第十章 先のことはわからない 第2話

文字数 3,013文字

 もう十分だと思ったのでしょう。エメリヒは猫の姿に戻り、くるりと一回転すると、その姿を消しました。どこかへ移動してしまったのでしょう。

 ヘルガはそろそろと墓石の陰から顔をのぞかせ、エメリヒがいなくなっていることを確かめると、両手をついて立ち上がりました。エメリヒが暴れたせいで、墓地はもうぐちゃぐちゃになっています。

「何だよあいつ。豹に変身できるのか、豹が使い魔をやってるのか知らないけど、あんなの反則だよ。

 それにしてもひどいな、こりゃあ。町の人に見られたらまずいよ」

 ラルフが墓地の様子を見て言いました。確かに、人々がこれを見たら大層お驚き怖がるでしょう。

「でも、今はシンデレラを助けるのが先よ。墓地は後でなおせばいいわ。だいたいここには、これまでシンデレラの他に誰も来なかったのだし」

 しかしヨハンナがどこへ行ったのかわかりません。ヘルガは砕けた墓石に腰掛けてどうするか考えました。そして、最初に師匠の魔女にもらったステッキを使おうと思いつきました。

「ヨハンナさんは最近はイルゼ王妃様と協力していたから、王妃様のお城の近くにいるんじゃないかと思うのだけれどね」

 前のようにステッキを箒の柄に結び付けて、ラルフをフードの中に入れて、ヘルガは飛び上がりました。ステッキが指し示す方へまっすぐ、なるべく急いで飛んでいきました。


 エメリヒが時間を稼いでくれたこともあり、ヨハンナはだいぶ遠くまで飛んできていました。ですが、ずっと箒で飛び続けていたら、ヘルガに追いつかれるかもしれません。一度地面に下りて、小瓶と地図を取り出して、それであっという間に遠い所へ移動してしまいました。

 そこはなだらかな山道でした。あたりに背の高い木が少なく、背の低い木や茨がぽつぽつと生えています。

 ヨハンナは念力でシンデレラを茨の茂みの中へ移動させ、ようやくリボンを解きました。

「イルゼから借りておいてよかった」

 体が自由になったシンデレラは逃げ出そうとしましたが、見えない壁があるかのように、茨の茂みの外には一歩も踏み出せません。

「なぜ逃げようとするの? ここにいれば少なくとも王子様が靴を手掛かりにあなたを探しに来ることはない。あなたが怖れている一大事は回避できる」

 それはそうかもしれません。ですがこんな乱暴に連れ去られて、不安にならないほうがおかしいです。

「どうして私を連れてきたのです? 魔女さんの所へ返してください」

「どうしてって、ヘルガはあなたに何も話していないみたいね。

 もうこの際だから、わたしの考えを話す。わたしには幸せにしなけばいけない王子がいる。その王子は結婚相手を探しているの。一人候補がいるのだけれど、もしかしたらその候補は結婚できなくなるかもしれない。ほかにうってつけの人を探したら、あなたがぴったりだった。だからここへ連れてきた。もし候補の一人が本当に駄目になったら、あなたと王子を会わせるつもり。王子が来るまでここにいて」

 突然そんなことを言われても、シンデレラは何が何だかわかりませんでした。ですが、この若い魔女が、シンデレラが恋した王子とは別の王子とシンデレラを結婚させようとしていることはわかりました。

「いけません。わたしなんか王子様と釣り合いません」

「そう思い込んでいるっていうのは知っている。でも、謙遜しなくていいの。あなたはとびきり気立てがいいし、美しいし、なにより占いで他のどんな王女よりも素晴らしい女性だとでているのよ。だからマルティン王子に釣り合わないなんてことはない。彼もきっとあなたを気に入るはず」

「そんなことは……」

「そんなに嫌がることではないはず。マルティン王子と結婚すれば、継母や義姉にこき使われる生活とはおさらばできる。そのうえお城で何不自由なく暮らせる。玉の輿なのだから、あなたに悪いことなんて何一つない。

 普通の娘なら、大喜びのはず。それでも玉の輿に乗りたがらないのは、あなたがあのヘルガと同じで、臆病で怠惰だから。このままでいい、今の生き方が正しいと自分に呪いをかけ、そこから逸脱しようとしない。逸脱の先には不幸しかないと、何の根拠もなく信じている。本当は幸せがあるかもしれないのに。

 あなたは慎み深いと聞いたけど、そういう人だからこそ、玉の輿に乗る機会が巡ってきた。あなたはその幸運を受け入れて幸せになっていい。そうなるべき人よ」

 シンデレラの胸にずっと守ってきた母の教えが浮かびました。

「誰に対しても、優しく思いやりの心をもって接しなくてはいけないわ。もう十分恵まれているのだから、これ以上欲張りになってはいけません。新しい家族と仲良くなれるよう、優しくしてあげるのよ」

 この教えの通りに生きてきました。正しいことだと思ってきました。嫌な思いをしても、悲しくなっても、歯を食いしばって言いつけ通りにしました。

 だからハト――今から思えばヘルガですが。――に会った時、天国の母親からのご褒美と言われて、すんなり腑に落ちました。報われないことに疲れ果てていたからです。

(お母様の教えてくださった生き方は素晴らしいものだわ。でも巡ってきた幸運を受けれるのは、欲張りではなんじゃないかしら。この人が言うように。

 欲張りっていうのは、足りているのに、必要がないのに、もっともっとと欲を出して、あげく他の誰かを踏みにじってまで手にいれることだわ。そうであるなら、今私の身に起こっている幸運を受け入れたとして、それは欲張りではないわ。だって誰かを踏みにじっているわけではないもの。むしろ受け入れなかったら、せっかく王子様が向けてくださったお心を踏みにじって、悲しませることになってしまう。

 今は住む場所も食べ物もあって、十分恵まれているわ。その上お城の豪華な暮らしなんて望んだら欲張りよ。でもわたしが欲しいのは愛おしい人と彼からの愛。それは今のわたしは持っていないものよ。それは欲張りではないのではないかしら)

 シンデレラが黙っているのを見て、ヨハンナはようやくその気になったのかと、笑みを浮かべました。

「マルティンはまっすぐで勇敢で、とてもいい人なの、あなたもきっと気に入るわ。だからしばらくここにいて。もし一人目の候補が駄目だったら、マルティンをここへ寄越すから」

 ヨハンナはそう言い残して茨の茂みからとおざかりました。シンデレラは我に返って叫びました。

「待って。わたし、やっぱり戻りたい。ヘルガさんの所へ戻して。わたしは玉の輿なんていらない。私の愛する、あの王子様と一緒になりたいの」

 聞こえていないのか、はたまた聞こえていて無視しているのか。ヨハンナは振り返らずにすたすた通り過ぎました。そして振り返ると杖を振って呪文を唱えてから、手のひらに黄色の粉薬を乗せて、ふっと吹きかけました。

 すると、シンデレラがいる茨の茂みは立派な城壁に囲まれてお城になり、その周りを太い茨が囲みました。

「上出来だ。あの茨の城そっくりだ」

 戻ってきたエメリヒが褒めました。もちろん、これはにせもの、全てはただの目くらましです。

「白雪姫がだめなら、マルティンをここへ連れてくる。シンデレラをいばら姫に見せかければ、マルティンは心の底から運命の相手だと思い込むはず」

 こんな大掛かりなことをしていますが、シンデレラはあくまで保険です。ヨハンナは白雪姫がどうなるかを見守るため、イルゼの元へ戻っていきました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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