ切って棺の淵に体をもたれさせて眠ってしまいました。ユッテはその体の上に厚手のコートをかけてやりました。


 長らく行方不明だった白雪姫が、頼もしい青年に付き添われて戻ってきたので、城下町は大騒ぎになりました。すぐに王様が宮殿から駆けつけて、娘の姿を見るなり抱きしめて涙を流して喜びました。

「して、そちらの方は」

「こちらはドルン国のマルティン王子様よ。わたしを見つけて、ここまで守ってくれたの」

 王様はあらためてマルティンを眺めました。顔立ちは若く瑞々しいですが、体格は立派で、とても逞しく見えました。姫を助けてここまで来たといいますが、優しく善良そうで、とてもいい青年だと思いました。なにより姫の隣に立つと、まるで一対のティーカップのように、とてもお似合いでした。

「姫を救い出してくれたこと、いくら感謝しても足りぬくらいだ。

 どうだろうか。そなたと姫は年頃も釣り合うことだし、こうして浅からぬ縁ができたことでもあるから、ぜひ姫と結婚してもらえないだろうか」

 マルティンは驚きました。しかし、白雪姫に語った通り、出会った時からすっかり心を奪われていたので、その申し出を素直に喜びました。

(きっと彼女こそがわたしの生涯の伴侶となる人だ。この長い旅路は、彼女に出会うためのものだったのだ)

 一方、白雪姫も一目でマルティンを好きになって、もうこの人以外とは結婚なんて考えられなくなっていました。

 二人の気持ちが同じなのですから、話はすぐに決まりました。

 大臣たちは、シュネーヴィッテン国との縁談はどうするのかと気をもみましたが、時を同じくして、シュネーヴィッテン国の大使が、縁談は白紙にしてほしいと申し出てきました。フロリアンがいばら姫と結ばれたからです。

 大使は、こちらから持ち掛けたことですし、一時は反対する王妃に対抗するため、居丈高になっていたこともあり、またこちらの勝手で断るのは身勝手すぎると、冷や汗をかいていましたが、事情が変わったのは白雪姫側も同じでしたので、思いの外すんなり受け入れられて、ほっと胸をなでおろして帰っていきました。

 白雪姫は一人娘でしたので、マルティンと結婚して出て行ってしまったら、この国はどうなってしまうのでしょうか。

「王位は他の王族に譲ればよい。それより姫が国と国との思惑など気にせず、好いた相手と幸せに暮らしてくれる方が大事だ」

 これまでのいざこざを経て、王様が白雪姫をかわいがることは以前より甚だしくなりました。国の事よりも娘の幸せが第一になってしまったのです。王様としてそれは感心できませんが、父親としてはとても自然な感情でした。

 マルティンの故郷ドルン国も、王子が素敵な伴侶を見つけて帰ってくると聞き、すぐに盛大な結婚式の支度を始めました。もちろん白雪姫の方でも、いなくなる前に準備していた結婚式のドレスやお嫁入りに持っていく品物に加えて、さらにあれこれ豪勢に準備をしました。

 マルティンは花嫁行列と一緒に帰国することになっていましたので、それまで白雪姫のお城で一緒に式の準備をしました。そして結婚式に誰を招待するかを話し合う段になりました。

「もちろん、お父様は招待するわ。それから親戚たちね。従兄弟に叔父様や叔母様、あとは、大臣たちね」

 白雪姫はうきうきして名前を召使に書き留めさせています。マルティンはそこで、白雪姫の母親が抜けていることに気が付きました。父親を招待して母親だけ招待しないというのは不自然です。ですがそのことを尋ねると、白雪姫はぷんぷん怒ってしまいました。

「あの人はわたしを殺そうとした魔女なのよ! 本当の母親でもない。わたしのことを嫌って、ひどいことをたくさんしてきたの。そんな人を招くなんてありえないわ」

 そこでマルティンは初めてイルゼのことを聞きました。

 彼は今や白雪姫の心優しい恋人でしたから、当然姫に同情しました。しかし魔女という言葉を聞いて、ふとヨハンナを思い出しました。

「悪い魔女か……。確かに魔女とは敵か味方かわからない怪しい存在だ。でも、今振り返ってみれば、わたしは魔女のおかげで君と出会えたんだ。もしかしたら君のお母様も何か深い思惑があったのかもしれない」

 ついそんなことを言ってしまいました。すると白雪姫は打ちひしがれたように言い返しました。

「あなたはあの魔女の肩を持つの? 妻になる私を殺そうとしたのに!」

 マルティンは慌てて謝りましたが、姫の嘆きと怒りは収まりませんでした。王様はそれを聞きつけて、そういえば王妃の事をほったらかしにしたままだと気が付きました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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