第二章 それぞれの対象 第7話

文字数 3,007文字

 二人は茨を薙ぎ払い続けましたが、きりがありませんでした。マルティンはもと来た洞穴へ逃げようとしますが、ヨハンナが止めました。入ってもまたペドラの魔法で、いばらの城へ連れてこられるに決まっています。

 ヨハンナはマントの下から丸い煤のかたまりを取り出しました。それを手のひらに乗せて息を吹きかけますと、たちまち炎が燃え上がりました。ヨハンナが吹く方向へ伸びた炎は、追いかけてきた茨の先っぽを焼きました。流石に火には弱かったのか、茨はそれ以上近づいてきません。

 そのまま火を噴き続けて、マルティンに襲い掛かる茨も追い払いました。そして少し離れてから、煤の塊を茨の城に向かって投げました。茨に火が燃え移り、黒い煙が上がります。茨たちは苦しんでいるかのように、つるをグネグネとひっきりなしに曲げました。

 ヨハンナは再び地図と小瓶を取り出して、適当な地名を小瓶に詰めると、マルティンの手を取って、小瓶のふちに手を触れました。あっという間二人は小瓶の中に吸い込まれ、やがて小瓶は消えてしまいました。

 ペドラは二人を逃がしてしたことよりも、茨に燃え移った火を消そうと大慌てになっていました。ヨハンナの煤の玉は、長年魔法の薬を煮たかまどの煤をつかっています。そのかまどが古ければ古いほど燃える力も強まります。ヨハンナの家のかまどの煤を使ったのでしょうか。小さいとはいえ火はなかなか消えませんでした。

 物を凍らせる薬を火元にかけましたが、革袋ひとつぶんではとてもすべての炎を消せません。ペドラは煙を避けて箒で上空へ逃れると、例の地図を取り出して、洞穴と川を繋げました。すぐに洞穴からドバドバと川の水が溢れ出てきて、あたりはすっかり水浸しになりました。それでようやく炎は消えました。

「うまく罠にかけたのに逃げられてしまった。ヨハンナめ、あんな火の玉を備えていたとはね」

 ペドラは苦々しく呟きました。地図を見ますと、二人の姿を示す赤い点が消えています。きっとペドラが自由にできる範囲の外側へ出てしまったのでしょう。

「まぁいい。時間はまだあるのだから。一ヶ月の間にヨハンナを出し抜いて、マルティン王子をここへ連れてくればいいんだ。

 それにしても、茨はなぜマルティン王子に牙をむいたのだろう。招かれざる客は排除するようになっているけれど、マルティン王子は違うはず。まさかヨハンナが何か細工を? いいやこの茨をどうこうできるほど、あの娘に力はないはず。ではいったいなぜ……」

 ペドラはその謎にしばらく頭を悩ませていました。


 一方のヨハンナとマルティンは、小瓶で城から遠く離れた山道へ移動していました。

 落ち着いてくると、ペドラの地図の魔法に翻弄されたのだろうと見当がついて、ヨハンナの胸に悔しさが溢れました。何とか逃げおおせたはいいものの、もう少しでマルティンを茨の城へ入れてしまうところでした。

 そのマルティンはというと、魔法の道具で移動するのは初めてだったので、この不思議な体験にたたただ驚いていました。

「いやぁ、占い師殿は本当に神秘の力を持っているんだな。あのままでは本当に茨の餌食になるところだった。助けてくれてありがとう」

 この一件で、マルティンはすっかりヨハンナを信用したようです。ペドラにしてやられたのは悔しかったですが、マルティンの信頼を得られたのは怪我の功名でした。ヨハンナは口惜しさを隠して、互いの無事を喜び、マルティンの身を案じるふりをしました。

 マルティンは腕や足に茨の棘のひっかき傷を作っていました。ヨハンナは瓶に入った塗り薬を出して、傷口に塗ってやりました。緑色でべとべとしていて、嫌な臭いがしますが、あっという間に綺麗に傷口を直してしまう優れた薬でした。本当は、こんなひっかき傷に使うのはもったいないくらいの薬ですが、もっとマルティンに信頼されるため、あえて塗ってやったのです。

「そういえば、どうしてあの洞穴が茨の城に通じていたんだ? 占い師殿は茨の城は危険だと言っていたのに」

 薬を塗られながらマルティンが尋ねました。ヨハンナは丁寧に薬を塗っているふりをして、少し時間を稼いでから答えました。

「王子様は、じつは狙われているのです。悪い魔女に」

「悪い魔女?」

「そうです。王家の血筋の人であれば、色々な思惑をもって命を狙う人もいるでしょう。その魔女も、そういう連中の一人です。あなたとすれ違ったとき、その魔女に苦しめられる姿が見えたので、お助けしようと思った次第です。

 その魔女は、どうやら茨の城を根城にしているようですね。あなたを茨の城に誘いこんで殺してしまおうとしているようです。わたしが洞穴を通って西の方へ行くのを知って、先手を打ったのでしょう。申し訳ありません。手助けすると言いながら、まんまと魔女にやり込められてしまいました」

「いや、占い師殿が謝る必要はない。むしろ危ないところを救ってくれて、感謝するのはわたしの方だ。しかし、そんな魔女に狙われているとは。ここからはただ伴侶を探すよりも危険な旅になるな。占い師殿がいてくれて心強い」

 薬を塗り終えると、二人は木陰で休みました。耳を澄ませると、川のせせらぎが聞こえてききます。

 ヨハンナの塗り薬はとても強い効き目なので、軽い傷の場合、塗って少ししたら洗い流さなくてはいけません。ヨハンナは川へ行って薬を洗い流すようにマルティンに言いました。

 マルティンが行ってしまうと、その座っていたところに、黒い点が現れました。それはだんだんと増えていき、黒猫の姿になっていきました。猫が水を払うように何度も身震いしますも、そのたびに姿がはっきりとしてくるようでした。最後に体を振るって、頭の先から尻尾の先まで、あますところなく姿が見えるようになりました。毛足が短く、尻尾の先がぐにゅりと曲がっていて、青い目をしています。これはヨハンナの使い魔です。

「姿を消す砂を浴びておいてよかった。おかげで王子にもペドラにも気が付かれなかったぞ」

 使い魔は後ろ足で首のあたりに残った姿を消す砂を払いながら言いました。そうです。茨がマルティンに牙をむいたのは、姿を隠した招かれざる客たるこの使い魔が、マルティンの背中に張り付いていたからでした。

「ありがとう。あなたの機転でマルティン王子を茨の城にいれずに済んだし、あそこは危険な場所だと思い込ませることができた」

 ヨハンナはその顎の下を撫でてやりました。

「先ほどのヨハンナの嘘もなかなかうまくできていたじゃないか。王子の命を狙う悪い魔女とはな。これでマルティン自らが茨の城へ向かうことはまずないだろう。

 だが、気をつけなければいけないぞ。ペドラは地図の魔法の使い手だ。今回のように、ペドラが支配する場所に入ってしまったら、いかにヨハンナといえど、あっさりと出し抜かれてしまうからな。やつの力の及ぶところでは勝負しないのが肝要だ」

「わかった。気を付ける。あなたはこのままわたしの後ろについてくる?」

「いいや。ペドラに見つからないように、姿を隠してついていく」

 猫はその場で地面に転がり、目に見えない姿を消す砂を、もう一度体になすりつけました。黒猫の姿は少しづつ消えてゆき、見えなくなりました。

「あなたみたいないい使い魔がいるということは、ペドラに知られない方が都合がいいものね」

 ヨハンナの言葉に、ニャーと答える声だけが聞こえました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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