第十章 先のことはわからない 第6話

文字数 3,013文字

 一方、こびとたちは白雪姫を守るため、遠くへと逃げていきました。こびとは人形ですので、疲れを知らずに早く走れますが、白雪姫は違います。途中から息が上がって足がもつれだしました。こびとたちは休憩することにしました。

「ここまでくればひとまずは安心です。でも森の中は危険ですから、エルフリーデ様の隠れ家へ行くことにしましょう。そこは海の方にあるので、まだ道は遠いです」

「まぁ、そうなの。わたし海は見たことがないのよ」

 白雪姫は不安を好奇心で覆い隠して言いました。こびとたちは所詮人形ですから、海がどんなところかなんて話すことはできません。互いに顔を見合わせて、誰も答える術がないことを確認すると、別のことを言い出しました。

「今は少し休憩しましょう。あちらにリンゴの木があります。採ってきますからリンゴを食べて元気を出してから出発しましょう」

 こびとが木を揺すってリンゴを落とし、持ってきてくれました。つい先ほど毒リンゴを食べさせられそうになったばかりなので、白雪姫は好物でも手が伸びませんでした。ですがよく見ると、真っ赤だった毒リンゴとは違い、これは青リンゴでした。

(たまたまそこにあった木になっていたリンゴよ。あの人がなにかしているわけがないじゃない)

 白雪姫はそう考えて、安心してリンゴをかじりました。

 すると、姫は突然喉を押さえて苦しそうに呻き、そしてばったりとその場に倒れました。こびとたちは驚き、その体を揺すったり、名前を呼んだりしましたが、姫は目を覚ましませんでした。

「これは、死んでしまったのではないか」

 イルゼが狡猾に手を回していたのでしょうか。それとも長い距離を走らせすぎたせいでしょうか。彼らに原因がわかるはずはありませんし、原因が何か考えることもできません。

 また七人は顔を見合わせました。そしてこう結論を出しました。

「われわれは白雪姫を守るために作られた。でも、姫はどうやら死んでしまった。もうここにいる姫の死体を守っても仕方がないし、このことはエルフリーデ様に伝える必要がある。エルフリーデ様のところへ戻ろう」

 七人のこびとは隊列を組んで素早く姫の側を離れました。森はしんと静まり返ってしまいました。

 そこへ、草を踏むわずかな足音をさせて、ヨハンナが現れました。彼女は青白い顔をして倒れている白雪姫の側へ片膝をついて、その上半身を抱きかかえると、魔法道具の地図と瓶を使って、イルゼの隠れ家へ行きました。

 そして、以前イルゼが用意した、棺桶の中に白雪姫を横たえました。

「まぁ、王妃様は首尾よくいかなかったようで心配していましたが、あなたが姫様を奪還してくださったのですね」

 留守番をしていたユッテはほっと胸をなでおろしてヨハンナに礼を言いました。

「それにしても、ヘルガが失敗したので姫様は毒リンゴを食べていないはずですが、どうして死んだように眠っているのです?」

 ユッテが疑問を口にすると、エルフリーデは口の端を少し上げて笑い、素早く杖を振りました。するとユッテの変身は解けて猫の姿に戻りました。そしてイルゼが使い終わった鍋の中へ押し込められ、蓋をされて身動きが取れなくなってしまいました。完全に油断していたユッテは、抵抗することもできませんでした。

「あなたは邪魔だから、少しの間そこにいて。わたしはわたしの課題を成し遂げるわ。そのたの準備はもう済んでいるから」

 エルフリーデは目を閉じて離れた所にいるエメリヒに念を送りました。

「よくやったなヨハンナ。これでお前魔女になれる。そしてイーダの敵討ちも果たせたのだ」

 そう語り掛けてから、エメリヒは体を震わせて魔獣の姿になりました。そして山道の真ん中に躍り出て、人間を襲います。

 襲われた人間はマルティンです。彼はヨハンナの魔法で、ずっと迷路の森を彷徨っていました。

 行けども行けども同じような景色が続くので、さすがにおかしいと気がついていました。

(これは魔術に違いない。あの悪い魔女の仕業か、それともヨハンナ殿か。悪い魔女はわたしを茨の城へ連れて行きたいはずなのだから、ここでぐるぐる歩かせている意味がない。ヨハンナ殿はわたしを行かせたくなかったのだから、こうして森の中に閉じ込めたのではないか。ここへ迷い込ませることが狙いだったとすれば、わたしをあっさり解放したのも頷ける。

 だが、悪い魔女とて本当にわたしの味方とは限らないだろう。そもそも茨の城へは結びつけようとしているのも、その裏に何か思惑があるのかもしれない。ヨハンナ殿の仕業と決めつけるのは性急だ。

 ただ、このまま歩き続けても埒が明かない。何とかここの森を抜ける方法を考えなくては)

 そう考えていたところに、恐ろしい魔獣に襲われたのです。勇敢なマルティンは剣を抜いて戦いましたが、相手は自分の体の三倍くらいは大きく、足を切りつけてもまったく血が流れません。

 これは敵わないとマルティンは逃げ出しました。しかし魔獣の豹は追いかけてきます。このままでは逃げ切れない。最早これまでか、とマルティンは死を覚悟しました。

 その時、ヨハンナから貰ったカギを思い出しました。危険な目に遭ったら使えと渡されたのです。マルティンは走りながら懐に手をやりました。

(だが、この森がそもそもヨハンナ殿の魔術かもしれないのに、彼女の助けに縋っていいのか)

 鍵を使うかどうか迷いましたが、魔獣の爪が背中をかすめ、マントを切り裂いた時、思い切ってカギを取り出し、錠前に差し込んで回しました。

 するとふわりと宙に浮いた感覚がして、目の前が真っ白になりました。眩しくて目をつむると、その直後、足の裏に地面を踏みしめる感覚が戻りました。恐る恐る目を開けると、そこは洞窟でした。

 まったく山肌がむき出しになっていますが、ぽつりぽつりと豪華な家具がおかれ、立派な竈もあります。そして中心にはガラスの美しい棺が置いてありました。

 驚いたのは、そこに美しい娘が横たわっていたことです。艶やかな髪黒髪に、雪のように白い肌をしています。マルティンは吸い寄せられるように棺に近づき、食い入るように娘を見つめました。

 こんなに心惹かれる娘は初めてでした。外見の美しさを超えた魅力が、マルティンを強く引きつけました。

 マルティンは知らず知らずのうちに棺の蓋を開けていました。そして血の気の引いたその白い頬に手を添えて、顔を近づけました。

 すると、娘の喉がひゅッと鳴って、仰向けのまま咳き込みました。マルティンは驚いて顔を離しました。

 自分の咳で目が覚めた白雪姫の目に移ったのは、見ず知らずの青年の顔でした。見知らぬ人だというのに、なぜか怖くはありませんでした。白雪姫もまた、マルティンに不思議な魅力を感じていたのでした。

 白雪姫はゆっくりと体を起こしました。マルティンは自然に背中に手を添えて支えてやります。

 ヨハンナはマルティンの運命が変わり、白雪姫と魂が結ばれたことを見届けると、課題の成功と長年の宿願である復讐が叶ったことを噛みしめて、静かに洞窟から姿を消しました。

 白雪姫が青リンゴを食べた時、ヨハンナはその口の中の一かけらを魔法で大きくし、喉を塞いでしまったのです。そして今小さくして喉を通してやりました。息が止まっている時間が少なかったので、こうして生きていられたというわけです。イルゼの毒リンゴと比べたら、なんてことはない簡単な魔法でした。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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