第八章 動き出す運命 第10話

文字数 2,928文字

 グレーテルは兄さんをこんなふうに閉じ込めるなんて許せませんでした。ですがヘンデルが檻の中から、マヌエラを怒らせてはいけないと、そっと目配せするのです。言いたいことをぐっとこらえて、グレーテルはマヌエラについて魔女になるための勉強をしに行きました。

 その日の食事では、昨日とうって変わって、ヘンデルに盛りだくさんの食べ物が出されました。もちろん、ヘンデルは檻の中で食べるのです。当然美味しく平らげられるはずもありません。ただ、マヌエラの機嫌を損ねるの怖れて、黙々と食べました。

 その日の夜更けに、グレーテルはこっそり部屋を抜け出して、台所へ行って兄さんに遭いました。

「兄さんをこんな所に閉じ込めるなんてひどいわ」

「きっとお前に言うことをきかせるためなんだよ。大人しくしていたら、そのうち出してくれるよ」

 しかし、グレーテルは首を振りました。

「きっと、マヌエラさんは兄さんを殺して食べてしまうつもりなのよ。だって、きゅうにたっぷりご飯をくれたじゃない。しかも仕事もさせないで、狭い檻の中で動かないで暮らすなんて。つまり太らせて美味しく食べようとしているのよ。豚や牛とおんなじよ」

 二人はすっかりそう信じ込んで、恐ろしさに震えがりました。この家はいくらお菓子があっても、二人にとって安全な場所ではなくなりました。

「それなら、僕は食事をもらったら、食べたふりをして隠しておくよ。そうすれば太ることはないだろうから。太らなければ、すぐに食べられることはないよ。その間に、お前は何とかしてこの檻を開ける方法を探しておくれ。そうして今日みたいに、夜中にこっそり来て、僕を檻から出しておくれ」

「わかったわ。檻を開ける方法といわず、役に立ちそうなことならなんだってするわ」

 幼い兄妹はそう決めてわかれました。

 マヌエラは彼女なりに二人を幸せにしようとしているのです。ところが、それは却ってヘンデルとグレーテルに疑いと恐怖を与えてしまったのでした。

 魔女を疑いはじめた人間はもう一人いました。マルティンです。彼はこれまでの旅のなかで、ヨハンナに不信感を持っていました。ただ、何度も危ないところを救ってくれたことに恩を感じ、疑問をぶつけないだけでした。

 マルティンはその日、シュネーヴィッテン国の王子に呼ばれて、領主の屋敷の夜会へ顔を出すことになっていました。ヨハンナはそれなりに見栄えのいい服を着た方がいいだろうと、小奇麗で王子らしい服を魔法で作ってやりました。こういうことをしてもらうと、マルティンはますます文句を口にできなくなります。

 ヨハンナとしては、夜会で良い娘が見つかればという期待もあってしたことです。それから、もし危険な目に遭ったら、あの錠前を使うのだと、何度も念を押して送り出しました。

 マルティンが行ってしまってから、エメリヒがするりと足許にすり寄ってきました。

「マルティンが知り合った王子は、どうやら白雪姫の許嫁らしいじゃないか」

 その通り、彼こそが白雪姫の許嫁であり、二人が結ばれると、イルゼの国は将来戦争に巻き込まれ、多くの民が苦しむことになるのです。

 イルゼにとって何としても遠ざけなければいけない人間が、図らずもヨハンナの目くらましの中へ入ってきているわけです。協力しているヨハンナとしても、ここであの王子をどうにかしてしまえば、白雪姫と結ばれることはなくなり、姫をマルティンとくっつけることができます。

「イルゼが立ち直らないようなら、協力関係は終わるのだから、その王子なんて放っておいてもいい。ましてマルティンが今夜良い娘を見つけたとしたら、さらに伴侶を見つける必要もなくなる。

 でも、イルゼはこのまま全てを投げ出すような愚か者ではないし、いばら姫以上の娘がこの町にいるとは思えない。だったらその王子は捕まえるなりなんなりしておく必要がある。

 でも、それは夜会が終わってからでいい。あの王子は軍事演習に来ているというから、明日以降も手を出す機会はいくらでもある。こっちも準備がいることだしね」

 エメリヒに指摘されるまでもなく、白雪姫の結婚を阻止する機会が巡ってきたことはわかっていました。ヨハンナは箒に乗って夜空へ飛び立ちました。

 マルティンはシュネーヴィッテン国のフロリアン王子と夜会で親睦を深めました。

「では、結婚医相手を探して旅をしているということですね」

「ええ、まぁ。見聞はこれで十分広められたと思いますので、後は良い娘がみつかれば、わたしの旅はおしまいです」

「それはしかし、容易なことではありませんね。良い娘といいますが、旅の合間に出会って少し言葉を交わした程度では、本当にその娘が伴侶に相応しいかどうかわかりませんし、気に入ったとして、この先にもっと良い娘がいるかもしれないと、その娘を捨て置いて、先に進んでしまうでしょう。この世は広い。美しい女性も多い。最高の相手を追い求めるのというのは、楽しそうではありますが、果てのない旅となりそうです」

「はぁ。そんなに素晴らしい女性でなくとも、わたしがこれはと気に入る女性であれば、それでいいと思っているのですが」

 マルティンは指先で頬をかきました。

「そうですか? でも、今なお旅を続けていらっしゃるのは、これまで出会った誰もが、お気に召さなかったからでは? そこそこで妥協できるというなら、今日ここにいる女性たちはどうですか?」

 フロリアンは遠くで集まっておしゃべりに興じている若い娘たちを指し示しました。皆それぞれに魅力があるようではありましたが、マルティンが一目で気に入るような娘はいませんでした。

「ほら。そこそこの娘で満足だというなら、あの中の誰かでいいはずではないですか。

 別に責めるつもりはありませんよ。誰だって、どんな時でも、よりよいものを求めるのは当たり前です。そのためなら、多少の困難は甘んじて受け入れるでしょう」

 フロリアンは盃の酒を飲み干しました。マルティンは曖昧に笑っています。

「しかしたった一人で異国を渡り歩くというのは、心細くはありませんか。危険な目にも遭うでしょう」

「ええ、最初の頃は。次第に慣れてきましたが。それに今は一人きりではないのです。途中で出会った預言者殿と行動を共にしているのです」

 マルティンはヨハンナが悪い魔女から守ってくれたことや、運命の相手の居所を一緒に探してくれていることなどを語りました。しかし、その感謝に交じって、疑念や不満がにじみ出てしまっていました。フロリアンは、そういう感情を的確に読み取って、こう言いました。

「その予言者の女は、本当にあなたのために行動しているのだろうか。邪悪な魔女と戦ってくれるといいますが、その女が現れてからでしょう、襲われるようになったのは。

 あなたにとっては恩人だろうから、こんなことを言うのは気が引けるが、その女こそ魔女で、あなたに害を与えようとしているのではありませんか。ひょっとしたら、その茨の城に眠っているという姫こそ、あなたの伴侶となるべき人で、その女はあなたをそこから遠ざけようとしているとか」

 この一言は、マルティンの中にあるヨハンナへの疑惑と、いばらの城との因縁をどちらも射抜きました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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