第二章 それぞれの対象 第8話

文字数 2,988文字

 日が暮れて真っ暗になった森の中、木々を避けるように赤い毛糸が伸びていました。マヌエラは使い魔にランタンをくわえさせて、その灯りを頼りに毛糸を手繰っていきました。あまりに森が入り組んでいたため、箒からはおりています。マヌエラとマヌエラが幸せにする人間は、魔女の館からかなり離れた所にいたようで、あのあとずっと毛糸を投げてはたぐり、投げてはたぐりしていました。

「いい加減、このあたりで見つかってもいいもんじゃないかね」

 マヌエラは毛糸を手繰り終えると、ふう、と一息入れて、毛糸をしまってから、小さな笛を取り出しました。横笛に息を吹き込むと、軽やかな鳥の鳴き声が、静かに、しかし正確に森の中に響き合ました。その音を聞きつけた鳥たちが、マヌエラの側に集まってきます。

「いいかい、今から人探しを頼むからね」

 今度は袋に入ったパンくずを鳥たちに食べさせました。このパンくずには魔法がかかっていて、これを食べたらしばらくの間、マヌエラと意識がつながります。

 十数匹の大小さまざまな鳥たちは、パンくずを飲み込むと、パタパタと飛び立って、森のあちこちを旋回しました。

 マヌエラは目を閉じて、かわるがわる鳥たちの目に移った風景を見ました。そうやってヘンデルとグレーテルという幼い兄妹を探すのです。

 やがて、西の方を旋回していたヒバリが、くすぶった焚火の側で抱き合っている兄妹を見つけました。やっと探していた二人が見つかったと、マヌエラは箒で木よりも高く浮かび上がり、ヒバリのいる方へ飛んでゆきました。

 上空から木にとまっているヒバリの姿を見つけると、マヌエラはそこへ降りていき、そのすぐ下の太い木の枝に腰掛けました。ここからは兄妹の姿が良く見えますが、彼らからこちらの姿は見えにくいようです。

 それにしても、真夜中に幼い子ども二人がどうしてこんなところにいるのでしょうか。焚火はもう消えかかっていて、暖を取れるわけでも灯りになるわけでもありません。

 お下げ髪の妹のほうは、穴があき薄汚れたエプロンの裾で、流れる涙をぬぐっています。それを袖がつんつるてんのシャツを着た兄が優しく慰めています。

「こんな森の中に置いていかれちゃって、あたしたち、もうお家に帰れないわ。どっちに行ったらお家があるのかわからないもの」

「よしよし、泣いたらだめだよグレーテル。大丈夫さ、兄さんはちゃんと帰り道がわかるからね」

 ヘンデルは妹の手を取って優しく立ち上がらせると、一方を指さして言いました。

「ほら、あっちを見てごらん。お月様の光を反射して、地面がキラキラしているだろう。あれはね、僕が家からここまで少しずつ落としてきた石だよ。あの石のある方へ歩いていけば、家へ帰れるんだよ」

 グレーテルが目を凝らすと、確かに森の木々の間から差し込む月明か理に照らされた石が、きらりと輝いていました。

「凄いわ兄さん。あたしたちお家へ帰れるのね」

 二人は大喜びして、手をつないで光る石を頼りに歩いていきました。

「へぇ、頭の良いぼうずだね」

 マヌエラは少し感心して、また箒に乗ってゆっくりと二人の後をつけました。

 段々と木々が少なくなっていって、畑が見えてきました。そして木でできた古い小さな家が見えてきました。

「ほら、お家に着いた」

 二人はここまで歩きどおしだった疲れも忘れて、我が家へ駆け寄りました。灯りが漏れている建付けの悪い扉をドンドンと叩くと、ギィと嫌な音を立てて扉が開きました。中から、色あせたスカーフを肩にかけた、痩せた女が出てきました。

「母さん、帰りました」

 二人が声を揃えて言うと、その女はぎょっとして二人をまじまじと見つめました。それから口をへの字に曲げて、眉毛をぎゅっと寄せました。

「二人とも、こんな夜中になるまでいったいどこで油を売っていたんだい」

「父さんがここで待っていなさいっていったから、ずっと待っていたのに、迎えに来てくれなかったから」

 グレーテルが素直に答えると、これまた痩せた男が慌てて戸口へ出てきました。

「ああ、その、悪かったな。ついうっかり、二人のことを忘れて帰ってきてしまったんだ。薪とりに夢中になっていてね。けして置いていこうと思っていたわけじゃないんだよ。本当に、うっかりしていたんだよ」

 目はせわしなく、隣の痩せた女を見たかと思えば、二人の子供を見てを繰り返しています。

「まったく、あんたって人は、大事な子供をほったらかしにするなんてね。まぁいいよ。返ってきたんだからまずは良かった。早く家に入りなさい」

 女の言葉は、まるで決められた通りに無理やり話しているように、感情がこもっていませんでした。二人が家に入ると、扉は乱暴に閉められました。

「あれが二人の両親ってことか。でも母親の方は本当の親じゃないんじゃないかい? なんとなくそう見えるよ」

 マヌエラは様子を探るために使い魔を家の側へやりました。猫は素早く壁際に置いてあった木の《たる》によじ登り。窓から中の様子を伺いました。窓辺の小さなベッドには、二人の子供が薄い布一枚にくるまって眠っています。その向こうで両親は向かい合って座って話をしています。

「あんた。話が違うじゃないかい。どうして子供たちが帰ってきちまったんだよ。まさかあんたが手助けしたんじゃないだろうね」

 母親はものすごく不機嫌な声を出しています。父親は縮こまって小さな声で反論しました。

「そんなことはない。俺は言われた通りちゃんと森の中に置き去りにしてきたんだ」

「まったく、あんたが実の子どもを殺せないっていうから、置き去りにするっていうことで手を打ったのに、これじゃ台無しだよ。あれっぽっちの食べ物しかないのに、四人でどうやって生きていくっていうんだい」

「どうにかする、どうにかするから」

 父親はひたすら母親をなだめようとしますが、母親はいつまでも食べ物が足りないのいってんばりです。言い争いは深夜まで続きましたが、意味のないやり取りに疲れたのか、やがて二人とも床に就きました。

 すると、窓辺の幼い兄妹の目がぱちりと開きました。そして小声で話しを始めました。

「兄さん、母さんは食べるものがないから、あたしたちを捨ててしまうつもりだったのね。父さんはわざと森に置いていったのね。本当の母さんが死んで心細かったけど、父さんがいるから大丈夫だと思ってた。それなのに父さんまでこんなことをするなんて。あたしたちこれからどうすればいいの」

「大丈夫だよ。こうやって家に戻ってこれたんだから」

「でも、食べ物はないのよ。お家にいてもお腹がすいて倒れちゃうし、あのまま森にいても同じことだったのよ」

 グレーテルはさめざめと泣きました。ヘンデルは妹を慰めましたが、何を言ってもむなしいばかりでした。

「へぇ、食べ物がないから子どもを捨てようってか。あの継母は血も涙もないね。けどもっと許せないのは父親のほうだね。大切な実の子どもだっていうなら、継母なんか追い出して、二人を守って見せろってんだ。やっぱり男ってのは口だけの意気地なしで、我が身可愛さに子どもだって見捨てる、とんでもない生き物なんだよ。かわいそうに、あの二人は今回は何とか助かったけど、また追い出されちまうんじゃないかね」

 マヌエラは吐き捨てるように言いました。そして、あの二人をどうやったら幸せにしてやれるか考え始めました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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