第十一章 失意の幕切れ 第5話

文字数 2,992文字

 ばたんと本棚が倒れ、娘の悲鳴が書庫に響きました。娘は本棚の下敷きになってしまったのです。

 物音を聞きつけた召使や娘の母親、王妃が駆けつけて、すぐさま助け出しました。幸い、骨が折れてはいませんでしたが、全身を強かに打って、と手も痛そうでした。なにより恐ろしくて、娘はしくしく泣いていました。王妃は娘の腕をさすってやりながら母娘をお城の外まで送ってやりました。

 人魚姫はというと、本棚を倒してすぐに身を隠しました。人がいなくなるまでそこから動かず、後でこっそり部屋へ戻ったので、誰も彼女の仕業だとは思いませんでした。

(ひょっとしたら死んでしまっていたかもしれないわよね。あんなことをするなんて、良くなかったかしら。でもわたしの王子様に近づいて横取りしようとしたんだもの。どうにかしなくちゃいけなかったのよ)

 部屋の中で人魚姫は自分自身に言い訳をしていました。その言い訳を肯定してくれる人が現れました。エルフリーデです。

「よくやりましたわ。邪魔者は消す、それくらいの気概がなければね!

 わたくしが調べましたところ、王妃は王子の結婚相手を探しているようですのよ。今日の娘はその候補の一人というわけ。これからも次々と娘を送り込んで、王子と会わせるつもりですのよ。

 でも安心なさいな。そんな計画は私が全て潰してさしあげますからね。毎回毎回あなたが手を出していたんじゃ、いつか知られて、ひどい娘だって王子様から嫌われてしまうかもしれませんもの」

 これからも娘たちが送り込まれると知って、人魚姫は不安になりましたが、エルフリーデの頼もしい言葉に元気を取り戻しました。

 エルフリーデは、イルゼを失格にする計画がとん挫してしまい、自力で素晴らしい結果を叩きだして館入りを狙うしかなくなっていました。だから人魚姫のために、前にもまして協力しました。

 彼女は人魚姫のために、候補の娘たちを次々魔法で襲いました。

 次にお城へ来るはずだった娘の洗顔の水に薬を入れ、一晩でひどいあばた面にしてしまいました。これではとても見れたものではありませんし、なにより突然こんなことになったのは、悪い病気も疑われますから、当然お城へは行けなくなりました。

 その次の娘には、しゃっくりが止まらなくなる薬を飲ませました。朝起きてからずっとヒックヒックと、言葉もまともに喋れません。そのうち苦しくてゼイゼイしてしまい、たまらず寝込んでしまいます。これでは王子様とおしゃべりもできません。もちろんお城へはいけなくなりました。

 次の娘には子ども返りの薬をかがせました。昨日まで礼儀作法のきちんとした淑女だったのが、突然幼い子供みたいにキャーキャーはしゃぎまわってわがままを言うのですから、両親は娘の頭がおかしくなってしまったと嘆きました。こんな有様で王子様の前になど出られるはずがありません。

また次の娘には、そこらへん野良猫と魂を入れ替えてやりました。姿は娘でも頭は猫のなので、四つ這いで歩いて、後ろ足で頭をかいたり、顔や手をぺろぺろなめたりするのです。これもお城へなど行けるはずがありません。

 このように、王子のお妃候補の娘たちは、お城へ来る日になるとおかしな病気にかかってしまうと噂になりました。王子様が呪われているから、結婚しようとすると悪い病気にかかるのだ、などという噂まで流れ始めました。まだ無事な候補の娘たちは病気にかかるのを恐れて、皆お城へ行くのを辞退しました。

 王妃はがっかりを通り越して腹を立てました。せっかく王子のためにしたことが裏目に出て、おまけに王子が不吉な存在であるかのような言われようをしています。

「でも、娘たちが次々と災難に遭うのは、とても不気味なことだわ。偶然とはとても思えない。もしかしたら、我が王家が呪われているのかもしれない」

 そう考えた王妃は占い師を呼び寄せて、占ってみることにしました。

 占い師は王妃の前で水晶玉を取り出し、王家の行く末を占いました。

「王家はこの先80年は安泰。王様も王妃様も大きな病気をすることもなく、天寿を全うされるでしょう」

「では王子はどうです? 王子の将来は?」

 占い師はもったいぶって水晶玉に手をかざし、空気をつかむように数回動かしました。

「王子様はこのまま平和にお過ごしになり、立派な国王となるでしょう。ただし、結婚相手を選び間違えると、たちまち不幸が始まり、国は傾きます。そもそも王子様はとても稀有な運命をお持ちで、結ばれるべきでない女性が王子様に近づくと、災いが降りかかります」

 噂を知っていたら、これくらいもっともなことは誰でもいえそうな気がしますが、王妃は困っていたところだったので、占い師の言葉を信じ、王子が結ばれるべき相手はどこにいるのかと訊ねました。

「探す必要はありません。王子に相応しい娘は、既に王子の側にいるのです。王妃様はただ二人が自然と結びつくのを見守っていればよろしいのですよ」

 既に王子の側にいるとは、一体誰の事なのでしょうか。王妃は首をかしげましたが、ひとまずは、王子に呪いなどかかっていないとわかったので、それで占い師を返しました。

 王様に報告しますと、王様も安心しましたが、王子の結婚相手については、一体誰のことなのか、見当もつきませんでした。

「もしかして、召使の中に、密かに気に入った娘でもいるのではないかな」

「まさか。そんな話は聞いたこともありませんよ。それにもし気に入った娘がいたとして、召使だなんて。王子には釣り合いませんよ」

「いや、一人だけ特別に側に置いている娘がいるではないか。もしやあの娘ではないのか」

 王が言っているのは人魚姫のことです。人魚姫であれば、占い師の言葉とぴたりと一致する気がします。

 けれども王妃様は首を振りました。

「あの娘は駄目ですよ。王子が憐れんで側に置いてはいますけれど、どこの馬の骨ともわからない娘なのですよ。そういえば名前だって知らないわ。そのうえ口がきけませんのよ。そんな人がどうして王子の妻になれますか」

 人魚の姫も、地上に上がれば出自の怪しい娘となってしまうのです。王子などという立場の人は、相手の家柄や血筋なんてものを特に気にして結婚相手を選ぶのです。そういうわけてすから、人魚姫は魔女の力を借りたとしても、とても望みの薄いところから始めているというわけなのです。

 予言の言葉通りなら、やはり人魚姫が王子の妻となるべき人のように思えますが、王妃は頑なに否定しました。王も絶対に彼女だとは言い切れなくて、一先ずこのことはおいておくことにしました。

「まぁ、王妃め、催眠が薄かったのかしら?」

 エルフリーデは貝殻で国王夫妻のやり取りの一部始終を見ていました。占い師は彼女の変装だったのです。お妃候補の娘たちを散々にやっつけて、最後におぜん立てをしてやったつもりでしたが、うまくいきませんでした。

「まぁいいわ。国王の方は人魚姫に目をつけ始めているから、後は時間の問題ですわ」

 エルフリーデは貝殻を閉じてイソギンチャクのソファの上で少し休みました。

 その頃、海の向こうの国のお城にも、占い師が訪れていました。

 町でよく当たると評判だったので、王様が宴会の余興に呼び出したのでした。

 占い師は太った黒い猫を抱いて、王様の前にひざまずきました。そして猫を足許に置くと、怪しげな呪文を唱え始めました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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