第十章 先のことはわからない 第8話

文字数 2,966文字

 マヌエラはかまどの中へ入ってしまいました。グレーテルはかまどの戸を閉めました。マヌエラが中からどんどんと戸を叩きましたが、お菓子でできた家具を持ってきて戸をしっかりと塞ぎました。

 ヘンデルの方を振り向くと、マヌエラの魔力が弱まったせいか、檻がずいぶん細くなっていました。二人で引っ張ると、ぐにゃりと曲がってヘンデルが飛び出せるだけの隙間ができました。

 二人は一目散にお菓子の家から出て行ってしまいました。

 使い魔のヴェラは主を救い出すため、戸をふさぐ家具に体当たりしていました。

「馬鹿! あの二人を追いかけろ。あたいは平気だから」

 マヌエラは咄嗟に身を守る魔法を使ったので、かまどの中でも無事でした。ところが、前にエルフリーデにつけられた火傷の跡が、急に熱を持ち始めました。

 これは、近い将来必ず火の災難に遭うという、エルフリーデの呪いでした。かまどの火と呪いは呼応し、炎の勢いは増しました。マヌエラが逃げ出そうとするも間に合わず、かまどは爆発し、家中に火が燃え広がったわけです。

「だからこれは八割がたエルフリーデのせいだね」

 マヌエラは上手に治療したので、この間に火傷はだいたいかさぶたになっていました。

「でも、きっかけはグレーテルなのよね。あなたの話を聞いていたら、優しい良い子なだと思ったんだけれどね」

 ヘルガが言うと、マヌエラは顔をゆがめました。

「まったくだ。あたいは母親でもないってのに、二人のためにずいぶんいろいろ計らってやったんだよ。グレーテルは魔女見習いにしてやろうと魔法の知識を仕込んだし、ヘンデルはいいとこへ婿入りさせてやろうと思って、働かせもせずに、うまいものをたくさん食わせたんだ。それなのに、こんな目に遭わされるなんてね」

「あら、見習いにするって決めてしまったのね。でもグレーテルはそれでよかったのかしら? 魔女になりたくなかったんじゃないかしら。それに婿入りっていうのは、ちょっと早すぎるんじゃないかしらね。ヘンデルはまだ子供だし」

「ばあさんは知らないかもしれないけど、この世界じゃ小さい子を許嫁として家で育てて、後継ぎの魔女と結婚させるなんてやり方があるのさ。男の子が魔女の世界にいるには、それくらいしか方法がないじゃないか。グレーテルだって魔女になったら普通の人より長く生きられるし、魔法でできることが増えるんだから、普通の世界にいて苦しんで生きるよりいいだろう。それであの二人は幸せになれるのさ」

「だが、二人はそれを拒否して逃げ出した」

 自信たっぷりのマヌエラを否定したのはケルスティンでした。いつの間にか燃え残ったシュトーレンの階段の上に立っています。

「君が良かれと思ってやったことは、二人にとっては逃げ出すくらい嫌なことだったというわけだ。君の思い通りに事が運んだとして、二人は果たして幸せだっただろうか」

「なんだい。何が言いたいんだ」

「私が言わんとしていることは、君はもうわかっているだろう。それよりそこで座り込んでいていいのかい。試験期間は残り少ない。このまま二人がどこかへ行ってしまったら、君の落第は決まりだよ」

 そこへヴェラが走り寄ってきて、しきりに何かを訴えました。

「二人が見つかった? 子どもだからそう遠くへ行けないだろうと思っていたけど。すぐに連れ戻さなくちゃね。 ばあさん。この前手伝ってやった見返りにばあさんの箒に乗せとくれ」

「いいけど……」

 マヌエラは半ば強引にヘルガを箒に乗せて、自分は後ろにまたがりました。ヴェラが先導して、二人はヘンデルとグレーテルを追いかけます。

「でも、連れ戻してどうするつもりなの? また、同じようにするの」

「当たり前だろう。それが二人にって一番いいことなんだ。あたいは魔女になって人生が良い方にガラッと変わったんだ。普通の世界で生きていくより、魔女の世界に身を置いた方がいいに決まってる」

「だけど、それじゃあまた同じことの繰り返しなんじゃないかしら」

「じゃあ二人ともあのクズ親父と人でなしの継母の所へ戻るのがいいってか」

「それは……」

 ヘルガも二人にとって最もいい道を見つけられませんでした。すると程なくして、二人が川のほとりで立ち尽くしているのが見えました。

 ヘルガはすぐに連れ戻そうとするマヌエラを押しとどめて、木の陰からそっと様子を伺いました。

「この川は見覚えがあるよ。向こうに僕たちの家があるはずさ」

「でも、どうやって川を渡るの。船もないし、小さいわたしたちじゃあ、泳いでもも流されてしまうわ」

 二人は途方に暮れています。

「早くお家に帰りたい。お父さんに会いたい。お腹がへってもいいから、前のように村で家族仲良く暮らしたい」

「グレーテル、泣くのはおやめ。一緒に川を渡る方法を考えようよ」

 幼い兄妹は手をとり合って知恵を出し合いました。

「……そんなにあたいのお菓子の家は嫌かい。そんなに家に帰りたいのかい。あんな父親のもとへ帰りたいのかい。あんなに暗くて辛くて苦しくて地獄のような普通の世界に帰りたいのかい」

 マヌエラはそういって歯を食いしばりました。

「ねぇ、マヌエラさん。あの子たちが普通の世界で暮らすのがいいのか、魔女の世界で暮らすのがいいのか、わたしはどちらとも言えないわ。帰ったらお父さんはまた二人を捨てるかもしれないけれど、心を入れ替えて一緒に暮らすかもしれない。魔女の世界に残ったら、グレーテルは優秀な魔女になるかもしれないけれど、試験で落第して死んでしまうかもしれないし、ヘンデルだって婿入りした家で虐められるかもしれない。

 先のことなんて何もわからないのよ。だから最後は本人の望みを聞くのが一番なんだわ。それでまたひどい目に遭ったとしても、その時にまた助けてあげればいいじゃない。それができるのが魔女なんじゃないかしらね」

 ヘルガはマヌエラの肩に手を置いて言いました。マヌエラは目に涙をためてヘルガを睨みましたが、反論はしませんでした。

「マヌエラさん。さっき館の魔女様が、あなたはこのままでは落第だって言っていたわ。落第しないために、あの二人を助けてお家へ帰してあげましょうよ。それで正式な魔女になって、時々二人を見守ってあげて、影からそっと手助けしてあげればいいわ」

 マヌエラは少しの間黙りこくっていましたが、ヘルガの手を払って立ち上がると、杖を水辺でくつろいでいたカモたちに向けました。カモたちはピクリと首を伸ばすと、ピタリと体を寄せて、一つの島のようになって川に浮かび、ヘンデルとグレーテルの前へ泳いでいきました。

「ごらんよグレーテル。カモさんたちが川を渡してくれるんだ」

 ヘンデルは妹の手を取ってカモの上に乗り、対岸へ渡りました。二人は輝くような笑顔でカモにお礼を言い、家の方へと駆けていきました。

「お見事、二人は父親の元へ戻ってめでたしめでたし、というところだな。紆余曲折あったが、マヌエラは二人を幸せにした。試験は合格だ」

 ケルスティンが箒に乗って上空から声をかけました。マヌエラは仏頂面で瞬きをして、涙を乾かしていました。

 ヘルガはマヌエラの合格を祝福しましたが、ケルスティンはそれに水を刺しました。

「喜んでいる場合か? 君もこのままだと落第なのだが」

 ヘルガはシンデレラの事を思い出して真っ青になりました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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