第三章 気の毒な娘さん 第8話

文字数 2,935文字

 マルティンも勇ましく剣を抜きました。しかし彼が動く前に、ペドラは杖を振って彼を空中に浮かび上がらせました。そしてもう片方の手で羊皮紙を掲げました。するとマルティンの体は羊皮紙に吸い込まれていってしまいました。

 ヘルガはただあっけに取られていましたが、マルティンを連れ去られたらヨハンナが困るのではと思い至り、何とか杖をペドラに向けました。しかしヘルガにできることと言ったら、物を浮かせたり移動させたりするだけで、ヨハンナのように雷を出すことなどできません。

 なので、ヘルガは羊皮紙をペドラの手から奪おうとしました。しかしペドラは手を離そうとしません。そして杖を向けてヘルガをちょっと浮かせると、そのまま地面に落としました。当然ヘルガは魔法を続けていられません。

 こんな魔法使いは放っておいてもいいと思ったのでしょう。ペドラはそのまま箒に乗ろうとしました。ところが箒が勝手にペドラの手を離れて、遠くへ飛んでいきました。というより、何か見えないものが、放り投げたように見えました。

 ペドラが驚いていると、羊皮紙を持った手に鋭い痛みが走り、羊皮紙を取り落してしまいました。何かにかみつかれているような痛みです。ペドラは杖を自分の手に向けて、空気の玉を放ちました。空気の玉は何かにぶつかって弾けました。すると、手首に噛みつく黒猫の顔があられました。

「さてはヨハンナの使い魔だね!」

 ペドラは続けざまに空気の玉を放ちました。使い魔はやむを得ず手首を放しましたが、牙をむいて威嚇し、爪で空をかきました。すると爪の起動に木の葉のような刃が現れて、ペドラめがけて飛んでいきました。ペドラは杖を前に出して結界を張って防ぎました。

 恐ろしい魔法の戦いです。ヘルガは地面に尻もちをついたまま震えて眺めていましたが、そこへラルフが近づいてきました。彼はどさくさに紛れて、地面に落ちた羊皮紙を拾ってきました。羊皮紙にはインクで描かれたマルティン王子がいます。

「この中に閉じ込められちゃったのさ。ほら、羊皮紙をぐるりと一周魔法陣が描かれてる」

「つまり、これを描き変えたらこの人を外に出せるのね」

 ヘルガはペドラと使い魔の争いから逃れるように大きな木の影へ身を寄せて、ペドラの魔法陣を崩しにかかりました。まずは魔法陣がどのような仕組みになっているのか解読し、それを無効化する図案を書き足します。というと、とても簡単そうですが、ヘルガは師匠から習っても、どの模様がどんな意味を成すのか、覚えようと思ってもなかなか覚えられなかったり、覚えたことも忘れてしまったり、急に思い出せなかったりしていたので、とにかく時間がかかりました。ラルフはいらいらしましたが、ヘルガは懸命に頭をひねりました。

 そうこうする間に、崖の上で岩を止めたヨハンナが戻ってきました。ヨハンナは使い魔と一緒にペドラと戦います。二対一では敵わないと、ペドラは箒に乗って逃げていきました。

「ありがとうエメリヒ。マルティン王子はどこ?」

「羊皮紙に閉じ込められてしまった。なに、さほど難しい魔法ではないから、ヨハンナならすぐに出してやれる」

 とヨハンナがこちらを振り返ったところで、ようやくヘルガがマルティンを羊皮紙から出してやりました。

「ありがとう。崖の上の魔法を教えてくれたし、王子も救ってくれた」

「いいえ。岩に潰されそうなところを助けてくれたから、お返しよ」

 ほんとうは感謝されるようなほどのことは何もしていないのですが、ヨハンナはお礼として小さな丸薬をくれました。体を回復させる薬だそうです。飲み込むと、ずっと箒に乗っていた疲れも、箒から落ちた時の体の痛みも全てスッと消えました。

「ありがとう。おかげで体が楽になったわ。それにしても、さっきの館の魔女様は、どうして岩を落としたりなんかしたのかしらね。おまけにこちらの男の人を閉じ込めたりして、まるでヨハンナさんを邪魔しようとしているみたいだったわ」

 試験に参加する見習い魔女同士が足の引っ張り合いをすることは、マヌエラからもケルスティンからも聞いていましたが、試験を見届ける館の魔女が見習いを邪魔するというのは、ちょっとおかしいです。

「もしかして、館の魔女様に何か失礼なことをして、目をつけられてしまったの?」

 ヨハンナも魔女の一族の出です。魔女の世界でのふるまいには慣れているはずの彼女が目をつけられたのだとしたら、そうでない自分はよくよく注意しなければ。あんなに凄い魔法を使う人につけ狙われたら、きっと落第してしまうと、ヘルガはそういう恐れから訊ねましたが、ヨハンナはしつこく詮索されたくなかったので、話題をそらそうとしました。

「わたしの課題は、このマルティン王子に最適な伴侶を見つけて、無事に故国へ還すこと」

「そうなの? では結婚相手を探すということね。で、そのお嫁さんがどこにいるかわかる、見当はついているのかしら」

「いいえ、王子が道中で巡り合った女性の中に運命の人がいる。最後に決めるのは彼」

「そういうことなの。でも、そうね、直接会って、お互いのことをわかったうえで結婚するというなら、それはいいかもしれないわね」

 イルゼの所では白雪姫の結婚を手放しで勧められませんでしたが、ヘルガは結婚がことさら不幸なことだと思っているわけでもないのです。ヘルガの夫は同じ村で生まれ育った人でしたから、気心が知れていました。特に好きだったかどうかと問われれば、はっきりと答えられませんが、ものすごく嫌な相手というわけでもありませんでした。

 あの村の娘たちはたいてい身の回りの人と結婚するので、相手に対しての感情は、その程度で良しと考えていたのです。この王子もそうやって誰かと結ばれるなら、それはまっとうなことで、良くないと反対する気持ちは起きません。

 逆にヨハンナに課題を問われたヘルガはありのままを答えました。

「なるほど。風光明媚なところを探しているのね。それならいっそ海が見える場所がいいんじゃない。その娘さんは都会育ちで、海を見たことがないだでしょう」

「ああ、それはいい考えね。わたしも海って見たことがないわ。じゃあお勧めに従って、海辺を探すとしましょう。ええと、海はどっちの方角かしら」

「ここからだと北西に進むのよ」

 ヘルガはヨハンナに礼を言って箒にまたがりました。薬のおかげで元気いっぱいですから、遠くまで飛んでいけるでしょう。

「ずいぶん親切にしてやったな。年寄りだからか?」

「いいえ。ちょろちょろされたうえに、いらない詮索までしてきて、邪魔だから遠くに行ってもらったの。あの様子だと、わたしを邪魔するつもりも、ペドラを邪魔するつもりもなかったようだわ。でも結果としてペドラは邪魔された。わたしは助かったけど、次は立場が逆になるかもしれない。

 あんなふうに何も考えずに動き回られて妨害されるなんていい迷惑。こっちは備えようがないもの。いっそ誰かを邪魔しようって魂胆で動いてくれていたほうがまし」

 魔女が優しさを見せる時は、たいてい本音が別にあるのです。

 さて、ヨハンナはマルティン王子を励まして、先を急ぎました。使い魔のエメリヒは、もう姿を消す魔法の粉を使わずについていきます。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み